第3話 度胸と度量

 

「殿、お目覚めのところ、申し訳ございません。実は──」

 

 陽が昇って間もない頃の佐嘉城内。

 起床したばかりの隆信の元に、足音を潜めてやって来たのは、彼の近習であった。


 すぐに広間にお越し頂きたい。

 ふすまを開け姿を見せた隆信に対し、寝室の外でかしこまっていた近習はそう促す。何でも早朝にもかかわらず、不躾ぶしつけに来訪してきた者がいるとのこと。


 ふと、隆信は考込む。火急の要件なのだろうが、思い当たる節は無い。

 なので首を傾げつつも、すぐに着替えを済ませ、長信と共に広間に向かう。


 するとそこには、平伏している小河信安の姿があった。

 鎧直垂(※戦の際、鎧の下に着る衣服)を身にまとい、髪を所々乱し、目の下にくまを残したその姿は、まるで戦場から帰ってきたかの様。

 怪しんだ隆信は訳を尋ねる。すると信安は顔を上げ、声を振り絞りながら告げた。

 

「恥ずかしい限りですが、仕留め損ない申した」

「仕留め損なった? 何の話だ?」

「実はそれがし、勝利を暗殺すべく、昨晩、千布ちぶ館に忍び入った次第」

「何だと⁉」


 隆信も長信も目を見開き、思わず驚嘆の声を上げる。

 そして二人して事情を尋ねるが、返事は無い。信安が悔し涙を浮かべ、口を閉ざしてしまっていたためだ。

 しばし広間を沈黙が包む。それでもやがて、信安が少しずつ語り始めたため、二人は黙って耳を傾けるのだった。



※ ※ ※ 



 前夜の千布館。

 そこは一時も目を離せない程の、独特の緊張感に包まれていた。

 宴席のど真ん中にいる信安の周りを、神代家の一族家臣達多数が、取り囲む様に座っていたのだ。

 

 すでに事は露見した。逃れることはままならない。

 ならばせめて一太刀、勝利に浴びせて散りたいものだ。

 信安は諦めを抱く一方で、獲物を狙う鷹の如く、鋭い眼差しで勝利を睨みつけている。


 神代一族家臣の警戒感は、戦場におけるそれと同等だっただろう。

 何せ、信安はただ一人で乗り込んでいたのだ。

 それは、勝利を討ち取っても、自身は助からないという覚悟の上でのこと。

 龍造寺家にも、小河一族にも迷惑を掛けるのは間違いない。しかし、それでも勝利を始末したいという衝動が、彼を大胆な賭けに走らせていた。


「この勝利、貴殿の心の底に、深く感じ入った」 


 偽らざる本心だろう。

 信安は近づいてきた勝利から讃えられると、酒を盃に注げられる。

 それを彼は飲み干し、「思い差し(※1)でござる」と返杯する。その目を血走らせ、その手を怒りで震わせながら。


 しようものなら、太刀どころか、短刀でも心臓を一刺しに出来る間合い。

 だが勝利は、警戒する様子など微塵も見せず、口元を緩めたまま信安をにらみ返す。

 れるものなら殺ってみよ── 

 自信みなぎる態度。それに飲まれ、信安は手を下す事ができなかった。


 こうして、命を狙われた者が、刺殺を企てた曲者をもてなすと言う、前代未聞の趣向で宴は再開されたのだった。

 


「おどま山からじゃっけんノーヤ、お言葉も知らぬヨウ。あとで、ご評判なたのみます」

 

 早速周囲では、神代家の者達が、現地の民謡を歌い始めた。

 信安はその様子をじっと目を凝らして見つめる。皆すでに酒が進んでいたものの、唄声や手拍子に殆ど乱れがない。よほど唄い慣れているのだろう。同じ佐嘉郡に生きていながら、初めて目の当たりにした信安は、ただただ感心するばかり。


 しかし一しきり歌うと、静かになった場は次の賑やかさを求めていた。


「これ、せっかく飛び入りの客を迎えているのだ。誰か余興を披露する者はおらんのか⁉」


 勝利の呼びかけ。

 すると次の瞬間、信安の目に驚きの光景が飛び込んできた。

 神代家の者達から、披露したいと名乗り出る者が続出したのだ。


「ならばそれがし、いささか曲舞くせまいの心得がござれば、今より披露つかまつる。ぜひ信安殿もお楽しみいただきたい!」

「何を言うか! ここはわしら兄弟による、尺八と鼓の出番であろう!」

「あいや、お待ち下さりませ! 小河殿は豪勇て知られた御方! ならば我ら若者衆による相撲大会を御覧いただきとうござる!」


 我こそはと余興を申し出る声、声、声。

 彼等は勝利の許しを得ると、進んで入れ替わって披露し、場を盛り上げてゆく。

 勝利はそれを見て、笑い、褒め、茶化す。しかしねぎらいの言葉だけは決して忘れない。それが披露した者達の顔を、たちまち喜色満面へと変えていた。


 その様子は信安にとって脅威に映った。

 龍造寺家の中にも、場を盛り上げようと余興を買って出る者はいる。だが目の前の光景は、それとは比べものにならない。とにかく途切れないのだ。


 口頭では皆、信安をもてなすと言う。

 しかし本音ではないのは明白だ。彼等の心の底にあるのは、勝利に喜んでもらいたい、己を認めてほしいという欲求。そのためなら、いくらでも体を張ってやると言う意気込みが、皆からひしひしと伝わってきていた。


 下々の者達から、勝利は大いに慕われている。

 その現実をまざまざと見せつけられた信安の顔には、いつの間にか警戒心がにじんでたのだった。



 やがて夜が明け、迎えた宴の終わり。

 信安はいとまを申し出ると、勝利から馬と従者を館の外に用意してもらった。至れり尽くせりである。

 だが彼は、門外に出て馬にまたがると、一礼すること無く、一目散に駆け出していった。道中、従者により暗殺される危険を回避したのである。



※ ※ ※ 



 勝利の大器に信安の豪勇。

 やがてこの逸話は佐嘉で評判になり、聞いて驚かない者はいなかったという。


 それは広間で聞いていた、隆信と長信も同様な訳で──


「気落ちするでない、信安。そなたの武勇譚、佐嘉の者達は大いに褒めそやすであろう」


 長信は信安の労をいたわり慰めていた。

 決死の覚悟で臨んだのに、しくじった上、おめおめと生きて帰ってきたのだ。みっともない事この上ないではないか。そんな信安の悲嘆に、彼は思わず同情心を募らせる。


 一方、隆信はじっと腕組みしたまま動かなかったが、やがて落ち着いた声色で二人に語りだした。


「何を申すか、長信。立派な土産を信安は持って帰ったではないか」

「えっ?」

「よし、陣触れだ! 千布の館を襲撃するぞ!」

「はっ? あの、今日から向かうのですか?」

「今日ではない、今すぐだ! 信安、疲れておるであろうが、道案内を頼んだぞ!」

「心得申した」


 気力をみなぎらせ立ち上がる隆信に、平伏する信安。

 その間で長信は二人を交互に見渡し、困惑の表情を浮かべたまま。理解が追いついておらず思わず尋ねる。


「ど、どう言う事なのですか? 何を焦っておられるのです、兄上?」

「あのな、信安は神代の見張りの目をかいくぐって、城に忍び込んだ。つまり抜け道を見つけたのだ。奴らがその道に対して、警戒を強める前に、急襲して勝利の首を獲る。こんな好機、見逃す訳にはいかないであろうが!」



 隆信の決断と行動は素早かった。

 八月十二日、直ちに招集出来る者達だけかき集めると、千布館へと押し寄せる。


 しかし勝利の対応は、それを上回っていた。


「ぬうう、小癪なり、勝利め!」


 信安が館に入り込んでみると、そこはもぬけの殻であった。

 彼は叫びつつ庭の木を切り捨て、憂さを晴らそうとするが、どうしようもなかった。


 館に通じる抜け道が存在するらしい。

 だが、それがどこにあるのか分からないのなら、敵の襲撃が迫る前に、一度山内に撤退すべし。

 そう勝利は判断したのだろうが、信安も隆信も首をひねるしかない。我らの襲撃計画はどこから漏れたのかと。

 

 千布館を奪ったのは立派な戦果だ。館周辺における、かつての自分達の土地を奪回できたのだから。

 だが神代勢は無傷のまま。そのうち逆襲に討って出るのは目に見えている。

 危機感を抱いた隆信の心には、後味の悪さしか残らなかった。



※ ※ ※ 



 さて、山内に逃れた勝利は、家臣達と共に谷田城に戻り、佐嘉の状況をうかがっていた。

 夜通し信安との宴に参加し、翌日にはその館を襲われたのだ。故郷に帰り、張り詰めた緊張の糸をようやく緩められ、神代家臣達の顔には安堵の色が浮かぶ。


 それは石見守も同じこと。

 ところが一夜明け、勝利の元にやって来た彼の表情は、渋いものに様変わりしていた。


まずかったですな」


 信安を帰してしまった事が、である。目を細め、勝利をジロリと睨みつつ、彼はそう苦言を呈する。

 疲れから解放され、戻って来た口調はいつもの皮肉交じり。

 しかしどこ吹く風とばかりに、勝利は口元を緩めて彼に反論する。


「たわけ、あれも戦よ。信安の度胸とわしの度量とのな。単身暗殺にやって来た敵重臣を、家臣に寄ってたかって討ち取らせたら、神代は信安に恐れをなしたと、世間に笑われるだけではないか」


「しかし、千布館を奪った龍造寺は勢いに乗り、この谷田城まで攻め寄せて来るに、間違いござらぬ」

「それは無用の心配というものだ。ほれ」


 すると、勝利は目の前に置かれていた、一通の密書を石見守に手渡す。

 差出人は龍造寺に潜り込ませていた、もと家臣の小副川左衛門である。

 龍造寺の内情を伝えるその書状を見て、石見守は目を丸くするのであった。


──龍造寺は軍を東進させ、少弐、江上討伐に向かおうとしている。


「他の間者からも同様の報せが届いておる。どうやら奴等は広く宣伝している様子だ。おそらく本腰入れて、戦に明け暮れるつもりであろう。そうなればしめたもの。我らは体勢を立て直し、再び佐嘉をうかがうのだ」


 勝利の言葉には、強い執念がにじんでいた。

 遠い先の話では無い。いずれ佐嘉を巡る争いに、彼は決着をつけるつもりなのだ。

 察した石見守は、深く頷くと覚悟を決める。


 しかし千布陥落から僅か七日後の、八月十九日、事態は急変した。


「おおっ!」


 谷田城の城門近くにやってきた勝利は、南に目を向け、思わず声を上げていた。

 遠方に見えたのは、日足十二紋の旗印、龍造寺の軍旗。それを掲げた軍勢が、この城目掛け、大挙して押し寄せてくるではないか。


 やがて敵襲来を聞きつけ、城内にいた僅かな者達が、彼の周りに群がってくる。

 どうするのかと、狼狽うろたえた声で詰め寄ってくる女中達。

 援軍を、撤退を、と下知を待てず、進言してくる一族家臣達。

 勝利は思わずいら立ちを覚えたが、出来たのは、応戦に向けての態勢を整えろと、下知することだけであった。

 しかし──


(なぜ逃げない? 本当は分かっておるのであろう、もはや手遅れだと)


 違う!

 突然ささやき出す、心の声。それを彼は即座に打ち消す。

 そして表情を険しいものに一変させると、己に言い聞かせるのだった。

 城主として狼狽えてはならぬ。武人として臆してはならぬ。そして何より、山内を龍造寺の思い通りにしてたまるかと──


 その間にも龍造寺勢の姿は、少しずつ大きくなってくる。

 意を決した勝利は、軍勢をしかと睨みつけると、迎撃の支度をするべく城館内へと引き返していくのだった。



 孫子の兵法は記す。「兵は詭道きどうなり」と。「その無備を攻め、その不意に出ず」と。

 その格言と同じく、軍を東進させると偽情報をばら撒いていたのは、神代勢を油断させるための、隆信の謀略だったのだ。 



※1 この人と思って、心をこめてお酒をつぐこと

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る