第9話 山岳戦

「脚を止めるな! 手薄な敵の守りはいずれ崩れる。臆せず進め!」 


 金敷山の麓から、龍造寺諸将の叱咤が響く。

 彼等の軍勢による金敷山攻めは、激しさを増し、すでに一刻(約二時間)が過ぎようとしていた。

 だが、山頂に辿り着いた者は誰一人としておらず、いたずらに死傷者が増えてゆくばかり。

 次第に落ちてゆく士気。こんなはずではない。数を頼みに攻め続ければ落とせるはずだと、なおも将達は声を荒げるが、戦況が動く事は無かった。

 


※ ※ ※ 


 そんな苦戦の真っ只中、納富信景の所に首のない遺体が届けられた。


「これは、如何したのだ⁉」

「梅野弾正様のご遺体にございます。山中を進んでいた所、草刈りをしていた農民共に襲われましてございます」


 信景の前にひざまずいて、そう返事をしたのは梅野弾正の家臣であった。

 遺体を運んできた彼以外にも、数人の手負いの兵達が後ろから続々とやってきたが、皆息を切らし、崩れる様に跪いてゆく。

 その姿は土埃と枯れ葉にまみれ、崖から転げ落ちたかの様であり、襲われた当時の危機的状況を如実に物語っていた。


 梅野弾正とは、神代家に従っていた山内の豪族の一つ、梅野氏の一族である。

しかし、この弾正だけは龍造寺に寝返り、金敷山攻めの案内役として戦いに加わっていたのだった。


 涙交じりの声で彼の家臣は説明する。

 弾正は不意に馬の足を叩かれ、崖下に叩き落された挙句、襲われ首を獲られたと言う。

 梅野氏の所領は山内に入ってすぐの所にある。なので金敷山周辺の農民なら、弾正の顔を見知っている者は多いはず。ゆえに襲われたとしても、不思議な話ではないだろう。


 運の無い事に、彼は地元民ならではの不幸に出くわしてしまったのだ。

 信景はそう割り切り、彼に従っていた兵達を収容し、手当てを受ける様に伝えると、その場を去ろうとする。

 だが、弾正の家臣は更に訴えるのだった。


「実はその農民の中にいた一人を見て、弾正様はひどく驚いた様子で叫ばれました。『お前は神代源内ではないか!』と」

「神代源内?」

「神代一族の知恵者と聞いております。それだけではなく、襲い掛かって来た者達は、太刀、鎌などの扱い鋭く、とても農民とは思えませなんだ。武芸の心得がある者達が、混じっていたに相違ございませぬ」


「それは、神代が農民に扮して兵を伏せていた、と申したいのか」

「はっ、その道中にも、草むらに捨てられた首のない骸が、散見しておりました。敵は我らの知らぬ道を通り、山中のあらゆる所に兵を伏せていると思われます」

「そうか。そういう事か」

「そういう事か……?」


 独り言とも取られかねないほど、小さな信景の返事。

 弾正の家臣はきょとんとしてたが、信景は気にする事無く、視線を山頂へと移すと、しかめていた表情を崩していた。

 それはおそらく、彼の中で何か腑に落ちた事があったのだろう。

 そう察して信景に尋ねたのは、彼の傍にいた近臣だった。


「如何なされたのですか、殿?」

「分かったぞ。我らはおびき寄せられたのだ。間違いなかろう」

「何と!」 


 すると、信景は山頂を指差し、その理由を語る。


「ずっと引っ掛かっておったのだ。確かに神代勢は少数で善戦していると思う。しかし我らも弓矢を放ち、少なからず打撃を与えている。山頂に通じる防衛線のどこかが、手薄になる事があってもおかしくはないはずだ」

「た、確かに」


「だが、奴らが崩れる事は無い。ひるむ素振りも見せない。それどころか、嘲笑ったり、挑発してくる者もいる。疲労少なく、戦備もまだまだ余裕があると言う事だ。その上で山の至る所に兵を伏せている」

「つまり、少数と見知らせた上で、山攻めに誘っていると」


「そうだ。我々は勝利の掌の上で転がされていたのだ。分かった以上、もはやこの山攻めは無益であろう」 


 信景はそこまで告げると、今度は近くにいた伝令を呼び付ける。


「そなた、今から本陣へ向かってくれ。殿に現状を伝えた上で、攻撃を直ちに止める様、お願いするのだ!」



※ ※ ※ 



 我らは誘き寄せられたのではないか。

 結果として、信景の推測は的中していた。

 山頂にいた神代勢は、確かに少数だったものの、磐石の備えをしていたのである。

 


 龍造寺勢が山内に迫る。

 龍造寺家中に潜り込ませていた元家臣、小副川左衛門から、その一報を知った勝利は、山内各地の将兵に駆けつける様、命じていた。


 山内にある一際高い山、関屋山高野岳に備えていた大鐘を突かせ、聞こえない所には太鼓等の鳴り物を使い、山内各地に伝達。

 これは山内に戻ってきた際に、勝利が龍造寺の急襲に備えるために築いた、防衛ネットワークであった。結果、将兵達は、迅速に勝利の元へ駆けつける事が出来たのである。


 しかし問題が一つあった。

 龍造寺は果たして、どこから攻め寄せて来るのか。

 佐嘉から山内に攻め込むには、二つのルートがあったのだ。


 一つは、佐嘉からひたすら北上するルート。山内に入った後も、嘉瀬川沿いにほぼ真っすぐ北上し、山内の集落、三反田さんただに向かう三反田筋。今の国道263号線上にあたる。


 もう一つが、やや東の春日山から山内に入り、森林が覆う中に拓かれた小道を北上するルート。これが山中の集落、名尾まで伸びていた。いわゆる名尾筋である。


 そして三反田筋を西に、名尾筋を東に睨む位置にそびえ立っていたのが、金敷山であった。


 勝利は、この金敷山でゲリラ戦を挑むことを決意する。

 そして本拠、熊の川城から山へ入ると、集まった兵三千を二つに分けた。


 一手は自分が率いる本隊。この一隊で戦い、勝負を挑むつもりでいた。

 もう一手は嫡男長良に任せ、東に回らせて名尾筋を抑える。

 そして動く事を禁じ、勝利本隊が追討する際には、敵の反撃に備える。

 本隊がもし崩れたら、龍造寺勢の本陣を横合いから攻め込む様、臨機応変に対処せよと命じたのだった。



「我らの故郷を踏みにじる龍造寺、一兵たりとも生かして帰すな!」


 信安との一騎打ちで負った肘の傷。その激痛をこらえながら、勝利は朝から槍を振るい続け、兵を叱咤して回る。激しく喉は乾き、あまりの疲労に息も絶え絶えになったという。


 だがその甲斐あって、戦は彼の思惑通りに推移していた。

 龍造寺勢は、神代勢は千五百しかいないと侮り、続々と山に押し寄せる。そして、ことごとく撃退され、南の谷底へと転落していった。


 中には例外もあり、苦戦の様子を見て、命あっての物種と逃げ出す者もいる。

 だが、彼らも山中で待ち伏せていた神代勢の伏兵や、付近の百姓達の残党狩りに出くわし、やはり戦場の露と消えていたのだった。


 後はもう一押し。この優位を決定的なものにしなければいけない。

 そう判断した勝利は、配下にいた一人の山伏を呼び付ける。


「お呼びにござるか?」


 やって来たのは身の丈七尺(約2.1m)に大髭を蓄え、筋骨隆々の大男であった。

 加えて雄々しく野太い声と、鋭い眼光は、一目置かざるを得ない程の存在感を放っている。

 そんな彼がひざまずくと、ニヤリとした勝利は近寄って告げるのだった。


「そなたの出番だ、阿含あごん坊」 



※ ※ ※ 



 一方、次第に濃くなってゆく敗色を、納富信景はひしひしと感じていた。


 負傷し退却してきた者達の話でも、すでに南の谷底では、味方の死屍累々が埋め尽くし、近くの川を赤く染めているという。

 そして、山頂からは相変わらず、神代兵達の罵詈雑言が響き渡っている。

 やはり力攻めでは無理があったのだ。悔しいが、これ以上戦を続けることは、無用の損害が増えるだけ。


(だが、進言しても退却の指示は出ない。殿は一体、何をお考えなのか?)

 

 いら立ちを覚えた信景は、ついに馬を本陣へと走らせた。

 惨状をつぶさに伝え、撤退を直訴するべきと決断したのである。

 

 するとその道中、未だに戦意旺盛な武将がいることに驚き、彼はその脚を止めた。


「行け行けっ! 退こうとする奴は皆殺しにするぞ!」


 太刀を振り上げ、兵を恫喝していたのは、石井兼清であった。

 山頂に到達することはもはや不可能だと、皆気付いている。だが諦めの悪い彼は、ためらう兵達に強要させ、自らも山攻めに向かおうとする。

 その表情は開戦前とは一変し、紅潮して我を失ったかの様。危険を察した信景は、慌てて止めに入った。


「兼清殿、自重なされよ! 貴殿は一軍の将なのだぞ!」

「やかましい! 配下の者達が、このままむざむざと死んでいくのを、黙ってみておられるか!」


 兼清は固執していた。

 多くの犠牲を出したのだから、それに見合った成果を挙げないと、という事に。

 以後も、背後から聞こえて来る信景の制止を聞き流し、彼は頂を睨みつけると、山肌に手を掛ける。

 

 だが他の兵よりも整った鎧兜を身にまとい、声を張り上げ進むその様子は、格好の的になってしまっていた。

 勿論本人は気付いていない。峠の脇に神代の伏兵がいた事を。


 そしてその目的が、彼の狙撃にあった事を──


「兼清……殿⁉」

 

 刹那、信景は眼前の光景が理解できなかった。

 足を踏み外した訳でもなく、突然兼清の体が硬直し、真っ逆様に谷底へと転がっていったのだ。

 そして数秒後、周囲に響き渡ったのは轟音。

 火薬が破裂したのに似た、その音の正体は当時、佐嘉でも知るものは少なかった。


 鉄砲──後に隆信が各地の戦で集中運用し、大いに活躍する兵器。だが、その出会いは、重臣の戦死と言う最悪な形でもたらされたのだった。

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