第1話 おもてな死
「ついては軍議のため、
そう
差出人は、佐嘉(佐賀)郡南部を治める国衆、龍造寺家の惣領、隆信。
長らく敵対していた両家は二年前に和睦し、これまで友好関係を築いてきた。だが主君同士の面識はない。そんな中、初めての会談に隆信が誘ってきたのだ。
「それで軍議の詳細は?」
「知らん。肥前平定のための軍議とあるだけだ」
書状を読み終えた勝利は、ぶっきらぼうに返答する。
対して尋ねた彼の腹臣、
攻める相手も、場所も、時期も不明である。余程隠しておきたいのか、多布施に来る事さえ伝われば、詳細は不要と考えているのか。
「どちらにせよ理解に苦しむところ。にもかかわらず──」
そこまで石見守は告げると、書状から目を離し、勝利をギロリと睨む。
「なぜか殿の顔には笑みが浮かんでいる。おそらく行く気満々。それがしにとって、そちらの方が、よほど理解に苦しむところにござる」
「察しが良いな、石見。これは好機であろう。隆信と言う男を見定めるためのな」
「断っておきますぞ、適当な理由を
「心の底から会いたがっている、と認めておけ」
「殿!」
思わず顔をしかめる石見守。
見定めるも何も、激しい怒りや敵意がとぐろを巻いている、龍造寺の館に出向くのだ。刺殺されたらどうするのか。
だが半面、その「殿」の呼びかけは語尾が延び、諦めの心境がにじむ。
なぜなら、目の前の主は忠告を聞き流し、早速、傍にいた祐筆(文章を代筆する事務官)に、返事の内容を、かいつまんで教えていたからだった。
神代家と龍造寺家。
互いに怨恨の敵と思っていた両家が、和睦を結んだのは、天文二十二(1553)八月の事である。
それまで龍造寺家は、東肥前の名門大名、少弐家に従う、有力国衆であった。
しかしその台頭を恐れた、少弐家当主の冬尚は、龍造寺一族の粛清を決行。
少弐家と友好を結んでいた神代家は、計画に加わり、隆信の父、周家を含む、多くの龍造寺一門を討ち取ってしまう。これが遺恨の始まりだった。
そして隆信が惣領に就任してから三年後、一族間で起きた御家騒動においても、神代家は反隆信派と結託。隆信を佐嘉から筑後へと追いやっていた。
隆信が佐嘉の地侍達の支援を受け、ようやく帰郷を果たしたのは、更に二年後のこと。
だが戻ってみると、かつての領地の北側は神代家に奪われ、本拠、佐嘉城のすぐそばまで圧迫される有様。不利を悟った隆信は、神代家と和睦するしか無かったのである。
こうした過程を経て、佐嘉郡は再び平穏を取り戻していた。
だが、この和睦は一時凌ぎに過ぎない。いずれは、些細な衝突から大戦へと発展し、どちらかが相手を
両家の者達は、暗黙にそう了解し、警戒し合っていたのだ。
※ ※ ※
しばらくして迎えた会談の日。
勝利と神代家臣一行は、両家の境目近くにある、龍造寺領、多布施にやってきた。
多布施は、龍造寺本拠の佐嘉城から、北西に約4キロ程離れた所にある。
佐嘉の中心からやや外れ、域内には並木道が続く多布施川もある。
後年、佐賀藩祖となった鍋島直茂が、同地に隠棲しているが、選んだのには防衛上の理由に加え、景観や利便の良さもあったのだろう。
やがて会談の場となっている館が、遠目に見えてくる。
すると足早に石見守に近づいて、密書を渡すものが一人。勝利の近習、馬場四郎左衛門であった。
「左衛門からの報せにござります」
この左衛門とは、もと神代家臣、
龍造寺の内情を掴むため、勝利は一計を案じていた。
少し前に、彼は左衛門にわざと罰を与えて、家から追放。
左衛門は佐嘉に赴き、隆信に勝利の非道を訴え、その家臣として認めてもらった。以後、龍造寺に関する情報を、勝利に送り続けていたのである。
そして報せの中味は、石見守の危惧する所と、全く同じであった。
──龍造寺が殿の暗殺を企てている可能性あり。くれぐれも御用心あるべし
石見守の表情が、たちまち険しさを増してゆく。
その様を見て、四郎左衛門は切羽詰まった声で訴えるのだった。
「差し出がましいかもしれませんが、今からでも引き返すべきではございませんか?」
「殿のそばには、屈強の者達が控えている。心配するな」
「しかしこれでは、進んで袋のネズミになりに行く様なもの!」
「ならん! 今更引き返せば、神代は龍造寺から逃げたと、世間に笑われるだけではないか! 殿の命を狙う
小声ながらも、怒気がはっきりと籠った石見守の叱責。
四郎左衛門は恐れおののき、たちまち後方へと退いてゆく。
ただ、館の外側に目を移してみると、槍を持ち、所狭しと並ぶ、龍造寺の兵達と、いくつもの旗指物が窺える。
まるで戦場における、敵本陣の様な物々しさ。これより先は窮地なのだ。
そう思い知らされ、石見守自身も改めて気を引き締めるのだった。
※ ※ ※
幸いな事に、その日は天候に恵まれていた。
春の到来を予感させる、ほんのりとした暖かさ。そして館の広間から見える庭では、元気にさえずる小鳥達と、陽光を照り返し、色鮮やかに茂る草木の姿がうかがえる。
場が和むのに、この上ない演出と言っていいだろう。その影響を受けたのか、勝利と隆信、両主君の会談も、和やかな挨拶から始まった。
しかし、それは上辺だけのこと。
軍議と言う名目で開かれたのに、戦の話は早々に切り上げられ、続けて行われる宴の支度が、広間の周囲でせわしなく進んでいく。
やはり宴席で我らを斬殺するために、隆信は招いたのではないか。
そう疑いを深めた神代家臣達は、周りで不審な動きが無いか、監視の目を怠る訳にはいかなかった。
やがて最初の膳が広間へと運ばれてくる。
それが勝利の前に差し出されると、彼は丁寧に頭を下げ、中をのぞき込んだ。
程良く焼き色のついた魚、膳に彩りを添える香の物、出来立てで湯気立つ、すましの汁と白飯。
もてなしの膳としては申し分ないものだ。色も香りもおかしな所は見当たらない。
しかし──
(おそらく毒入りだ)
心の中でそう推測した。
理由は二つ。まず、運んできた龍造寺家臣の表情が、ひどく
二つ目に後続の膳が、少し間を置いて運ばれて来たためだ。
それはおそらく、毒入りの膳と、そうでない物とを、取り違えない様にするための配慮であろう。
彼はそう察すると、すかさず話を切り出した。
「恐縮である。しかしこの膳は、宴を開いた隆信殿に、まず差し出されるべきであろう」
かしこまって告げると、横目で隆信の様子を窺う。
視線の先にいたのは、もみあげまで繋がった、立派なあご髭を蓄えた大男。しかも
しかも、この静かな修羅場にあっても、彼の気には乱れがうかがえない。
隆信は七歳から出家し、十三年に渡り修行を積んだ経歴がある。堂々としつつも、落ち着き払っているのは、その成果の賜物であった。
史書は彼の事を記す。「容貌雄偉、眼光
勝利だけではない。おそらく初対面ならば、誰でも彼に一目置かざるを得ないだろう。
そんな注目の的たり得る彼は、勝利に会釈すると、穏やかに口を開いた。
「御配慮かたじけない。しかし、まずは主賓である勝利殿へ」
「いやいや、遠慮は無用」
およそ謙遜など似つかわしくない二人が、譲り合う。
そして会話は途切れ沈黙。この様子に、きな臭さを感じ取ったのは、会談前に石見守に叱責されていた、馬場四郎左衛門であった。
「御無礼仕ります」
彼は一言添え進み出ると、まず後続の膳を差し止める。
そして、勝利の前にあった膳を隆信の前へ。さらに後続の膳を受け取り、それを勝利の前に差し出したのだ。
こうする事で、勝利の危険は取り除かれ、場も丸く収まる。四郎左衛門の見事な機転であった。
思わず笑みを零す勝利。対して、思惑が外れたのか、龍造寺の者達は静まったまま。誰一人、言葉を発しようとせず、広間は再び沈黙に包まれてしまう。
だがしかし、そこへ都合よく現れた者により、事態はまた一転するのだった。
「皆様、お初にお目にかかります。この度、隆信様と共に、宴を催させていただいた者にございます」
広間の外にやって来て挨拶をしたのは、とある入道(※出家した者のこと)だった。
彼は中に踏み入ると、周囲の者ににこやかに会釈をしつつ、前へ進んでゆく。
そして隆信の眼前までやってくると、置かれていた膳を、手にして引き下がり始めた。
たった今差し出された膳が、食する前に理由無く下げられてゆくのだ。こんな不自然な振る舞い、見逃してよいのか。
その様子はたちまち勝利の心に火を付けた。
「これ入道よ、どこへ行く⁉」
「えっ?」
「ここは両家の主な者達が初めて会した、めでたい場なのだ! そなたの労も労いたい。共に食してゆくがいい!」
口では勧誘。
だが広間に響き渡った、腹の据わった声と、見開いた二つの眼は、はっきりと宣告していた。──我の眼前で、その膳を食べてみせよと。
勝利だけではない。居並ぶ神代家臣達も、敵意むき出しで、入道を睨みつけている。
入道が不幸だったのは、勝利の方を向いた際、それらの視線を尽く視界に収めてしまっていた事。断ろうとするものなら、たちどころに、寄ってたかって斬殺されてしまいかねない。それ程の威圧が、彼の心を貫いていた。
救いを求めた入道の視線は、隆信の方へ。
だが隆信は、相変わらず静かな佇まいのまま。眉一つ動かかさず、目に生気を宿していない。
いや、違う。入道はすぐに気付いた。生気を宿さない事こそが、彼の意思表示に他ならなかったのだ。
何度目かの沈黙。その場に響いていたのは、庭で飛び回る小鳥達の
だが、その睦まじさは皆の頭には残らない。
何故なら皆の意識は、追い詰められ、思わず片膝をついてしまった、入道に向けられていたのだから。
その後も続く宴の中、皆の顔は紅潮してゆく。
奏でられる音曲の調べや、舞踊を堪能しながら。女中が注いで回る酒に酔いしれながら。
それは広間の端に座らざるを得なかった、入道も同じこと。
額に脂汗を滲ませながら、箸を持つ手を震わせながら。
やがて箸に載せられたものが、入道の口へ。
しかし皆、その様に注意を払わない、払えない。
独り背を丸めながら、膳と格闘する彼の存在は
結局、同じ空間に居ながら、誰一人彼に声を掛けられるはずもなく、そのまま宴は終わりを迎えたのであった。
そして後日──
※ ※ ※
谷田城に戻った勝利の元に、再び小副川左衛門から密書が届く。
一読した勝利は、表情を苦々しいものに一変させると、手元に置かれていた火鉢に、それを放り込んだ。
──膳を食した入道は程なく毒死した
書状によると、直後に解毒薬を服用したものの、全身に黄疸が出て、悶え苦しんだ後、吐血して死んだという。
瞬く間に灰と化してゆく書状。それを凝視しながら、勝利は石見守に告げた。
「三月になったら
千布は山内の麓にある、勝利の生誕地。そして佐嘉南部を抑えるために築かれた館があった。
本拠、谷田城を出て南下し、龍造寺領近くの同地へ移るとは、敵対の意志を領国内外に示す事に他ならない。
そして三月下旬、勝利はついに、境目付近の龍造寺領を焼き払い、対決姿勢を明らかにしたのであった。
※ ※ ※
ここに東肥前は風雲急を告げた。
山内二十六の豪族の支持の下、南進して龍造寺を屈服させ、己の大望を果たそうとうかがう、神代大和守勝利。
対して、父や一族の仇である勝利を、あらゆる謀略を駆使して葬り去ろうと企む、龍造寺山城守隆信。
短い平穏の時は終わりを迎え、佐嘉を中心とした戦乱の嵐が、再び吹き荒れようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます