第1話 おもてな死

「ついては軍議のため、多布施たふせにお越し願いたい。その後に宴席を設け、もてなしさせていただく」



 そうしたためられた書状が、山内さんないを治める神代くましろ勝利かつとしの元に届いたのは、天文二十四年(1555)二月の事であった。

 差出人は、佐嘉(佐賀)郡南部を治める国衆、龍造寺家の惣領、隆信。

 長らく敵対していた両家は二年前に和睦し、これまで友好関係を築いてきた。だが主君同士の面識はない。そんな中、初めての会談に隆信が誘ってきたのだ。



「それで軍議の詳細は?」

「知らん。肥前平定のための軍議とあるだけだ」


 書状を読み終えた勝利は、ぶっきらぼうに返答する。

 対して尋ねた彼の腹臣、江原えはら石見守いわみのかみの顔には、困惑の表情が浮かぶ。しかし、勝利から書状を渡され一読してみると、その返答は腑に落ちるところだった。

 攻める相手も、場所も、時期も不明である。余程隠しておきたいのか、多布施に来る事さえ伝われば、詳細は不要と考えているのか。


「どちらにせよ理解に苦しむところ。にもかかわらず──」


 そこまで石見守は告げると、書状から目を離し、勝利をギロリと睨む。


「なぜか殿の顔には笑みが浮かんでいる。おそらく行く気満々。それがしにとって、そちらの方が、よほど理解に苦しむところにござる」

「察しが良いな、石見。これは好機であろう。隆信と言う男を見定めるためのな」


「断っておきますぞ、適当な理由をしたためて」

「心の底から会いたがっている、と認めておけ」

「殿!」


 思わず顔をしかめる石見守。

 見定めるも何も、激しい怒りや敵意がとぐろを巻いている、龍造寺の館に出向くのだ。刺殺されたらどうするのか。

 だが半面、その「殿」の呼びかけは語尾が延び、諦めの心境がにじむ。

 なぜなら、目の前の主は忠告を聞き流し、早速、傍にいた祐筆(文章を代筆する事務官)に、返事の内容を、かいつまんで教えていたからだった。



 神代家と龍造寺家。

 互いに怨恨の敵と思っていた両家が、和睦を結んだのは、天文二十二(1553)八月の事である。


 それまで龍造寺家は、東肥前の名門大名、少弐家に従う、有力国衆であった。

 しかしその台頭を恐れた、少弐家当主の冬尚は、龍造寺一族の粛清を決行。

 少弐家と友好を結んでいた神代家は、計画に加わり、隆信の父、周家を含む、多くの龍造寺一門を討ち取ってしまう。これが遺恨の始まりだった。


 そして隆信が惣領に就任してから三年後、一族間で起きた御家騒動においても、神代家は反隆信派と結託。隆信を佐嘉から筑後へと追いやっていた。


 隆信が佐嘉の地侍達の支援を受け、ようやく帰郷を果たしたのは、更に二年後のこと。

 だが戻ってみると、かつての領地の北側は神代家に奪われ、本拠、佐嘉城のすぐそばまで圧迫される有様。不利を悟った隆信は、神代家と和睦するしか無かったのである。



 こうした過程を経て、佐嘉郡は再び平穏を取り戻していた。

 だが、この和睦は一時凌ぎに過ぎない。いずれは、些細な衝突から大戦へと発展し、どちらかが相手をひざまずかせるまで、続くであろう。

 両家の者達は、暗黙にそう了解し、警戒し合っていたのだ。

 


※ ※ ※ 



 しばらくして迎えた会談の日。

 勝利と神代家臣一行は、両家の境目近くにある、龍造寺領、多布施にやってきた。


 多布施は、龍造寺本拠の佐嘉城から、北西に約4キロ程離れた所にある。

 佐嘉の中心からやや外れ、域内には並木道が続く多布施川もある。

 後年、佐賀藩祖となった鍋島直茂が、同地に隠棲しているが、選んだのには防衛上の理由に加え、景観や利便の良さもあったのだろう。



 やがて会談の場となっている館が、遠目に見えてくる。

 すると足早に石見守に近づいて、密書を渡すものが一人。勝利の近習、馬場四郎左衛門であった。


「左衛門からの報せにござります」


 この左衛門とは、もと神代家臣、小副川おそえがわ左衛門の事である。


 龍造寺の内情を掴むため、勝利は一計を案じていた。

 少し前に、彼は左衛門にわざと罰を与えて、家から追放。

 左衛門は佐嘉に赴き、隆信に勝利の非道を訴え、その家臣として認めてもらった。以後、龍造寺に関する情報を、勝利に送り続けていたのである。


 そして報せの中味は、石見守の危惧する所と、全く同じであった。


 ──龍造寺が殿の暗殺を企てている可能性あり。くれぐれも御用心あるべし

 

 石見守の表情が、たちまち険しさを増してゆく。

 その様を見て、四郎左衛門は切羽詰まった声で訴えるのだった。


「差し出がましいかもしれませんが、今からでも引き返すべきではございませんか?」

「殿のそばには、屈強の者達が控えている。心配するな」


「しかしこれでは、進んで袋のネズミになりに行く様なもの!」

「ならん! 今更引き返せば、神代は龍造寺から逃げたと、世間に笑われるだけではないか! 殿の命を狙う不埒ふらち者がいる時は、始末するのが家臣の務め。そなたもしかと腹をくくっておれ!」


 小声ながらも、怒気がはっきりと籠った石見守の叱責。

 四郎左衛門は恐れおののき、たちまち後方へと退いてゆく。

 ただ、館の外側に目を移してみると、槍を持ち、所狭しと並ぶ、龍造寺の兵達と、いくつもの旗指物が窺える。

 まるで戦場における、敵本陣の様な物々しさ。これより先は窮地なのだ。

 そう思い知らされ、石見守自身も改めて気を引き締めるのだった。



※ ※ ※ 



 幸いな事に、その日は天候に恵まれていた。

 春の到来を予感させる、ほんのりとした暖かさ。そして館の広間から見える庭では、元気にさえずる小鳥達と、陽光を照り返し、色鮮やかに茂る草木の姿がうかがえる。

 場が和むのに、この上ない演出と言っていいだろう。その影響を受けたのか、勝利と隆信、両主君の会談も、和やかな挨拶から始まった。

 

 しかし、それは上辺だけのこと。

 軍議と言う名目で開かれたのに、戦の話は早々に切り上げられ、続けて行われる宴の支度が、広間の周囲でせわしなく進んでいく。

 やはり宴席で我らを斬殺するために、隆信は招いたのではないか。

 そう疑いを深めた神代家臣達は、周りで不審な動きが無いか、監視の目を怠る訳にはいかなかった。



 やがて最初の膳が広間へと運ばれてくる。

 それが勝利の前に差し出されると、彼は丁寧に頭を下げ、中をのぞき込んだ。

 程良く焼き色のついた魚、膳に彩りを添える香の物、出来立てで湯気立つ、すましの汁と白飯。

 もてなしの膳としては申し分ないものだ。色も香りもおかしな所は見当たらない。

 しかし──


(おそらく毒入りだ)


 心の中でそう推測した。

 理由は二つ。まず、運んできた龍造寺家臣の表情が、ひどく強張こわばっていたため。

 二つ目に後続の膳が、少し間を置いて運ばれて来たためだ。

 それはおそらく、毒入りの膳と、そうでない物とを、取り違えない様にするための配慮であろう。

 彼はそう察すると、すかさず話を切り出した。


「恐縮である。しかしこの膳は、宴を開いた隆信殿に、まず差し出されるべきであろう」


 かしこまって告げると、横目で隆信の様子を窺う。

 視線の先にいたのは、もみあげまで繋がった、立派なあご髭を蓄えた大男。しかも直垂ひたたれの上からでもはっきりと分かる、たくましい腕を持っており、まさに豪胆、豪放などの表現が相応しい容貌と言えた。


 しかも、この静かな修羅場にあっても、彼の気には乱れがうかがえない。

 隆信は七歳から出家し、十三年に渡り修行を積んだ経歴がある。堂々としつつも、落ち着き払っているのは、その成果の賜物であった。


 史書は彼の事を記す。「容貌雄偉、眼光炯々けいけい」であると。

 勝利だけではない。おそらく初対面ならば、誰でも彼に一目置かざるを得ないだろう。

 そんな注目の的たり得る彼は、勝利に会釈すると、穏やかに口を開いた。

 

「御配慮かたじけない。しかし、まずは主賓である勝利殿へ」

「いやいや、遠慮は無用」


 およそ謙遜など似つかわしくない二人が、譲り合う。

 そして会話は途切れ沈黙。この様子に、きな臭さを感じ取ったのは、会談前に石見守に叱責されていた、馬場四郎左衛門であった。


「御無礼仕ります」


 彼は一言添え進み出ると、まず後続の膳を差し止める。

 そして、勝利の前にあった膳を隆信の前へ。さらに後続の膳を受け取り、それを勝利の前に差し出したのだ。


 こうする事で、勝利の危険は取り除かれ、場も丸く収まる。四郎左衛門の見事な機転であった。

 思わず笑みを零す勝利。対して、思惑が外れたのか、龍造寺の者達は静まったまま。誰一人、言葉を発しようとせず、広間は再び沈黙に包まれてしまう。

 

 だがしかし、そこへ都合よく現れた者により、事態はまた一転するのだった。

 


「皆様、お初にお目にかかります。この度、隆信様と共に、宴を催させていただいた者にございます」


 広間の外にやって来て挨拶をしたのは、とある入道(※出家した者のこと)だった。

 彼は中に踏み入ると、周囲の者ににこやかに会釈をしつつ、前へ進んでゆく。

 そして隆信の眼前までやってくると、置かれていた膳を、手にして引き下がり始めた。


 たった今差し出された膳が、食する前に理由無く下げられてゆくのだ。こんな不自然な振る舞い、見逃してよいのか。

 その様子はたちまち勝利の心に火を付けた。


「これ入道よ、どこへ行く⁉」

「えっ?」

「ここは両家の主な者達が初めて会した、めでたい場なのだ! そなたの労も労いたい。共に食してゆくがいい!」


 口では勧誘。

 だが広間に響き渡った、腹の据わった声と、見開いた二つの眼は、はっきりと宣告していた。──我の眼前で、その膳を食べてみせよと。


 勝利だけではない。居並ぶ神代家臣達も、敵意むき出しで、入道を睨みつけている。

 入道が不幸だったのは、勝利の方を向いた際、それらの視線を尽く視界に収めてしまっていた事。断ろうとするものなら、たちどころに、寄ってたかって斬殺されてしまいかねない。それ程の威圧が、彼の心を貫いていた。


 救いを求めた入道の視線は、隆信の方へ。

 だが隆信は、相変わらず静かな佇まいのまま。眉一つ動かかさず、目に生気を宿していない。

 いや、違う。入道はすぐに気付いた。生気を宿さない事こそが、彼の意思表示に他ならなかったのだ。

 

 何度目かの沈黙。その場に響いていたのは、庭で飛び回る小鳥達のさえずりだけだった。

 だが、その睦まじさは皆の頭には残らない。

 何故なら皆の意識は、追い詰められ、思わず片膝をついてしまった、入道に向けられていたのだから。  



 その後も続く宴の中、皆の顔は紅潮してゆく。

 奏でられる音曲の調べや、舞踊を堪能しながら。女中が注いで回る酒に酔いしれながら。

 それは広間の端に座らざるを得なかった、入道も同じこと。

 額に脂汗を滲ませながら、箸を持つ手を震わせながら。


 やがて箸に載せられたものが、入道の口へ。

 しかし皆、その様に注意を払わない、払えない。

 独り背を丸めながら、膳と格闘する彼の存在はれ物と同じ。

 結局、同じ空間に居ながら、誰一人彼に声を掛けられるはずもなく、そのまま宴は終わりを迎えたのであった。


 そして後日──

 


※ ※ ※ 



 谷田城に戻った勝利の元に、再び小副川左衛門から密書が届く。

 一読した勝利は、表情を苦々しいものに一変させると、手元に置かれていた火鉢に、それを放り込んだ。


──膳を食した入道は程なく毒死した


 書状によると、直後に解毒薬を服用したものの、全身に黄疸が出て、悶え苦しんだ後、吐血して死んだという。

 瞬く間に灰と化してゆく書状。それを凝視しながら、勝利は石見守に告げた。


「三月になったら千布ちぶの館へ入るぞ」


 千布は山内の麓にある、勝利の生誕地。そして佐嘉南部を抑えるために築かれた館があった。

 本拠、谷田城を出て南下し、龍造寺領近くの同地へ移るとは、敵対の意志を領国内外に示す事に他ならない。


 そして三月下旬、勝利はついに、境目付近の龍造寺領を焼き払い、対決姿勢を明らかにしたのであった。



※ ※ ※ 



 ここに東肥前は風雲急を告げた。

 山内二十六の豪族の支持の下、南進して龍造寺を屈服させ、己の大望を果たそうとうかがう、神代大和守勝利。


 対して、父や一族の仇である勝利を、あらゆる謀略を駆使して葬り去ろうと企む、龍造寺山城守隆信。

 

 短い平穏の時は終わりを迎え、佐嘉を中心とした戦乱の嵐が、再び吹き荒れようとしていた。

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