ずっとふわふわした感触に襲われてる

クラゲが好きだった。昔から。

詳しいってわけじゃない。現に今背中の方で泳いでるクラゲが何科のなんて名前のクラゲかもパッとは出てこない。ただ好きなだけ、それでいいでしょ? なんか白っぽくて、ふわふわしててさ。細長かったり丸っこかったりちょっと光ってたりしてて、あと展示室の雰囲気もいいよね。薄暗いし、みんなちょっと声をひそめちゃう感じ。


だから年パス買ってよく来てた。高校の頃から溜めてたお金で初めてそれを買ったときは、薄っぺらいそれがクレジットカードとおんなじくらい大事なものに見えて、財布のちょっと出しにくいとこに仕舞っておいたりしたっけな。そのうち面倒になって定期入れの中に場所変えたけど。

週末になるたびに実家の最寄りから十五駅、そこから歩いて十分ぐらいの水族館まで遊びに行って、クラゲの水槽を眺めながら何をするでもなくぼんやりしてて。ぼーんやり、ぼーんやりするんだ、ずっと。トイレ休憩はさんで、そのあとも。暗闇に体が溶けていきそうな感覚とか、誰も私のこと見てなくてクラゲばっかり見ながらゆっくり歩いてくのを眺めてたりとか、光ってるクラゲが何にも考えてないところとか。そういうのがいいんだよね。彼氏できてからは週末になるたびにあっちこっちつれまわされたりしてたから来れてなかったんだけど、そんで今日が久々の入館日だったんだけど。あーあ、変なもんクラゲに見せちゃったかな。飼育員さんにも申し訳ないな。


変なもんなら今現在進行形で見せてるようなもんだけど。


「前からあなたのことは知ってた。見てたよ。多分気づいてないだろうなって思ってたけど」

「ソウナンデスカ」

「あなたが来るとこのあたりのクラゲが喜ぶんだよね。心なしかよく光るし……ねえ、名前訊いてもいいかな。僕はえーと、笠原ミツキ」

「あっ水嶋です」

「下の名前は」

「ミハルです……」

「僕ら二人ともミで始まる名前なんだ、偶然」


ははは、とこわばった笑いを返して、いやなんだこれ、なんだこれ。いつの間にか手握られてない?ちょっとひやっとした感触がきもちいい、じゃなくてほんとになんだこれ! いい匂いする!


「ね、ナンパ成功したって思っていいかな。僕ずっとあなたと話したかったんだ。連絡先交換しようよ」


気づいた時にはLINEの友達欄に一人増えていた。シンプルに「ミツキ」とだけ書かれた名前欄、アイコンはネイルの写真。クラゲを模したイラストとラインストーンのアート。そのままあれよあれよという間に手を引かれて水族館内のカフェテリアへ、今私とミツキさんは二人でカフェの日替わりランチプレートを挟んで向き合っている。


ミツキさん、こういうの慣れてるんだろうなあ。視線をサラダのドレッシングのしずくへ固定しつつ思う。そりゃあ私だってさっきまで彼氏持ちだったし何もかも未経験ってわけじゃないし、むしろしっかり経験はさせてもらってたわけだけどさ、なんかそういうのじゃない。こうやって初対面の相手にいきなり声かけて連絡先交換して一気に食事までって、めちゃくちゃスピード早いよね。声かけられてから一時間も経ってないんじゃない? ……私がウブいだけかなあ!?


「緊張させちゃってるかな? ごめんね」

「あっ、あ、や、はは、そんなことないですよ!」


あんまりにも私が固まってるから気を遣わせてしまった……! 恥ずかしい! 咄嗟にサラダの上にフォークを突き立てて口に運ぶ。正直ここの酸味が強いドレッシングってあんまり好みじゃないんだけど、そういうの気にしてらんないよ……

口元にドレッシングが跳ねた気配があったから、テーブルの上から紙ナプキンを取って拭くと、ミツキさんがあーって顔をした。


「ついてるよ、ってやつやってみたかったんだけどな」

「勘弁してください……」



***



僕も毎週末ここにいるから。ミハルの気が向くならまた遊ぼう。水族館じゃないとこが良いなら、LINEして。ミハルと話せて楽しかった。


別れ際のミツキさんの言葉を反芻して、私は自宅のベッドに倒れ込む。今日一日でいろんなことがあった。さっきLINEを確認したら、彼氏(今は元彼だ)から「悪かった」「まだ俺のこと好き?」「本気じゃない」とかうざったいメッセージが届いてた。うるせー。後悔するぐらいならビンタなんかするんじゃねーよ。

私が女に見えるからって、妊娠しない穴目当てで声かけたことくらいとっくに知ってるんだよ。

「うつ伏せじゃないセックスしてくれるんだったら許すけど」とだけ最後に返信して、ブロックして、おしまい。許す気なんてないからね。あーあ。あーあ。顔だけはよかったのになあ。

髪の毛切りに行かなくちゃ。うつむくたびに垂れてくるの、邪魔だったしな。ミツキさんとおんなじくらい短くしてみようかな、今度は。

失恋ですらないのに髪切るなんておかしいけどさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る