クラゲの君

定点A

クラゲの展示室って雰囲気あるよね

彼氏に振られて、水族館の中に取り残された。


張られた頬が熱を持って痛い。恋人の頬を張り飛ばすっていうのはもうちょっと可憐な女の子がやるやつじゃないのかな。普通の成人男性がそれをやるのってちょっとなんていうか、似合わないっていうか。あ、今のご時世ってそういう性別で分類するようなこと言っちゃいけないんだったっけ。めんどくさいな。

まあビンタされるだけのことを私が言ったのが悪いんだけど。

最近ちょっと関係がうまくいってなくて、仲直りのためにデートしようって私が提案して。水族館の中だったら薄暗くて静かだから雰囲気あるしはぐれないように手も繋げるし、暗いといっても人目があるからなんとなくケンカも避けられるんじゃないかって、そういう期待を込めてのデートだったんだけど。なんか、結局口論になっちゃったな。なんだよ、イルカのショー見るよりクラゲの展示優先させちゃダメなわけ? そういう相手の気持ち考えずにぐいぐい引っ張っていきたがる強引なとこが嫌いなんだよってつい口に出ちゃって、ビンタされて、あーあ、あとで連絡先消しとかないとな。合コンの余りもの同士でくっついただけの関係だから、サークルでも講義でもあんまり顔を合わせることがないのが救い。でも共通の友人とかいるし、そこだけちょっとめんどくさいかも。


クラゲ展示室の薄暗い部屋の中、丁度いい場所にベンチがあるので座る。ギャラリーの気遣うような視線が痛いけど、気にしないで腕を組む。なんであんなのと付き合うことにしちゃったんだろうなー。いや、確かに生まれて初めて「付き合っちゃう?」とか言われて舞い上がってたのは確かだよ? 私相手にああいう人が声かけてくれたってことが奇跡に近いしさ。でも付き合い始めてから支配欲が顔を出してきたっていうか、一番ウザかったのは「もうちょっとかわいいカッコしてくんない?」攻撃。うるせーな、いいじゃんか全身ユニクロでも。そんなにかわいい子が欲しけりゃそういう子に声かければよかったじゃん、私である必要ないだろこんなどっからどうみてもさあ!


「あの」


突然声をかけられて、喉から「ぎゅぐ」って音が出た。かっこわる。ただでさえ薄暗い部屋の中で、黒づくめの恰好してるから全然気づかなかった。

……いやこの人かっこよ!! 服のこととか何にも知らないから何て名前の服着てるのかわかんないけど!

厚底のブーツ? スニーカー? にほっそいスキニー(ところどころに銀色のジッパーがついてる)を合わせて、薄手のぴったりしたTシャツの上から四角いシルエットのジャケットを羽織ってる。顔の下半分はマスクで隠されててわかんないけどだいぶ小顔だ。長い前髪の隙間から見えてる目を縁取るまつ毛はめちゃくちゃ長いのに、かわいいって印象にはならなくてむしろ眼力を強調していかつい。こんだけバキバキの格好してるのに、意外とピアスは一つも空いてなくて。あと全身ほんとに真っ黒。頭とまつ毛だけ緑っぽい白。すごーい、こんな人なかなかいないぜ、すっげーかっこいい。

そんな人が何の用だ?ケンカしてたのがうるさかったから抗議とかかな、たぶんそれ。うわー申し訳なァ……


「あ、 すいませんさっきの見られてましたかね。すみませんお騒がせしてしまって」

「いえそういうことではなく。 これはナンパです」


おん。


「おん」

「はい。 ナンパです。 フリーになられたようだったので」


はい。


えーーーっなにそれなにそれわかんない怖い怖い!! えっなんで!? 私今ほっぺにめっちゃでっかい紅葉つけてる不審者なんだけどどこにぐっとくる要素あった? そんなスンっとした顔でナンパとか……ウワーッオシャレな人ってやっぱ怖ぇーー!!!

キョドる私にお構いなく、その人はすとんと私の右隣に座った。うーん厚底で身長嵩増しされてるのかと思ったけど普通に背が高いんだなこの人……座っても目が合う……あといい匂いする。なんだろ、整髪料? 思考が勝手に現実を逃避するけどいや仕方ないじゃん私今振られたばっかり……


「なんでナンパなんか、って思ってますよね」

「……はい、思ってマス」

「僕、あなたのこと前から気になってたんです」


あ、一人称僕なんだこの人。


「あなた、前からここのクラゲ見に来るの好きだったでしょ」


小首を傾げられて、揺れる前髪の隙間から見えた眉毛は普通に黒だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る