2-5 それと
小さな鈴の音のような涼やかで可憐な声。けれども告げられた言葉は冷ややかで、頭の中でグルグルと何度も再生される。そして身体が急激にべったり重くなったような気がして、少女が立ち去ってからもリョウは一、二分ほど踊り場で立ち尽くしていた。
そのうち、どうにか脚を動かす気になった彼女は階段を降り、昇降口を出て下校する。ぼんやりと見上げている空は、端に黒が混じり、茜色が淀み始めていた。
「余計なお世話だったのかな」
ようやく思考し始めた頭に浮かんだ言葉をそのまま声にする。だが、人気のない住宅街の真っ黒なアスファルトに沈んでいく小さな呟きに返事をする者は誰もいない。
けれども、同意されようが否定されようが、反応されてしまったらますます意気消沈しそうなので、今のリョウには沈黙が丁度良かった。
そうやって、感情を自分の身体の中で渦巻かせていたそのときだった。辻道に差しかかった彼女は、目の前に現れた存在に思いきり正面衝突する。
「ぐえっ⁉ す、すみません」
「……車通りが少ないとはいえ、俯いて歩いていたら危険ですよ」
聞き覚えのある無感情な声に、頭を下げていたリョウはパッと目の前の存在を視界に入れる。
「エリヤ……」
力なく名前を呼ぶリョウの姿を数秒ほど眺めていた少年は、顔を背けた。
「今日は来ないのですか」
「え?」
「今日は、貴方が観たがっていたシーズン四十の第三話を観る予定でしたが、来ないのならば、時代劇から洋画に予定変更しようと考えていたところです。……今日は、来ないのですか」
「あ……。行く。一緒に、観ようよ」
歩き去ろうと一歩踏み出していた少年は、振り向いてリョウの姿を七色の瞳に写し込む。
さっきまで寂しげに霞み始めていた茜色は、少年の瞳で輝くと不思議と鮮やかになっていた。
「貴方がお節介なのは今に始まったことではないです」
時代劇を鑑賞する傍ら、ソファの上で膝を抱えてポツポツと今日の放課後のことを語ったリョウに、少年は主観を告げた。それによってリョウは口をまた『い』にする。
「飽きもせず毎日のようにここに来て、自分の質問に律儀に答える貴方がお節介でなければ、どのように称しろと?」
言い返せないリョウは、口を不自然な形にしたままスクリーンをジッと睨めつけた。
そんな彼女を一瞥した少年は、カクリと首を傾けて疑問を露わにする。
「……そのように苦痛を抱くなら、なぜ学校に行くのですか」
「それとこれとは話が別だよ」
「別? 学校の教師が原因ならば、その教師が所属する学校に問題があるということです。別問題とは言えないのでは」
「そ、そういうことじゃなくて。私が悩んでいる原因は、本田さんのこと」
「あの和菓子屋のアルバイト店員に対してなにを悩んでいるのですか」
「気を悪くさせたなら、謝りたいなと、思って……」
「そのようなことをする意味はあるのですか? 余計なことをするなと釘を刺されたのならば、彼女にとっての余計なことであるお節介をしないほうがよいのでは」
そうだけど……とリョウが声を口の中で転がす間に、スクリーンの映像ではエンドロールが流れ始めた。
エンディングテーマが終わるとスクリーンが上がり、カーテンが開け放たれたことですっかり暗くなった外の景色が姿を現した。そして、いつも通りにスクリーンの向こう側にいたテレビの電源が自動的に入り、賑やかな音を流し始める。
「あっ、くらげちゃん!」
「クラゲ?」
「ほら、さっきの時代劇にも出演してたアイドルの子」
いつもなら夕方のニュース番組が始まる時間帯には鑑賞が終わっているのだが、今日は放課後のハプニングによってその時間は過ぎ、歌番組を放送していた。
今日は二十一世紀を彩った歌手を振り返るというテーマ構成されている二時間程度の特番で、今はウルフカットの襟足の辺りをライトシアンに染めた少女がラブソングを歌っていた。
「高画質版で当時の映像放送するなんて知らなかったよ~。タツミくんかむぎちゃんに録画お願いしとけばよかった」
さっきまで光のなかった天色の瞳を輝かせながら、リョウは黄色い声を上げそうになる口元を手で抑える。それに対して、もっと反応してほしいと言わんばかりに映像の中の可愛らしい少女は、七色の星屑を画面いっぱいに散りばめるようなウィンクを魅せてくる。
「かわいい! え~、この映像、デビューしてからそんなに経ってない頃のやつだ。すごいなぁ」
「彼女の姿を見るために、先程の時代劇を観たがっていたのですか」
「……あの回は、特にいい話だからっていうのもあるんだよ?」
「見たかったのですね」
「はい……」
隣に座る少年に真顔で詰め寄られたリョウは、素直に自分が観たかったということを認めた。
そんな彼女の先程の仕草を真似するように口を『い』にした少年は前方のテーブルの天板をノックした。すると、センサーが反応したテレビはチャンネルを切り替えてしまう。
「あぁっくらげちゃんが!」
「過去の人間に夢中になれる貴方が理解できません」
「違うよ。くらげちゃんは永遠の十五歳なんだよ」
「はい?」
「くらげちゃんはね、異世界からやって来たから私たちみたいに歳を取らないの」
……はい⁇ とさらに困惑が窺える返事をした少年は、身体を微かにふらつかせながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「貴方の、発言の、意味が、一切、……理解できません」
「だから、くらげちゃんは異世界転生系アイドルなの」
「異世界転生系アイドル……、」
未知の世界に接触してしまった少年は、熱を持ち始めた額を押さえながら目を閉じた。数秒の間、その態勢で固まり、そしてどうにか思考をまとめた彼は戸惑いの色合いを乗せた瞳を見せる。
「つまり、そういう設定をあなたは本気で信じていると」
「え? それとこれとは話が別だよ」
やだなー、異世界転生信じてると思ったの? と笑うリョウ。その姿によってまた口元を『い』にしながら、少年は彼女の両頬を片手で掴むと、その手で口をタコのように変形させた。
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