2-6 これと




「意味不明なアイドルに夢中になる理由が分かりません」

「えー。……あ、思い出した。小さい頃に、初めて見たくらげちゃんが印象に残って……それはさ、エリヤに似てたからだよ」

 モゴモゴと口を動かして答えたリョウによって、少年は僅かに目を見開き、彼女の頬から手を離した。

「ほら、目元とか、特に目の色とか! そっくりじゃなかった?」

「気のせいです」

「そんなことないよ。珍しい色の目なんだからさ」

「七色の瞳を持つ、──人の末裔は世界中にいます」

「え?」

 顔を背けている少年によって小さく呟かれた声は、何やら複雑な発音の言葉が混じっていたため、リョウは言葉の意味を処理しきれずに首を傾げた。

「なに、じ……、ずぃ? なんて言ったの?」

「この世に既に存在しない国の名前なので、知らずとも問題ありません。そして、……そろそろ家に帰るべきでは」

「それはそうだけど、」

「送ります」

「……うん」

 くらげのマスコットチャームが揺れるバッグを背負って帰り支度をしたリョウは、街灯がチラホラと存在する薄暗い住宅街で、少年と夜の散歩をする。

「エリヤはさ、たくさんのこと内緒にしたがるね」

「気のせいです」

「あはは、言うと思った……。……けど、私だって、内緒にしたいことたくさんあるから、お互い様かも。人にお節介焼くのに、自分のことは構われるの嫌がるって矛盾してるな……。本田さんやエリヤに嫌がられたのも仕方ないのかも」

「自分は、」

 暗闇の中、足を止めた少年は街灯の下に出たリョウを眺める。

「貴方のことを、嫌ってはいません」

「だけど」

「貴方がお節介で話しかけてきた時、自分は戸惑いを覚えたのだと思います。父以外に、自分を咎めるような人間は、いなかったから。だから同時に、おそらく自分は、……嬉しかったです」

「……ほんと?」

「はい、嬉しかったです。……同じようなことを何度も言わせないでください。非効率です」

 リョウの隣に追いついたことで、少年の瞳に光が差す。それを眺めながら、リョウは微笑んだ。

「恥ずかしがってる?」

「気のせいです。……貴方は、どうやら似た性質のものと関わる機会が多いようですね」

「えっ」

「つまり、あのアルバイト店員は自分と似た性質のようなので、お節介や有難迷惑だと思われようと、自分にやったように諦めずに話しかければよいのでは?」

 まさか、ずっと辛辣な言葉を澄まし顔で言ってくる少年がそのようなアドバイスをするのは予想外だったリョウは、驚くと同時に体の中心から温かいものが沸き上がってくるような心地を覚えた。

「なぜ驚くのですか。そのような辛気臭い顔で喋られるのが不快なので、いち早く解決するためにも助言しただけだというのに」

「違うよ。嬉しいの」

「嬉しい? そのような感情を抱くなんて、不思議な人ですね」

「だって、エリヤが昔のエリヤみたいだから」

「昔の、……」

 タツミ邸からほど近い場所で立ち止まったリョウの笑顔に対して、少年は何かを言おうとした口をはくりと意味もなく開閉する。

「送ってくれてありがとう。また遊びに行くね」

「……そうですか」

「またね、エリヤ」

「はい」

 背を向けた少年に、リョウは手を振る。そうして少年が帰っていく姿を見届けたリョウは、家に入った。

「ただいまー」

「あ、おかえり。もう少し遅くなるのかと思った」

「え~もう九時だよ?」

「リョウちゃんはちゃんと連絡してくれる真面目な子だねぇ。もう少し不良になってもいいのに」

 俺なんかリョウちゃんとおんなじ年の頃は十二時過ぎても外ふらついてたのにとケラケラ笑うタツミに、リョウは麦に心配かけるようなことはしたくないと苦笑いをする。

「そうやって昔からむぎちゃん心配させてきたんでしょ。悪い人だねタツミくんは。……そういえば、今日もむぎちゃん来てる、よね」

 三和土にきっちりと揃えられているサイドゴアブーツ。そんな持ち主の育ちの良さを窺えるその靴に気付いたリョウは、静かな家の様子に首を傾げた。

「あぁ、疲れてウトウトしてたから布団に入れてきた。大学の研究が忙しいみたいだね。そういや、ご飯食べてきた? 一応一人分確保してあるケド」

「あ、お腹減ってるから、食べる」

「そ、じゃあ温めておくから風呂入ってきな。……あ、そうそう。千草から手紙、届いてるよ」

 タツミが指を差した先の靴箱の上には、一輪の秋桜が描いてある封筒が一通置かれていた。

 古臭い連絡手段であるそれに、リョウは珍しく強い嫌悪感を露わにする。

「偶には返事してあげなよ。千草は君の家族であり、家出を手伝った味方なんだからさ」

 タツミに、曖昧で不格好な笑みを返したリョウは、何も言わずに靴を脱ぐ。そして手紙を粗雑に引っ掴むと、自分の部屋へと小走りで駆け込んだ。

 障子から差し込む廊下の灯りしか光が存在しない薄暗い自室で、リョウは可憐なデザインのそれを構わず手で破り開けた。そして、中に入っていた花の甘い香りがする便箋に目を通す。

 ……だが、二行目に現れた『ごめん』という文字によって大きな息を吐くと、その三枚分の薄い紙を、同じ送り主の手紙や葉書が詰め込まれているサブレの空き缶箱に入れ、封じるように蓋をする。

「それとこれとは、話が別だよ。姉さん」

 小さな呟きは、早く風呂入りなと廊下で響く声でかき消されるのだった。

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