2-4 余計なことしないで
職員室と比べると規模の小さな室内の雰囲気は、リョウの想像以上に最悪だった。
件の教師の声が部屋中に響き渡り、他の教師は見かねて仲裁に入ろうとするものの、効果は焼け石に水といったところだ。
そして、そんな状況の中でリョウが一番注目したのは、教師の前で黙って佇む少女だった。
「本田さん?」
リョウに背を向けていた少女は、自分の名前を呼ぶ声によって顔を見せてくれた。赤らんだ顔の教師とは対照的にその顔は青白く、まるで白磁器のようになっている。
リョウを視界に収めた途端、少女は陶器人形を彷彿とさせる無機質で引き攣った表情を更に歪ませると、これ以上見せまいと言わんばかりに顔を伏せ、焦燥と長い前髪を手で抑えた。
そんな些細な、自分を取り繕うとする行動さえ気に食わなかったのか、教師は眉をさらに吊り上げる。そして、話の途中だと少女に注意し、進路をどうする気かともう何度もしている質問をした。それに少女は、まだ決めていませんとか細い声で答えた。
もう夏休みも終わって、三年生としての時間も半年ほどしか残っていないのにあまりにも受験生としての自覚がないとさらに責め立てようとする教師の剣幕を見ていられなくなったリョウは声を上げた。
「三年六組の提出物持ってきました」
いい加減腕が痛くなってきたので、提出物タワーをデスクの上に置いたリョウは教師に向き直る。そして今日はもう遅いから話は後日にして少女を下校させたらどうかと提案した。しかし、それは火に油を注ぐことになり、明日に後回しするなんて言語道断だと教師の矛先はリョウに向けられる。
こうなったら、このまま怒られて少女の進路の話をうやむやにして帰らせてあげよう。そう腹を決めたリョウは、一時間で終わるといいなと淡い希望で気を保とうとする。
そして、ごめん、エリヤ。と本当なら放課後に会うはずだった少年に心の中で謝ったそのときだった。……バサバサと、奇妙な音が部屋の中で響き渡ったのだ。
教師たちが悲鳴を上げる中、この後訪れるはずだった叱責に堪えるため身構えていたリョウはハッと視線を上に遣る。すると、天井のすれすれを飛行する鳩が視界に入る。
嘴にポツリと黒い斑があるその鳩は、先程まで銀杏の木で羽休めしていた銀鳩に間違いなかった。
なんで室内に入ってきたのかとリョウが困惑していると、彼女が入室してから少し後に来た三年生の学年主任が、空気清浄機があるのになんで窓を開けているんだ! と悲鳴を上げた。すると、ついさっきまで顔を赤くしていた教師の顔から血の気が失われる。
あ、機械嫌いなんだ。とリョウはすぐに察した。進路指導室の中で一番発言力のある教師だから、理由をつけて空気清浄機を使わせなかったのだろう。二十一世紀末の争いで高性能ヒューマノイドが戦闘に利用されていたことから、最新鋭の機械を嫌う人間はそれなりの数が存在していた。
少女とリョウを必要以上に叱責し、まだ気温は高いというのに空調設備を勝手な判断で操作して他の教師たちの健康を考えようとしなかったという目に余る行動。それによって、学年主任が険しい顔ですっかり委縮した教師に詰め寄る。他の教師たちの方は鳩を窓に誘導しようと参考書やファイルを振りながら右往左往しており、現場は完全に混乱に陥っていた。
逃げるなら今だと確信したリョウは、隣にいた少女の手を掴んだ。そして、混乱に乗じて部屋から抜け出し、廊下を駆ける。
小さな世界である学校では噂や騒ぎがあっという間に全体に広まってしまう。それは今回の騒動にも当てはまり、苦手な教師が叱責を受けていると聞きつけた生徒たちが野次馬に向かったり、収拾をつけようと他の指導室や職員室に所属する教師がリョウたちとは反対方向に行く。お陰で廊下を走っているはずのリョウたちは気に留められないまま、進路指導室から大分離れた場所にある階段の踊り場に差し掛かった。
……というところで、少女がちょっと、と声をかけた。それによって、リョウは足を止める。
「あ、ごめん。走らせちゃって──」
「余計なこと、しないで」
え、とリョウは言葉を詰ませ、体を凍り付かせた。
冷ややかな空気を纏う少女は、硬直したリョウに対して眉を顰めると、もうあんなことしなくていいからと釘を刺す。そして窓から差し込む夕日でグラスチェーンと長い髪を輝かせながら踵を返した。
その姿が、あの炎天下の公園での少年の姿と重なったリョウは、何も言えずに少女の姿が見えなくなるのをただ眺めることしかできなかった。
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