2-3 高嶺の花




 九月上旬のある日の放課後。本日の日直当番であるリョウは、クラスメイトたちに課題の提出を促していた。

 今回の課題を出した教師は、名前を聞いたら生徒たちが苦い顔をするぐらいには厳しい人物だ。なので、今時紙の問題集かよと毎回のように愚痴を言うクラスメイトたちにまぁまぁあと数か月の我慢だからと諭してどうにか提出してもらった。

 もしも八割以上が期限内に集まらなかったら回収した生徒が叱責されるので、ほとんどの人が提出してくれたことにホッと安堵したリョウは、自分の席の机に積み上がった問題集の提出率を名簿に書き込もうとした。……が、彼女がバッグに片付けたペンケースを取り出そうとしたところで、新たな問題集が提出物タワーの上に積まれる。

「あ、本田さん」

 リョウに声をかけられたことで、今しがた課題を提出し終えた少女は肩を小さく震わせた。

「この前は本当にごめんね。本田さんのバイト先で大騒ぎしちゃって」

「……別に、私はただのバイトだし、店長も気にしてないから」

「あ、それとね。塩豆大福すごく美味しかったから、また買いに行くよ」

「そう」

 言葉少なに頷く少女は、膝の上に置かれたバッグを抱くリョウの手元の辺りをじっと眺める。

「ん? ……あ、大丈夫だよ。少し提出遅れても、ちゃんと提出率に加算するから!」

「……そう」

 簡素な言葉と共に少女が花のかんばせを俯くと、銀縁の眼鏡のテンプルに着けられた金色のチェーンが、みどりの黒髪と呼ぶに相応しい長く艶やかな髪の合間できらきらと輝いた。

 その光景にリョウが思わず感嘆の息を零している間に少女は踵を返し、嫋やかな足取りで教室を後にした。

「リョウ、いつの間に本田さんと仲良くなったの」

「あの高嶺の花の本田さんと会話するなんてレア中のレアじゃない? 三年生になってから話してる姿見るの、初めてかも……」

 驚いた顔で尋ねてきたクラスメイトの質問攻めに、リョウは狼狽えながらも独特な雰囲気を纏う華奢な少女の姿を頭に思い浮かべた。そして平均身長より小さい自分を隣に立たせてみる。……が、ロンドンやパリの街中を澄まし顔で颯爽と歩いていそうな少女と近所の商店街で大きな部活のリュックを背負ってヨタヨタ歩く自分の姿へとすぐに変わったことで、その想像はすぐに霧散した。

「仲良くなったというか、……ちょっと世間話をする機会があった、みたいな感じだよ」

「そうなの? 本田さんの世間話って想像できないなぁ」

「休み時間ずっと窓の景色眺めてるし、昼休みもすぐどっか行っちゃうし」

 けどそんなそっけない態度もいい~。とはしゃぐミーハーな女子生徒たちに、まぁ遠巻きに眺めるのも程々にねと微笑んだリョウは提出率の確認のために名簿に赤いチェックマークを並べる。

 そうして地道に名前を確認し、全ての提出物を確認し終わる頃には教室に残っていたクラスメイトたちはほとんど帰っていた。

早く帰ろうと荷物を放り入れたバッグを背負ったリョウはそこそこ重い提出物タワーを抱えると、咎められない程度のスピードで廊下を移動する。そんなとき、ふと彼女の意識は窓の先にある中庭へ向いた。

 窓の側に植えられた、今はまだ青々とした葉が茂っている銀杏の木。その枝で羽休めしている一匹の鳥を見つけたことで、まただとリョウは心の中で呟く。

 眩しいぐらいに真っ白な羽毛で着飾った鳩は、銀鳩と呼ばれているのだと最近調べたことで知ったリョウは、夏休み明けからやけに学校で何度も見かけている気がするんだよなぁと首を傾げる。

 しかし、視線に気付いたのか鳩が唐突に飛び去ってしまったので、リョウは意識を提出物タワーに戻した。そして再び早歩きで廊下を通過し、目的地の進路指導室に辿り着く。

 失礼しますと断りを入れ、リョウは入室しようとしたが、部屋から漏れ出ている声によってピタリと停止してしまう。なぜならば、声の主は中で彼女が提出物を届けるのを待ち構えている件の教師だからだ。

 明らかに不機嫌な声色に、持ってくるの遅かったかなと冷や汗をかくリョウだったが、会話の内容から中にいる生徒の受け答えで苛立っているのにすぐに気付き、一旦安堵の息を吐いた。

 ……だが、教師がやりすぎなぐらい生徒を責め立てているということにも気付いたので、口元を大袈裟に『い』の形にして負の感情を露わにする。

 夏休み前の進路相談で、本当に私立大学を選ぶ気かと再三確認してきた教師の態度によって進みたい道を否定されているような気分になったのが原因で、リョウは件の教師に苦手意識を抱いている。基本人に負の感情を向けない善良なリョウでも、重要な用事がない限りはなるべく会わないようにと避けてしまうぐらいには、その教師は生徒にとって気難しい存在なのだ。

 中で同学年の誰かが詰問されている。これはいけない。と確信したリョウは、勇気と気合で体を動かし、今度こそ失礼しますと宣言してエイヤと扉を開けた。


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