1-9 常識不足




「エリヤ」

 あの公園に戻ってきたリョウは、少年がベンチに座っているのを発見した。そんな彼に、リョウは話しかける。しかし、少年は横目で一瞥するだけで、返事をすることはない。

 それでもリョウは諦めず、彼の隣に座る。

「何見てるの?」

 無言。徹底的にその意志を貫く少年に、いっそ尊敬さえ抱きながら、リョウは少年の視線を追う。

 そこには、子連れの母親がいた。ベビーカーで横たわる赤子に笑いかける母親を眺める少年の行動の意図が分からず、リョウは首を傾げた。

「……そういえば、お母さん元気?」

「ふざけているのですか」

 何か会話のきっかけになればと聞いた何気ない質問に、間髪入れずに返ってきた答え。感情は籠っていないはずなのに、何故かその言葉に怒りを感じ、リョウは背筋が冷たくなるような心地を覚えた。

「え……? ふざけてなんて、ないよ」

「母なんていません」

「そんな。だって、エリヤ、お母さんとお父さんのこと、大切だって言って、」

「覚えていません」

 もはや定型句となり始めている言葉を告げた少年は、またリョウを置いて立ち去ろうとした。しかし、リョウが腕を掴んだことで行動が封じられる。

「どこいくの」

「貴方に行先を教える理由はありません。離してください」

「またコンビニで万引きしないって誓えるなら、離す」

 何も言わず、立ち上がりかけの中途半端な体勢で固まった少年は、あの瞳にリョウの姿をじっと写し込む。

「またするの」

「貴方には関係の無いことです」

「関係あるよ。大切な友達が、盗みをしていたら、悲しい」

「貴方には、関係の無いことです」

「じゃあ、どうして万引きしようとしたの? 何の躊躇いもなくて手慣れてた。何回もやってるでしょ。どうして?」

「欠陥しているから」

 やはり無感情な声だが、その内容はリョウにとってあまりにも衝撃的だった。

「欠陥……? 誰がそんなこと言ったの?」

「自分を、なおした方が」

「なおす? エリヤ、病気なの?」

 疎遠になってしまった間に、何かあったのだろうか。とリョウは顔を青くする。

 同時に、そういえば何で、疎遠になってしまったのだっけ。と疑問を抱いた。あんなに毎日のように遊んでいたはずなのに、どうして今の今まで連絡すら取り合っていなかったのだろうかと。

 けれども、何か思い出そうとする前に少年が首を振ったことで一旦その疑問は立ち消えてしまう。

「いいえ。欠陥以外は正常です。むしろ、貴方のほうが、」

「えっ、私だって元気だよ?」

「この前、倒れかけたはずでは」

「た、たしかにそうだけど、ちゃんと休んだからもう元気だよ」

 その油断が命取りになるのだと言っているんです。と呟く少年。その姿によって、リョウの頬は緩む。

「……エリヤは、欠陥なんてしてないよ。きみはちゃんと優しいきみだから」

「優しい? 貴方の目は節穴ですね」

 どんどん遠慮がなくなっている気がする言葉がまたぐさりと突き刺さったリョウは唸り声を上げる。

「そ、そういうところだよ」

「そういうところ、とは」

「常識、とか、きみにちょっと足りないものだよ。このままじゃ、きみのお父さん、悲しむよ」

 世界を平和しようと頑張るお父さん、憧れなんでしょ。きみがしてること、平和とは真逆の行為なんだから。という言葉に、少年は僅かに瞠目する。特に、『父親』というワードによって明らかに動揺している。それは初めて彼が感情を露わにした瞬間だった。

「悲しむ? そんな様子、一度も」

「一回しか会ったことないけど、きみのお父さんは無暗にきみを責め立てる人じゃないよ。他の人に怒られたり、泣かれたりしなくても、きみがそれを悪いことだって自覚して、やめてほしいって、考える人だから。私も、きみにそうなってもらいたいよ」

「……常識とは、どのように学習すればいいんですか」

 少年の小さな声にリョウは微笑むと、掴んでいた腕を引っ張り、少年をどこかへと誘う。

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