1-8 かっこいい




 リョウの問いに、男児はしゃくりあげながらも顔を上げ、和菓子屋の店員を指差した。

 男児にどう対応するか困り果てていたそのアルバイト店員の女性は、まさか自分が話題になるとは思わず、びくりと肩を震わせた。その目元には、たしかに銀縁のメガネが存在している。

「あれ、本田さん?」

 男児のほうばかり見ていて、店員の顔をちゃんと確認していなかったリョウは、そのアルバイトがクラスメイトであることにようやく気づいた。

 本田、と呼ばれた少女は、リョウとあまり話したことがないためか気まずそうに俯いた。それによって、少し長めの前髪がさらさらと大きなフレームとレンズを隠してしまう。

「あの眼鏡は、五十年以上前のものです。中古品を通り越して、もはや骨董品です。貴方の言葉を借りるなら、古臭い眼鏡ですよ」

「えっ」

「……その人の言う通り、この眼鏡は親戚から貰ったお古だけど、私は、この眼鏡を気に入っている。新しいとか、古いとか関係なく、この眼鏡が好きだから」

 持ち主の言葉を誇るように、ティアドロップ型の銀縁眼鏡が輝く。その姿によって、涙がすっかり止まった男児は、いまだに少年の手の中にある壊れた眼鏡を見遣ると、耳を真っ赤にして地面へと視線を移す。

「けど、ぼくは古いのイヤだもん。こんなオジサンみたいな赤じゃなくて、青がよかった」

「別にあなたが古いのが嫌だとか、そうじゃないとか、赤とか青とかは関係ない。一番の問題は、あなたが親に買ってもらったのものを粗雑に扱ったということ。……お母さんが見つかったら、ちゃんと謝らないといけない。じゃないと、あなたはこれからずっと後悔することになる」

 ぶっきらぼうながらも、ゆっくりとした口調の少女の言葉で諭された男児は、小さく、しかし何度も頷いた。

「眼鏡は、修理しようにも購入料金より費用がかかるでしょう。よって、持ち帰っても捨てるしか方法がありません」

 ぐしゃぐしゃの眼鏡を自分のデイパックに入れてしまった少年は、その代わりにシンプルな青いフレームの眼鏡を男児の目元にかけた。

「不適切な発言の、お詫びです。先程の型落ちと同じものですが、最新型となっています」

「いいの? お兄ちゃんのメガネもらっても」

「構いません」

 先程立ち寄った知り合いが勤務しているシルフで、在庫整理のために押し付けられたものなので、自分には必要ありません。という発言は、不適切であるということを理解した少年は簡潔な言葉のみに留めておいた。

 そんな少年の配慮もあって、男児の顔は喜色満面となる。

「あ、ありがとうお兄ちゃん! もう絶対捨てない! 大事にする! 高校生になっても使う!」

「その頃には経年劣化により機能が低下するので、定期的な買い替えを推しょ、う……」

 します。という語尾は、男児が少年の脚に抱き着いたことで声にならないまま融けてしまった。

 相変わらず顔は無表情なものの、男児を見下ろしている瞳の中の光は、ほんの少しだけ困惑で揺れている。

 動揺。そんな言葉が頭をよぎったリョウは、少年に声をかけようとする。しかしその前に誰かの名前を呼ぶ女性の声に遮られてしまう。

「あっ、お母さん!」

 自分の母親がやって来たのだと気づいた男児は、少年から離れ、母親のもとへ駆けていく。

 男児が無事であることを確認した母親はほっと息をつく。そして、すみません、ご迷惑をおかけしましたとリョウたちに何度も頭を下げた。

 それに対し、リョウはいえいえ私は何もと首を振り、少女のほうもただ店頭に座らせていただけですからとぎこちない営業スマイルを浮かべ、去って行く親子を見送った。

「……あれ? エリヤは?」

「あの男の人なら、あの子のお母さんが来た途端にどこかに行ったけど」

「えぇっ⁉」

 折角見つけたのに! と内心で頭を抱えたリョウは、すぐに追いかけようとする。

 けれども、少女がリョウを呼び止めたことで、全力疾走しようとしていた脚はピタリと停止する。

「なぁに?」

「その……」

「ん?」

 じっと、今日の快晴の空のような色の目で見つめられた少女は、また前髪で目元を隠してしまう。それにどうしたのだろうとリョウは首を傾げる。だが、すぐにその意図の推測が浮かび上がったことで、天色の瞳に光が走る。

「そっか、ごめんね。お店の前でたむろして、迷惑かけちゃったよね。 あ、お詫びになにか……そうだ、この塩豆大福! 十個入り、買うね! じゃあ私、エリヤ追いかけないとだから!」

 レジカウンター前に置いてあった大福の箱を手に取り、電子マネーであっという間に決済したリョウは今度こそ往来を駆け抜ける。

 あ、と少女が手を伸ばす。だが、部活動の基礎練で鍛えられた健脚によってリョウはあっという間に立ち去ってしまったので、彼女の手は何も掴めないまま空を切った。

 空っぽの手をじっと見つめ、重々しく溜息を吐いた少女は、接客アルバイトをしているとは思えない暗い顔で店番をしに戻るのだった。

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