1-5 ゆく川の流れの泡沫のように
麦の言葉に、リョウは一瞬だけ動きを鈍らせた。そのわずかな動揺を見逃さなかった麦は、眉を顰める。
「悩み、あるんだ」
「いや……」
「きみはすぐ顔に出るから、言い逃れしたって無駄だよ」
うう、と降参の意を示す小さな呻きを零したリョウは、諦めて今日のことを麦に白状する。すると、麦はさらに顔を険しくする。
「もう関わらないほうが良いよ。相手も話しかけるなって言ったんだし」
「けど」
「私は、嫌だよ。これ以上友達がヤなヤツに傷つけられるなんて」
「けど、……エリヤだって、友達だよ」
麦の言い分は理解できる、けれど、エリヤと縁を切るのは、間違っている気がする。そんな相反する二つの気持ちで板挟みになったリョウは、考えがまとまっていない言葉を味噌汁と共に飲み込む。
それに対し、麦は何か言おうと口を開いた。……が、遮るように玄関から扉を豪快に開け放つ音が家中に鳴り響く。
「ただいま。これ、桃貰ったんだけど、良かったら食後に食べよう」
粗雑な所作とは裏腹に、帰宅と土産を持ち帰ったということを告げる声はまるで清流のような静謐さがあるタツミは、廊下に続く出入口から頭を見せると二人に微笑みかけた。
「お、おかえり。タツミくん」
「おかえり。もっと早く帰れっていつも言ってるのに」
「だってさ、ほら、隣町の大宮さん。あの人ずっと世間話してくるから……」
剣道教室で師範をしているタツミは、週に一度は夜遅くまで道場で様々な年齢層の人たちに指導している。今日はそれに加えて、人当たりの良い彼は門下生の保護者に捕まって延々と世間話の聞き手になってしまっていたのだ。
「全くやだねぇ。最近は本当に体鍛えるってためだけに来てる人ばかりだから、道場は交流センターって認識の人も増えちゃって」
競争しなくなっちまうのも困りもんだよ。と愚痴を零しつつ、お土産を冷蔵庫に入れてから着流しに着替えたタツミは、はーどっこらせなんて若々しい見た目にそぐわない声を出しながら食卓についた。
「で、何か悩み相談中? 俺は聞かないほうが良いヤツ?」
リョウと麦の何とも言い難い雰囲気を感じ取ったタツミは、胡瓜の浅漬けをポリポリと齧りながら二人に尋ねる。
それにリョウはやはり答えあぐねるが、麦が躊躇いなく事情を話したことでタツミもリョウの身に起こったことを把握する。そして、もう関わらないほうが良いという忠告にリョウが納得していないという現状も理解した彼は何度か頷くと、いいんじゃないと軽い返事をした。
「悪い子じゃなさそうだし、また会ったらなんでそんなことしてたのか詳しく聞けばいいと思うよ」
「何かあったらどうする気」
「むぎは過保護だねぇ。あと少ししたらリョウちゃんだって成人の仲間入りするんだし、もう少し自由にさせてやりなよ。もし何かあったら俺が不届き者ぐらい一捻りして然るべき対応するだけだし」
縁切るの嫌なんでしょ。なら納得するまでやりなよ。
その言葉に、リョウは天色の瞳をキラキラ輝かせ、笑顔を浮かべた。そして、丁度夕飯を平らげたので、私が桃切るよと言って台所に向かう。
「全くいつも適当なんだから」
「適当じゃないよ。川の流れのように、水の泡のように生きるっていうのが俺の座右の銘なの」
明朗闊達さを表すようにカラカラと笑うタツミと、そんな彼を世捨て人気取りだと呆れる謹厳実直な麦。そんなある意味で対極な二人のお陰で、麦は今日も悩みなく日々を終えられそうだ。
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