1-2 エリヤ
どこを見つめているわけでもない、無機質なガラスの目。人間に似ているはずなのに似ていないその姿。そんなヒューマノイドに怯え、すっかり体内の熱が冷えた彼女は、レジとは反対側にある飲料売り場に向かった。
ガラスケース内に整然と並べられたペットボトル飲料たちの中から一つ選び、さっさと購入しよう。頭ではそうやって冷静に考えるものの、焦る気持ちが少女の選択を迷わせる。視線ばかりが彷徨き、一分、二分と滞在時間が伸びていく。
そして、ヒューマノイドの視線が背中に突き刺さるような錯覚を抱いてしまい、ますます焦燥が募り始めたその時、一人の男性が飲料売り場にやって来る。
隣の人と同じものを選ぼうかと投げやりな考えを抱いた少女は、男性を横目で見る。すると、彼女は焦りなんて忘れるぐらいの驚愕を覚えた。
隣にいたのは、少女と同い年ぐらいだと思われる少年だった。彼の瞳は、光の加減で七色に色合いが変化する珍しいもので。少女に限らず、誰しもが思わずそれをじっと見つめてしまう不思議な魅力を持っている。
しかし、少女がその瞳を見つめている理由は、単なる珍しさからではなかった。彼女は、ずっと前からその瞳を、その瞳を持つ人を知っていたのだ。
あの人はエリヤだ。少年は、小学生の頃よく遊んでいた親友のエリヤに間違いないと、彼女は確信した。
一度その瞳を見てしまえば、忘れかけていた記憶が次々と蘇る。泣き虫で、臆病だったけれど、人に優しかったエリヤ。昔は少女より小さかったのに、今では首が痛くなるほど見上げないといけないぐらいに身長が伸びている。
懐かしさと感慨深さで彼女の胸の辺りがジンと熱くなる。外の不快な暑さとは違う熱だった。
そして、『エリヤ、久しぶり。私のこと覚えてる?』なんて、ありふれた挨拶をしようとしたその時だった。……少年は、スポーツ飲料を自分のバッグの中に入れたのである。
あまりにも自然だった。一瞬、善良な少女でも違和感に気づけないぐらい。それぐらいに、手慣れていた。
そんな白昼堂々の犯行に息を詰まらせた少女は、乾いた舌をどうにか動かす。
「な……何してるの、エリヤ」
震え、掠れた声は、少女の想定よりもかなり小さな声だった。
居合わせた人間に犯行を見られていると気づいたのか、彼女の問いかけに応じずに少年は盗んだペットボトルを売り場に戻し、足早に店を出ていく。
「待ってよ! ねぇ、エリヤ!」
いくら古い売り方のコンビニとはいえ、防犯装置はちゃんとあるはずだ。どうして作動しなかったのかと少女が疑問に思いながら少年を追うと、沈黙しているヒューマノイドがふと視界に入る。
あれ? そういえば、普通なら入店した時に挨拶されるのに、今回はしてこなかった。
そんな違和感によって、ヒューマノイドが故障している、……あるいは、少年によって動けなくなってしまったのではないかと少女は検討をつけた。
清潔感もあり、それなりの金額で買っただろう服を着用している。過剰に痩せていたり、太っているわけでもない。つまり、生活には困っていない。なのに、彼は何の躊躇いもなく物を盗む。まるで、スリルを楽しむ遊びのように。そう考えた少女は、幼い頃のエリヤとの乖離にゾッとした。
しかし、すぐにそんなはずない。そんなことをする子じゃないと首を振った少女は、店を出た少年の後を追いかける。
「待ってってば、エリヤ! ねぇ!」
小さなバッグのみの身軽で脚の長い少年と、大きなリュックを背負っている小柄な少女。しかも、涼しげな顔の少年とは違い、少女は暑さでかなり疲労している。
その疲労は彼女の許容範囲を超え、唐突に足取りが覚束なくなった。
「あっ……!」
かくん、と膝が折れ、道端の塀にどうにか寄りかかった少女は、ずるずると蹲る。しかしそれは逆効果で、下で待ち構えていた強い日差しで熱されているアスファルトがますます彼女の体力を奪っていく。
「エリヤ……!」
頭痛と眩暈で自分の意思と現実が乖離していくような感覚。それに伴って、視界が歪む。
それでも友人の名前を少女が呟いたその時、ひんやりとした感触の何かが彼女の右手首を掴んだ。
「大丈夫ですか」
「エリヤ、」
「立てますか」
「エリヤ……」
見て見ぬふりをして逃げることは出来なかったのか、わざわざ踵を返して戻って来た少年は、蹲っている少女の安否を確認してきた。しかし、彼女はうわ言のように友人の名前を呼ぶだけだった。
そんな彼女の異常に少年は顔色一つ変えず、そっと彼女の額に手を当てた。その手は、やはり氷のように冷たい。
「エリヤ?」
「身体に痛みは」
「え?」
「筋肉痛のような痛みはありますか」
「ある、かも」
「頭痛や吐き気はありますか」
「ち、ちょっと頭、痛い」
「軽度の熱中症ですね。もう一度尋ねます。歩けますか」
「う、上手く立てな、──⁉︎」
背中の重みがなくなったと少女が認識した直後、彼女の体は少年によって軽々と持ち上げられる。
自分の身長では見ることの出来ない高さに目を白黒させながら、少女は降ろされた荷物と共に、大人しく公園のベンチへと運ばれた。
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