ありえない技にあこがれないこと

 スポ根青春マンガの金字塔『エースをねらえ!』にこういう台詞がある。


《特訓のつらさから魔球だのなんだのありえない技にあこがれないこと

 ありえない技ににげる その精神のよわさが問題だ

 小手さきの邪道にはおちるな

 めざしたいじょうは どうどうとテニスの王道をいけ!》


 主人公岡ひろみのコーチ――宗方仁の台詞である。

 世界で通用するプレイヤーを目指す上で大切なのは、生まれ持った才能よりも、本人がどれだけ努力できるか。

「基本があってこその技」という教えは、作中で何度も出てくる。

 大体どの分野においても基礎練習というものは、地味で辛くてきついものである。それを愚直にやり続ければ上手くなるということも、みんな分かっている。


 しかし、基礎練習の効果は一日、二日で出るものじゃない。高いレベルを目指していれば目指しているほど、それなりのことをやる必要があるし、それでいてちっとも成長を感じられないと、だんだん焦ってくる。そして多くの人が(こんなこと続けてるよりも……)と、基本が身につく前から練習法を変えてしまったり、(もっと効率のいいやりかたが……)と、近道や裏口のことばかり考え出すようになるわけだ。

 覚えがありすぎる。


 いい小説を書こうと思ったら、基本はやはり「書く」と「読む」だと思うが、結果が出ない時期が何年も続くと、執筆の芯がときに「対策・傾向」「安易な流行り」へとぶれてしまうことがある。

 信念を持った上で作風や執筆スタイルを変えるのならそれは大きな決断だろうが、そこに逃げの気持ちがほんの一欠片でもあったら、やることなすこと小手先の邪道となり、ひどい場合、自分がなんで小説を書いているのかさえ分からなくなってしまう。

 どこを見ても真っ暗だ、一体どこで迷ったのかな。

 ……とまぁ、こんな具合に。

 

 最近読んだ『浮世に言い忘れたこと』というエッセイにも

 ●何事も基本があってこそ

 ●我慢が足りないと実を結ぶものも実を結ばない

 ●腹を括ったのならモノになるまで愚直にやり続ける

 こういったことがたくさん書かれていた。著者が昭和の大名人と呼ばれた落語家――三遊亭圓生なだけに、説得力がめちゃくちゃある。

 

 とにかく、いい作品を書こうと思うのなら、とことん地道にやっていくしかないわけだ。コソコソちょこまかせずに、堂々と構えて、誠実に一歩一歩……。



《~近況報告も兼ねて~》


 僕の場合、速さ重視でぶわーっと書くよりも、一行一行自分を納得させながら進めるやりかたのほうが合ってるみたいです。

 第八回『突き飛ばされたような感じがして(後編)』でチラッと書いた7、800枚ものの長編を、いまコツコツ直してるところなんですけど、ぶっちゃけこれ、改稿じゃなくて新作書いてるようなもんですね(白目)

 初稿は、出来不出来よりまず書き切れって言いますけど、書き上げることだけ考えて書くのもよくなかった……。


 野球で喩えるなら素振りのための素振りをしていたような感じですね。ヒットを打つためじゃなくて練習の練習が目的になってる。

 物事を愚直にやり続けることは大事だけど、「愚直」と「なにも考えずにやり続ける」は別物なので、今後はそこらへんもちゃんと考えていかねば。

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