突き飛ばされたような感じがして(後編)

 ――おっと。今日はやけに話があっちこっちいってるな。なんせひと月ぶりの更新だ。

 ツイッターをやめただけでなく、近頃は落語にもハマっている。

 あと、『「待った」はもう使い切っている』の回で触れた群像劇も先日600枚を超えたのだが、まるで終わらない。


=以前書いた内容=


 いま群像劇を書いている。

 群像劇を書くのは初めてなので毎日「あーでもないこーでもない」と手探りで書いているのだが、これが面白い。

 3人の主要人物を軸に進んでいくストーリーが今日320枚を超えた。

 これでようやく全体の40パーセントといったところか。このままだと700枚近く――もしかしたら700枚を超えるかもしれない。


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 700枚どころか800枚近くいきそうだ。ここまで長いのは書いたことがない。初稿なので広げられるだけ広げてストーリーも三部構成と大きめだが、二稿目でまず三部構成が二部構成になる。約束された大改稿(再考で改稿で最高となればいいのだが……)

 書いているうちにこのストーリーはかなり勉強が必要な分野だということも分かってきて、こうなってくるともう「執筆の息抜き」だとか「寂しさを紛らわせたいから」とか、甘っちょろい理由で羽休めをしていられなくなった。


 それに、ツイッターをやっていると、「○○賞の一次選考通りました」「最終候補に残りました」これ系のツイートをときどき見かける。見たくないならはじめから作家志望者のアカウントをフォローするなという話なのだが、してしまったものは仕方ない(尊敬している人も中にはいるのだ)

 ただ、その人はその人。僕は僕。人の歩みに気を取られて自分を見失うぐらいなら、これからはその人のことも見ないようにしようと思う。作風も違えば、書くペースも違う。積み上げてきたものの数だって。

 そもそも、比べること自体意味がない。

 たとえその人達が近いうちにステップアップしようと、僕が集中するべきことは、他人の動向よりもいかにいい作品をモノにできるかだ。そのことだけ考えればいい。


 そういった理由から、今回ツイッターをやめることにした。

 アカウントを削除した直後は「やっちまったかな……」と、未練がましい気持ちも正直なくはなかった。

 削除後何日かであればアカウントを復活させられるようだし、とりあえず一週間やめてみて、それでもやっぱりツイッターをやめられないなら復活させるか――なんてことを思っていたのだが、「やれやれ」と一息ついた瞬間だった。


 いきなり後ろから突き飛ばされたような感じがして、思わず振り返った。 

 だが、深夜一時、ベッドに腰掛けていた僕。そこに誰かいるはずもなく……。


 ここまで長く付き合ってもらって最後にこんな胡散臭いスピリチュアル話になってしまい申し訳ないが、でもあの瞬間「――あ、これでいいんだ」と思った。

 この選択は間違っていないんだと。


 ……それにしても、ツイッターをやめただけの話をここまでガタガタうだうだ書ける奴もそうそういないんじゃないだろうか?(前編と合わせると約3000字)

 しかし、気が楽になった。

 推敲まで含めると、今回の前後編を書くのに四時間かかったが、「俺はもう大丈夫だ」と思えるようになったのでヨシとしよう(SNSよりもこっちのほうが無駄じゃない?)


 そういうわけで今回のエッセイは、僕のバイブル――『虚空遍歴』(山本周五郎)の名台詞で締めようと思う(以前もこれやったよな?)


【男が自分の仕事にいのちを賭けるということは、他人の仕事を否定することではなく、どんな障害にあっても屈せず、また、そのときの流行に支配されることなく、自分の信じた道を守りとおしてゆくことなんだ】

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