第9話 学級日誌

 手に持った黒板消しを走らせると黒板に残っていたチョークの粉が舞う。光に照らされ、銀色にきらめきながら窓の外へと流れていく。

 窓の外からは、到底数えることができないくらい、幾重にも重なり合ったセミの大合唱が響いている。

「うーんっ。っしょ、……はぁっ」

 セミの鳴き声にかき消されるぐらいの、小さな声が断続的に耳に入ってくる。横に目を向けると、百代が黒板上部へ懸命に腕を伸ばしている。

 背伸びをする彼女を見ながら、一学期最後の日である今日を頭の中で少しばかり振り返ってみた——体育館での終業式を終えたし、教室に戻ってきたからは夏休みでの心構え等を先生から聞いた後、通知表も受け取った。通知表の中身をゆっくりと除いた際、隣席の男子が「餅太郎、顔色が悪いんじゃないか?」などと、にやけた面で話しかけてくるものだから「目にゴミでも入ったんだろ」って言ってやったさ、……まあ自宅に帰った後、どう説明するか今も考え中だけどな。

「……くん」

「……?」

「餅太郎君」

 小さく柔らかい声に我に返ると、学級日誌を持った百代が目の前に立っていた。

「ごめん、何だった?」

「私のところ書いたから……餅太郎君も書いて。職員室に持っていくから」

 百代は手の持っていた学級日誌を開くと俺に手渡してくれた。

「そうだな……何を書こうか」

 俺は自分の席に着いて鉛筆を手に取った。

「……」

 いざ何かを書こうと、紙を前にしても言葉が浮かんでこない。夏休みの読書感想文のように、しばらく白紙と睨めっこをしていた——が百代を待たせている罪悪感から、彼女の姿を求めて教室内を見渡した。

「あれ……どこ行った?」

 いつの間にか、教室から百代の姿がいなくなっていた。誰もいなくなった教室で一瞬呆気にとられたが、すぐさま教室後ろの扉が開き百代が戻ってきた。手には普段後ろの棚に飾られている花瓶を持っていた。百代は花瓶を元の場所にゆっくりと戻すとポケットからハンカチを取り出して花瓶の縁を拭っている。

「……素直に書こう」

 百代の姿をみて自然と言葉がこぼれた。

 そこからは、鉛筆がすらすらと走り、学級日誌をほんの数分で埋めることができた。若干自身の気持ちが出てしまっているが、まあいいだろう。

「百代、書けたよ」

 学級日誌を受け取った百代は、供託に置かれたプリントの束も運ぼうとした。

「そっちは俺が持つよ、職員室まで一緒に行こう」

「あ……うん」

 少しためらう表情を浮かべたが百代は小さく頷き、二人で書類を抱えると一階にある職員室まで歩いて行った。

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