第27話 皇太子襲来 第4話

「何故王太子が頭を下げられたのか解りますか?」

 ガレオの部屋で課題を拡げながら、声が出ないのを知っていてディランは言う。

「…」

 ガレオはぶんぶん首を振る。

 謝るようなことをした覚えは無い。

 一体奴等やつらは何を怒っていたんだ。

 国ではそうしてやってきたのだ。

 皆笑顔で受け入れるものだった。

 自分は皇太子なのだから、喜ぶべきことだと。

 周りの者もそう言う。

「貴方にも分かるように言うと、貴方が悪いことをしたからです。」

 ディランは思い切り良くバッサリ切る。

「公の場で、相手の同意無く、女性の胸を触る行為は、我が国では犯罪です。貴方は犯罪者なんですよ。」

 ディランは無表情に噛んで含めるようにガレオに言う。

『犯罪』という言葉に嘘を吐けと怒鳴りたいが相変わらずぴくりとも声は出ない。

 皇太子を犯罪者呼ばわりとは!

「貴方の国でも、一定の犯罪行為とされているはずです。本当に勉強が不足してますね。」

 やれやれとディランは溜め息を吐く。

 目一杯馬鹿にしている。

 ガレオは馬鹿にするなと怒鳴りたいが怒鳴れない。

「王太子は、皇太子である貴方が訴えられて犯罪者になるのは、と思われて、被害に遭われた方に、貴方の代わりに謝罪なさったのです。」

 暗い眼の色でディランはガレオを見据える。

 犯罪者を見るように。

「お分かりになりますか?」

 どうせ分からないだろう、という口調でディランは言う。

「ちなみに罪状は『痴漢罪』ですね。本当に恥ずべき犯罪です。」

 蔑んだ眼でディランはガレオを見下ろす。

 怒りを目にたぎらせこちらを睨むガレオに、反省の色は無い。

 ふ、とディランは口の端だけで微笑んだ。

「女性がどういう思いをしたか、思い知らせて差し上げましょうか?」

 ディランはガレオの胸ぐらを掴むと軽々と寝床に放り込んだ。

 組み敷くと両手を片手で纏めて押さえつけ、自分の胸元を緩める。

 この程度で押さえ込めるとは、鍛え方が全く足りない。

 これならエレノアの方が手こずりそうだ。

「…何をされるか、お分かりですね?」

 にぃっとディランは微笑った。

 悪魔の笑みだ。

 ガレオは青ざめて首を振る。

 止めろと口は動くが声は出てくれない。

「経験、お有りでしょう?」

 ぷち、ぷち、とわざとゆっくりとボタンを外していく。

「立場は逆でしょうが。」

 くす、と微笑む。

 その笑顔にガレオの恐怖は頂点に達する。

「如何ですか?よく知りもしない、好きでもない男の欲望のけ口にされる気分は?」

 ぐい、と膝を抱え上げる。

「貴方がやったのは、こういうことです。」

 ガレオが声なき悲鳴を上げる。

 ディランは吹き出す。

「…冗談ですよ?本気にしました?」

 含み笑う。

「ま、でも懲りたなら反省して下さいね。」

 笑顔の眼の奥の光は針のように鋭かった。

 ガレオは必死で頷いた。

 ディランはアイラへの謝罪を要求し、ガレオは飲んだ。

「俺も付き添って差し上げます。」

 ちゃんと謝れよ、との圧にガレオは屈した。渋々頷く。


「王太子殿下が何故俺をそばに置くか解りますか?」

 身分低い、平民出を。

 その後有無を言わせず(言えないが)課題をやらせながら、ディランは割りと真面目な顔でガレオに問う。

 ガレオは知るもんかと首を振る。

 自分ならこんなやつ絶対そばには置かない。

 こんな恐ろしい奴。

 平然とそばに従えるなんて、やはり王太子は凄い。

 この二人が実は恋仲だから、などと言う話も聞いたが、さっきの今で、とてもそんな話は言い出せない。恐ろしい。

 どちらにせよ相変わらず声は戻らない。

「俺はね、自分の意見を言うからですよ。」

「?」

 何をいってるんだこいつ。

「王太子殿下の考えが自分と違えばそう言うし、間違ってると思えばそう言います。」

 何だそれは、やはり不敬なやつだ。

「だから王太子殿下は俺をそばに置くんですよ。」

 歯に衣着せぬ、他者の意見を聞くために。

 テオが居たら、着せな過ぎだと言うかも知れないが。

「?」

 全く理解出来ない。

 上に立つものは自分の意見が有れば良いのだ。

 他者の意見など聞けば影響される。

 それでは自分の思う通りのまつりごとは出来ない。

 ガレオはそう考えている。

「貴方なんかには分からないでしょうが。」

 ガレオに理解させようとは思わない。

 都合の良い事を言う人間に囲まれ、都合の良い情報を吹き込まれ、それで良いと思ってる男には。

「それが上に立つものの度量ですよ。」

 テオはだからあの時自分を友にと望んだのだ。対等に話せる相手として。

 だから自分も友としてそれに応える。

 ガレオには、一生解るまい。

「いくらついて歩いても、今の貴方では一生王太子殿下の足元にも及ばないでしょうね。」

 テオについて歩けばテオのようになれると思っているなら大間違いだ。

 まず礼儀作法がなってない。学力が低い、武術も出来ない。

 ディランは口答え出来ないのを良いことにガレオの現状を次々とあげつらう。

「何も学ぼうとしないのだから、無理有りませんけど。」

 学ぼうとする姿勢がない。

 常にやらされている感満載だ。

 努力が全く足りない。

「ですから、そろそろルイ様は諦めて下さいね。」

 白々とした笑みでディランはガレオに通告する。

 いい加減諦めて国に帰ったらどうだ。

 その方が互いの平和に繋がる。

「!」

 ガレオはぶんぶん首を振る。


「…皇太子って、」

「ああ。」

 聞きたくもない。

 ガレオがルイに本気だなんて。

 皆まで言うなとエレノアは手を上げる。

 あれは本当に子供だ。

 ルイの関心を引こうとしてあんな行動をしていると、気付いてしまった。

 所謂いわゆる

『好きな子ほど苛めたい。』

 というやつだ。

 迷惑極まりない。

 いくらテオが自分の婚約者だと言っても引き下がらないのも、認めたくないからだろう。


 テオもルイとの会話の中で気付いた。

『顔だけ女』

 ガレオはルイをよくそう言う。

 ルイが可愛いのは周知の事実だから見過ごしていた。

 これは、ガレオがルイの容姿を好ましいと思っているからに他ならない。

 気付いてから見るとガレオはルイにこっちを見ろ、こっちを見ろ、と行動する。

 ルイがテオや他の誰かと話すと機嫌を損ねて大騒ぎする。

 二人も妻がいるくせに何なんだ。

 自分はようやく婚約に漕ぎ着けたところなのに。ああ、もう早く結婚したい。ルイは自分のものだと宣言したい。


「何故、ルイはあのように思っている?」

 容姿に自信無さげなルイ。有り得ない。

 何かしらの原因があるのでは、とテオはエレノアに疑問をぶつける。

「我々がそのように仕向けたことは認めよう。」

 エレノアは平然と言う。

 ルイに面と向かって『可愛い』と言うのは女王寮、いや、女生徒の間では不文律の禁止事項だ。

「何故だ?」

 ルイの可愛さを認めないような態度に、眼がやや剣呑な光を帯びる。

「では聞くが。『殿方が寄ってくるのは君の可愛さ所以だ。だが断れ。』とルイに言えと?」

「それは…」

 ルイが寄ってくる男達の思惑に全く気付かなかった事を思い出す。

 ルイは優しい、気付いてしまえば自ずと対応が変わるだろう。

「ルイがそれに耐えられるとは思えんな。」

 入学して数日の間に、何人もの男子生徒がルイに声を掛けてきた。

 都度追い払っていると、ルイに何の催しかと聞かれた。

 だからその勘違いがそのまま続くよう、女王寮の生徒達に厳命したのだ。

 催しの戯れと思うから型通りに断れるのだ。

 本気で想いを寄せられれば、本気だと気付けば、人のいルイは断れないかもしれない。

 或いは断る度に気に病むだろう。

 あの人数だ。潰れてしまう。

「…、そういうことか。」

 テオは息を吐く。

 エレノア達は本当にルイを守ってくれていたのだ。心まで。

 そしてルイが、ルイで良かった。

「感謝する。」

 テオは深々と感謝を示した。

「別に君の為ではない。ルイが詰まらぬ男に引っ掛かるのが看過出来ないだけだ。」

 君も含むぞ。

 極めて面白くなさそうな顔でエレノアは言う。

「それでもだ。感謝する。」

 テオはもう一度頭を下げた。


「分かりましたよ兄上!」

 アイラへの謝罪のため、ようやく声を取り戻したガレオが、何やら自信たっぷりに言ってくる。

 アイラ達へはディランがきっちりと謝罪をさせたらしい。

 ウィリアムズ義兄妹きょうだいは引く程驚いていたそうだ。

「何かな?」

 どうせろくでもないことを言うのだろうと、テオは身構えた。

 永遠に魔法が効いていれば良かったのに。

「兄上がルイーズにこだわる理由です!」

「…ほう」

 いや拘ってるのはお前の方だろう。

 それに、拘ってるのが分かってるなら手を引けば良いのに。

「この国はとかく女を大切にしすぎる。」

 まず女性が優先の礼儀作法が当たり前。

 先に立って扉を開けるだの、段差を降りる時に手を貸すだの。

「だからなのでしょう?」

 したり顔でガレオは言う。

「つい手を出してしまったルイーズにセキニンを感じておられるのでしょう!」

 どうだ、正解だろう、とガレオは得意気に胸を張る。

「…」

 鉄の自制心でテオは笑顔は保つが、さすがに咄嗟に言葉が出ない。

「顔だけはよい女だ!つい、という気持ちもわかります!」

 テオが答えないのを良いように取ってガレオは言い続ける。

 うんうんと頷く。

「大丈夫ですよ兄上!引きわたしていただければオレがちゃんと上書きして差し上げます!」

 ガレオは良い笑顔だ。

 頭が、沸騰しそうだ。

 ルイを、僕のルイをどうすると?

 気付けば手に魔力が集まっている。ぱりぱりと小さな音を立てて。駄目だ。隣国との関係や王太子という立場を考え、握り潰そうと、鎮めようとするが、上手くいかない。ますます魔力の濃度が上がっていく。もう、いっそこのままガレオに叩きつけて、思い知らせて…。

『落ち着きなよ』

 不意にノアの声が脳内に響く。

『それはルイが悲しむと思うな』

「…」

 すう、と魔力が解けて消える。

『兄さん…。』

 どうして。

『そろそろ限界じゃないかってフレイヤが。』

『妹にも弟にも甘いんだから』

 嬉しそうに笑う気配が遠ざかる。

「…そういう、品の無い事を、こんな公の場で、口にすべきではない。」

 何とか最悪の事態は回避出来たが、ある意味対皇太后に匹敵する自制心が必要だ。

 テオは強いてゆっくりと、言葉を紡ぐ。

 そうしないと保てない。

「はあ。」

 何が下品だと言われたのかも分からない顔でガレオは返事をする。

「それに、私は、心から彼女を愛している。」

 理解しろ。いい加減。

「チギればそうサッカクするものですよ!」

 ガレオは悪びれもしない。

「…錯覚、か。」

 テオは、ふ、と微笑む。

 どこまで人の気持ちを愚弄するんだ。

「ええ!そうですとも!」

 ガレオはテオの怒りに全く気付かない。

「ならば私は一生錯覚それで構わない。」

 一生続けば、錯覚ではなくなる。

「?」

 ガレオはテオが何を言ったか理解していない。

「話は終わりだ。」

 これ以上付き合ってられるか。


「ルイは今、僕に甘えてる?」

 抱き締めて口付けて、ガレオからのひずみを癒してもらった後。

 歪みが強く、いつもより強引にしてしまった。

 ルイはそれでも応えてくれて、腕の中で真っ赤になってくったりと自分にもたれかかっている。

 むしろ自分の方がルイの優しさに甘えている。

 そして、あの日からの疑問をついに口にする。

 どう思い返しても、ルイがいつ甘えてくれたのか分からなかった。

 言われたルイは慌てたようにぱっと身体を離す。

「?」

 離れられて距離を詰めるとまた離れようとする。

「ルイ?」

 焦って引き寄せようとすると禁止令以来珍しく拒む。身体を押し返される。

「ルイ、どうして?」

 やや衝撃を受けて強引に抱き締めようとする。

「テオ様こそどうしてです?!甘えるなと仰ったのに!」

 なのに甘やかそうとしないで欲しいとルイは抵抗しながら堪り兼ねたように訴えた。

 まさか、ルイの甘えるって、甘えてるって、これなのか?

「甘えるなとは、言ってないよ。」

 抵抗するルイを無理に抱き締めた。

「そ、うなのですか?」

 ルイは、押し返す手から力を抜いた。

 躊躇いがちに腕の中に収まる。

 やっぱり!これがルイの『甘える』!

 テオは感動する。

 抱き締めるのを許してくれているとばかり思っていた。

「…そうだよ。僕はもっと甘えて欲しいのだから。」

「もっと…」

 言われたルイはテオの胸に頬を預け、その背に腕を回した。

 きゅ、と抱き付く。

「!」

 駄目だ。可愛い。

 テオが驚いたのに気付いてまたぱっと離れようとする。

「申」

「違うよ。嬉しいんだ。」

 謝ろうとするルイを遮り、ぎゅうっと抱き締めた。

 そう言われてルイはまたおずおずとテオの背に腕を回した。

 …ああ、もう、可愛い。

 食べてしまいたい。

 つい、で手を出すなら、もう何回出したか分からない。

 その都度まだ早いと何とか自分を押さえている。

 こんなに、大切にしているのに。

 今更ながらガレオに怒りが湧く。

 何故あんなに執着する。

 そう考えて思い直す。

 自分が思うのも可笑おかしなものだ。

 自分こそが、誰よりもルイに執着しているのに。


 最近ディランは嫌がらせのようにエリシェン語の敬語のみをガレオに教え込んでいる。

 勉強の為にエリシェン語のみを使うよう言い渡したらしい。

 いつの間にか主導権を握っている。

ケダモノしつけるには、どちらがか分からせれば良いんですよ。」

 ディランはにっこりと笑む。

 テオは何があったかは聞かないことにした。

 ルイとゆっくり会う為にも。

 エリシェン語でまでは悪口雑言を言えなくなり、ルイの周りはとりあえず静かになった。


「おはよ、ござ、ますみなさん!」

 声だけは大きく、しかしたどたどしくガレオはエリシェン語で挨拶をして教室に入っていく。

 実は本人は『お早う、諸君!』と言っているつもりだ。

「お早うございます。皇太子殿下。」

 ルイはそう挨拶を返す。

 周りもそれに倣って挨拶する。

「お早うございます、皆さん。あとお早うルイ。」

 テオは前半はエリシェン語、後半はアリアス語だ。

「お早うございます、王太子殿下。」

 ルイもテオに合わせてアリアス語で返す。

 皇太子のエリシェン語の勉強の為に、皆敬語で話そう、とテオが生徒達も巻き込んだのだ。

 なのでテオも皆に敬語で話すので生徒達は恐縮しきりだ。

 ルイにだけは親しみを込めてアリアス語で話す。

 騙してなんかいないよ。

 勉学の為に協力を惜しまないだけさ。

 テオはそう思っている。

 ようやく挨拶を出来る程度か。

 こんなに学びが遅いものだろうか。

 わざと留学を延ばそうとしているのか?

 テオは勘ぐるが、ディランはやれやれと首を振る。

 割りと優秀な人間に囲まれてきたテオには分からないのだろう。

 単に出来が悪いのだ。

 敬語のみを教えるのは半分嫌がらせでもあるが、半分は合理的に考えている。

 普通の言葉と両方なんて、憶えきれないだろう。

 ならば外交等で使う敬語だけ憶えた方が良い。

 それはそうと。

「そのな皇太子殿下が、何故」

「僕やルイはともかく、周囲の人間の事まで知っていたか、だろう?」

 自分も気にはなっていた。

 初対面でエレノアの氏名及び境遇(やや情報が古い)を口にした。

 ガレオ本人の知恵ではあるまい。

 変な所で変な知恵が回るが、そういう用意周到さは微塵も無い。

「誰か吹き込んだ人物が居るんでしょうね。」

 周囲に情報収集能力に長けた人物が居る。

 まだ調査中だ。

 或いは今回の事はそいつが仕組んだか。

 だとしたら消そう。

「久々見ましたその表情かお。」

 ディランはわざと引き気味に言う。

 恐いんで止めて下さい。悪魔も逃げ出しそうですよ。

 …悪魔がそう言うのだから間違いはない。

「ルイ様に怖がられても知りませんよ。」

 それはまずい。

 テオは頬をさする。


 たどたどしくエリシェン語の敬語を話す皇太子はディランの目論見もくろみどおり、一部生徒達から受け入れられるようになった。

 挨拶と、簡単な会話を交わせる程度だが。

 尊大さがエリシェン語への自信の無さで緩和されているのも良い傾向だ。

 余り嫌われ過ぎても将来的に禍根が残る。

 実際、ルイに対する態度で、同級生(特に女生徒)達からは敬遠されている。

 この学校は将来の国を担う貴族の子弟が集っているのだ。

 こんなことで、両国の関係を悪化させたくない。

 テオは思う。

 ルイを悲しませたくない。

 ただでさえ、皇太子が敬遠されている事に、責任を感じているのだから。

 自分がもっと上手く受け流していれば、と。

 どう考えてもガレオの所為なのに。

 早急に性根を叩き直してやらなければ。


「ところで、御義母様はこの事を御存じなのだろう?」

 テオは報告書を手にディランに尋ねる。

 ヴィロア帝国で調査をとなれば、ルイの母上の手を借りているのだろう。

「気に入らないのは存じてますよ。」

 御義母様は早くないか?

 それに今更だ。

 皇太后ルイの御祖母様からの手紙だけでも、知らされる事など解っていただろうに。

 それに知らされずとも知っているに違いない。

「そういう訳じゃない。」

 気に入らない、じゃなく、気に入られてない、だ。

 まだ、認められてはいないように思う。

 ルイの父上は、渋々ながらやや認めてくれたように思うが、母上にはあの時、失望されたままだ。

 また手を煩わせて、自分だけでは対処しきれないと、ルイを守りきれないと思われているのじゃないだろうか。

「一つ、考えがある。」

 ディランに耳打ちする。


 ガレオは焦り始めていた。

 すぐにルイーズを連れて国へ帰るつもりだった。

 まさかこんなに勉強させられ、いや、時間がかかるとは。

 わざわざ迎えに来てやったのに、周りの人間が何故か寄ってたかって邪魔をするので、ルイーズとまともに話も出来ない。

 エリシェン語しか使えなくなったので余計にだ。

 何より、もうすぐ留学期間が終わってしまう。

 国へ、もう少し長く滞在するつもりだと手紙は送ったが、まだ返事は無い。

 ルイーズとさえ話せれば、簡単に行くはずなのに。

 二人きりなら、優しく愛を囁いてやっても良い。

 そうすれば機嫌を直してすぐついて来るだろう。

 ずっと婚約者だったのだから。

 きっとあまり長いこと会っていなかったので拗ねているのだ。

 子供だな。

 だからと言って、当てつけに王太子と契って婚約者を名乗るなど。巻き込まれた王太子が気の毒だ。

 自分を裏切った罪は重い。

 国へ連れ帰ったらお仕置きだ。

 まあ泣いて謝れば許してやる。

 我ながら甘いな。


「?」

 テオは気付いた。ルイが今日も預かってきたガレオの教科書に折った紙片が挟んである。

「どうなさいました?」

 ルイは紙片を手にしたテオを見上げる。

「ああ、皇太子殿下の忘れ物のようだ。」

 テオはにっこりと微笑んで紙片をポケットにしまった。

 ルイ宛ての付け文だ。

 二人きりで会って話したいと。

 良い度胸だ。

「テオ様?」

 不安そうなルイの声にはっとする。

 今、もしかして例の表情かおだったか?

「?どうかした?」

 微笑む。

「…いえ…」

 一瞬見たこともない表情に見えた。

 気のせいだったか。

 ぐい、と引かれ、抱き締められる。

 暖かい。強引だけどその腕は優しい。やはりきっと気のせいだ。

 テオの胸に頬を寄せる。

 さて、どうしてやろうか。

 顔を見られないようにルイを腕の中にして、テオは考える。

 きっと今、酷い顔だ。

 ルイをぎゅう、と強く抱く。

「テオ様?」

 不思議そうなルイの声。

 離したくない。取られたくない。

 このまま部屋まで連れて帰って、閉じ込めておけたら。

「あの、どうされたのですか?」

 何も言わずに抱き締め続けるテオをさすがに不審に思う。

「…不安に、なった。」

 溜め息のようにルイに囁く。

「君が居なくなったらと思うと。」

 頬を擦り付ける。

「っそんなこと。どうして、急に?」

 甘えるようなテオの仕草にどきりとする。

 不安になった。テオはそう言った。

 不安になるようなことを、してしまったのだろうか。

「何か、してしまったのなら申し訳ありません。」

 思い当たらない。

 でも謝る。不安にさせてしまったのなら。

「…違うんだ。僕が勝手に、急に不安になった。」

 何度も頬を擦り付ける。

「居なくなっちゃ、嫌だよ。」

「…はい。ずっとおそばります。」

 いつになく小さな声で囁くテオの背に腕を回し、ルイは誓う。

 テオをぎゅっと抱き締める。これで安心してくれたら。

「ありがとう。ルイ。」

 ようやく息を吐く。

 ルイから抱き締めてくれたのは嬉しいが、我ながら格好悪い。

 結局ルイの優しさに縋った。

 側に居ると誓ってくれた。

 狙い通り。だが。

 誓いを立ててもらうにも、もう少しましなやり方があったはずだ。

 情けない、な。

 不安は、本当だ。

 ガレオが動こうとしている。

 あの男は何をするか予想がつかない。

 だから万一にも連れ去られないように、ルイを約束や誓いで縛り付けようとしている。

 どっちもどっちだ。

「ルイが誓ってくれたんだ。僕も誓う。」

「え?!」

 ルイは驚く。

 不安を振り払うように跪いてルイの手を取る。

「そんなっテオ様!あのっ」

 ルイは焦る。手を引っ込めようとするが、びくともしない。

「僕も、いや、僕は誓う。生涯君の側に居る。」

 真剣にルイを見詰め、手の甲に口付ける。

 ルイを見上げ、にっと笑った。

「!!!」

 ルイは真っ赤に固まる。

 湯気が出そうだ。いや、出てるかも。

「今度は神様の前で共に誓おう。」

 テオは追い打ちをかける。でも言葉は本心だ。

「神様…共に…」

 くらくらするルイは思考が追い付かない。

「早く結婚したいね。」

 テオはにっこりと微笑むとルイを引き寄せる。

 とどめを刺されたルイはふらりとテオの腕の中に落ちた。

 幸せだ、と思う。しかし不安も覚える。こんなに幸せで良いのだろうか。

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