第24話 皇太子襲来 1話

「つまり、ルイ・ウォード嬢に、通訳に付くように、と?」

 テオの圧に校長は参る。

「あちらからの要請ですから…」

 校長は顔の汗を手巾で拭う。

「…」

 無言の笑顔が恐ろしい。

 しかしやはり先に話を通しておいて正解だった。と校長は思う。

 本人に先に話した日にはどうなっていたことか。

 目の前の王太子は、いつもは温厚で身分を振りかざすこともなく、寮長としての責任感もあり、品行方正でとても優秀な生徒なのだが、たった一人の女生徒が関わるだけで豹変する。王太子令が良い例だ。正直あれ程の威圧を身に付けているとは思いもしなかった。

 しかし、皇太子の留学にあたっての正式な文書による要請で、表向きには特に断る理由が無いのだ。

 つまり、校長の手には負えない。

 早速そういうことをしてくるわけか。テオは考える。

 もう既に戦いは始まっている。

 一体どういう人物で、どういう意図なのか。

 面識は無い。隣国の皇太子なのだ。どこかの国の式典等で会っていてもおかしくはないのだが記憶にない。ディランが調べたが記録にもない。

 なので自分より二つ年下であること位しか情報がない。

 国王からも何の連絡もない。ルイが王太子自分の婚約者であるにも関わらず。おそらくこの程度のこと自分でさばけという事なのだろうが。

「分かりました。」

 圧を下げる。

 校長に圧を掛けたところで取り下げられる訳もないのだ。

 そして、取り下げられるならこの程度じゃ済まさない。

「正式な要請、ということは公務扱いと言うことでよろしいですね?」

 テオは確認する。

「勿論です。」

 当然だと校長は応えた。

「ならば女王寮寮長、オルティス嬢にそうお伝えします。」

 いつもの穏やかさに戻ってテオは請け合う。

「頼みます。」

 校長は安堵の息を吐く。


「そんなもの、何故受けた。」

 エレノアは腹を立てる。

 この間、蒼白になったルイを見たばかりだろうに。

 大切にする気はあるのかと。

「僕だってそう思っている。」

 断れるなら断った。

 自国の民であればある程度如何様いかようにも出来るが、相手は他国の皇太子なのだ。そもそも国王と皇帝の間で話が通っている。ひっくり返すなら王を退位させて自分が即位し、新たに話を纏める必要が…。

 そこまで考えてはたと気付く。まさか、早期引退それ狙いじゃないだろうな?

 自分の卒業を手ぐすね引いて待ち構えている多忙の国王が脳裏に浮かぶ。飛び級を望まれたこともある。自分の力量では難しいと言って断った。ルイと少しでも長く一緒にいたい。出来ることなら留年したい位なのに。

 その為に仕組んだのなら、次に帰ったら話がある。

「だから先に君に話している。」

 ルイをどう守るか、対策を練って、それからじゃないとルイに話す気にもなれない。

 そこにいつもの面々が現れる。

 隣国とルイとの経緯いきさつを知っている者達。

「皆にも知っておいて欲しい。」

「ヴィロア帝国の皇太子がこの度我が校に留学にいらっしゃる。」

「…何の嫌がらせです?」

 ディランが早速言う。

「表向きは留学だが、我らが敬愛するルイの御祖母様によると、ルイを連れ戻しに来るらしい。」

「…、それは宣戦布告か?」

 エレノアが眉を寄せる。

 テオ的にはそう取っても差し支え無いものだ。

 王太子の婚約者を奪おうとは。

「相手の意図はまだよく分からない。」

 大々的な嫌がらせなのか、何らかの交渉材料にする気なのか、あるいは本気でルイに惚れているのか。

 それとも、…本当に宣戦布告なのか。

「まだ若輩ゆえ、色々と指導して欲しい、とのことだ。」

 あくまで表向きは、だ。

 不本意だが、グリフィス王国とヴィロア帝国の間で、正式な手続きを踏んでの留学だ。

 国同士の関係もあるので、なるべく事を荒立てない方向にならざるを得ない。


「…分かりました。」

 ルイは頷いた。

「大丈夫なのか?」

 この間の狼狽うろたえぶりを知っているエレノアの方が不安気に聞く。

「大丈夫、です。」

 ヴィロア帝国のアリアス語なら話せるし読み書きもできる。

 それに、

「お詫びになれば、と思いますし。」

 婚約破棄の件もある。

 そう言うとピリッと場の空気がひりつく。

「それは全く考えなくて良い。」

 テオはにこやかにルイに言う。ルイ以外はぴいんと張る空気に息を詰める。

「ルイが申し込んでルイが断ったならともかく。」

 皇太后あのババアが勝手に決めたものだ。それに、断らせたのは自分だ。

「他国に付け入る隙を与えない、というのも大切な事だよ。」

 そういう言い方でルイをたしなめる。

 ディランも頷く。

 ルイ個人ではなく、国同士の関わりにもなるのだ。

「…はい。気を付けます。」

 言いくるめられ、素直に頷くルイによしよし、とテオは微笑む。圧が緩和して周囲はそっと息を吐く。

「僕も出来る限り側にいる。」

 他国の皇太子のもてなしは自分の役割だから、と先にきっぱりと言い渡す。

 ルイを前面に出す気など微塵も無い。

「やむを得ない時は誰かに付いてもらう。」

 両姫かディランか、しっかりした人物に。

「決して二人きりになっちゃ駄目だよ。」

 相手がどういう手で来るか分からないが、通訳の件もある。

 底意地の悪さを感じる。

 ルイは素直過ぎる。

 自分だって手段を選ばずならもうとっくに手に入れている。…と、思う。

 不安が募る。

「絶対、指一本触れさせないように。」

「居ないときに話した内容は全部教えて。」

「公務だから通訳は授業の時だけで良いからね。」

「何かされたり、言われたら隠さずに全部教えるんだよ。」

 テオの必死の願いにルイはいちいち真面目に返事をするが、周囲は若干呆れている。

「あと、」

「まだ?」

 フレイヤがさすがに突っ込む。

「例え何かあっても、それで君を嫌いになんか絶対ならないから、信じていて欲しい!」

 ルイの両手を握りしめる。

「っはい。」

 ルイは頬を染めて返事をした。

 周囲はそれを口から砂糖が出そうな笑顔で生暖かく見守っている。


「ここが王立キゾク学校か。」

 馬車から降り立った男はにやりと笑みを浮かべた。

「待っていろよルイーズ!」

 校門が開かれていく。

 制服を着た男女数人が出迎えに並んでいた。

 遠巻きに他の生徒達も居る。

「ヴィロア帝国皇太子ガレオ・ベルナルド殿下!ようこそ我が校へ!」

 テオが通常の五割増しのきらきらの気を放ちながら、アリアス語で皇太子へ呼び掛ける。

 皆と同じ学校指定の制服だが、正装しているかのような威厳と気迫。

 どんな相手か知らないが、最初から舐められて堪るものか。

 周りで見ていた女生徒の半数以上がそのきらきらに当てられてよろめく。

 ルイの頬もほんのり赤く染まった。

「…」

 ガレオはぽかんとテオを見る。

「お初にお目にかかる。グリフィス王国王太子、テオ・ハワードだ。よろしく。」

 テオはガレオに歩み寄ると威圧を笑顔で包んで右手を差し出す。

 ガレオ(思ったより小柄だ)はその手を見、テオを見上げ、もう一度手を見るとようやく握手を返し、またテオを見上げる。

「?」

 テオは顔には出さないが不思議に思う。

 名乗りもしない。

 一国の皇太子にしては無作法だ。

「…かっ…」

「?」

「カッコいい!!」

 ガレオは目をきらきらと輝かせていた。

「まさにオレの理想だ!そのイゲンあるほほえみ!ふるまい!言葉づかい!兄上とおよびしても?!」

「ああ、構わない。」

 テオは内心ひきつりながら笑顔で答える。まず自分が名乗るのが先だろうに。

「やった!ありがとうございます!!」

 両の拳を握りしめ喜ぶガレオに一同唖然とする。

「何だこれ?」

「さあ?」

 ディランとテオは視線だけで会話する。

 ふとガレオがテオの後方に控えるルイに気付く。

「そこにいたかルイーズ!」

 つかつかと近寄るとルイの首に腕を回そうとする。

 咄嗟にひょいと躱したルイをエレノアが慌てて引き寄せ後ろ手に庇った。

「いきなり何をする?!」

 エレノアはガレオの意図を察しやや狼狽えながら抗議する。

「何って、わがヨメの味見をしてやろうと思ったまでだ。」

 ぺろりと唇を舐めた。

「お前、エレノア・オルティスだな。ビンボー人ごときがオレのジャマをするな!」

「!御姉様に失礼です!」

 ルイは珍しく怒って前に出ようとするが、エレノアに押さえられる。

「あいかわらずの顔だけ女がエラそうに。」

 ガレオはルイへも噛み付く。

「そもそもお前がコンヤクをかってにことわるから、わざわざこのオレがむかえに来てやったのだろうが!」

 何だこいつ。

「…皇太子殿下、我が国では、男性、女性は関係なく人として互いに相応の敬意を払うのが当然とされている。」

 テオが色んな感情を押さえ込み、ガレオへ語りかける。

「は…」

 ガレオはテオの話は聞く気があるらしい。

「この国に滞在する以上は、そのように振る舞って欲しいものだ。」

「はぁ、兄上がそうおっしゃるなら、…考えます。」

「じゃあまずは校長がお待ちだ。付いて来たまえ。」

「さ、こちらへ。」

 テオとディランがガレオを連れて校長室へ向かう。

 ルイも後を追おうとしてエレノアに止められた。

「まず、一旦落ち着かせてくれ。」

 エレノアはルイを抱き締める。

 ああ、癒される。守れて良かった。

「無事?」

 フレイヤもルイを撫でに来る。

「何なのだあの男は。」

 たちが悪いにも程がある。

 あんなのが皇太子でヴィロア帝国は大丈夫なのか?

「申し訳ありません。」

 ルイはしゅんとして謝る。

「?何故謝る。」

「従弟なので…。」

 父の腹違いの弟の息子だ。同じ先代皇帝の血を引いている。

「…。君が謝ることではない。」

 幾分呆れる。

 従弟だからとてルイが責任を感じることでは全く無い。

「でも御姉様に失礼を。」

 それよりルイに口付けようとしたことの方が一大事だが、幸いというか、ルイはただ咄嗟に躱しただけで、全く気付いていないようだ。

「失礼なのはあの男で、君ではない。」

 そんな事にいちいち責任を感じていては身が持たない。

「君は君のしたことだけに責任を持て。」

 肩に手を置いて言い聞かせる。

「分かったな?」

 目を覗き込む。

「はい。」

 ちょっと気が晴れたように、ルイは頷いた。


 少し遅れて校長室に入る。

「おそいぞルイーズ。やはりグドンだな。」

「確認したいことがあり、私が引き留めたのだ。」

 青筋が浮く笑顔でエレノアが言い返す。

 ルイに謝るなと手で制す。

「まったく女共はこれだから。」

 やれやれと溜め息を吐いてみせるガレオをテオは笑顔で見る。

「いや、女、女性たちは時間がかかる。」

 ガレオは決まり悪そうに言い直した。

 テオはにこりと笑う。

 一悶着が落ち着いたところを見計らって校長は口を開く。

「こちらが、殿下の通訳を務めますルイーズ・ウォード嬢です。」

 ルイは綺麗に御辞儀をする。

「ウォード?こいつはベルナルドだ!オレと同じ!」

「殿下、それは君の国の話だ。我が国では、彼女はウォード嬢だよ。」

 ルイを指差し鼻で嗤うガレオをテオはあくまで笑顔でたしなめる。

「それから、私の婚約者を、こいつ呼ばわりはやめてもらおう。」

 良く怒らないな、とエレノアは感心する。

 他国の皇太子でなければ(或いはあっても)自分ならとっくに殴り倒して校門の外に叩き出している。

「はぁ…、いや!兄上、それがそもそもマチガイなのです!」

「…」

 何を言い出すんだこいつ。

 テオは笑顔を崩さないがかなりのひずみを内部に溜め込んでいる。

「兄上にはもっとふさわしい女性がおられるはずです!」

 熱く言い募る。

「こんな顔だけの女でなく!」

 またルイを指差す。

「容姿の優れた女性、だ。」

 にっこりとテオは言い方をただす。

「は、シツレイしました。」

「殿下は勘違いをしておられるようだ。私が彼女を望んだのだ。」

 きっぱりとテオは言い切る。

「だからそれは兄上の思いちがいです!」

「これは!」

「皇太子殿下、良い加減になされますよう。」

 ルイを指差して更に言い募ろうとするガレオを止めたのは、意外にも校長だった。

「皇帝陛下よりも承っております。この国の言葉を、覚えて頂くより先に、この国の礼儀作法を、教員一同、みっちりと、指導させて頂きます。」

 校長の教育者の気迫が全開だ。

「…、ああ、よろしくたのむ。」

 ガレオもさすがに気圧されたらしい。

「まず、我々教師は指導者です、殿下も、御身分に関係なく、敬意をもって接して頂くのが、この学校の流儀です。」

 更に校長の迫力が増す。大きさが倍になったような印象を受ける。

「…分かっ、分かりました。よろしくおねがいします。」

「分かればよろしい。」

 校長は微笑んだ。

「では、寮へ行き、制服に着替えられたら、次の授業には出られますよう。」

「…はい。」

 ガレオは意外にも素直に返事をした。

 テオとディランは校長に一礼してガレオを見る。

 それで慌てて礼をするが、し慣れないのが見てとれる。

 ガレオは寮長、副寮長に連れられ騎士寮に向かった。

 女王寮の面々は丁寧に御辞儀をして校長室を辞す。

 ルイは御礼を込めて深々と御辞儀をする。

 顔を上げると校長はお茶目に片目を瞑って見せた。

 ルイの顔もほころぶ。

 もう一度会釈をすると、ルイは両姫の後を追った。


むねがすいたな。」

 エレノアは晴れ晴れとルイに言う。

「校長怒った。」

 フレイヤも言う。

「はい。」

 お茶目な校長を思い出し、ルイも微笑んだ。

「しかし、この後授業だろう。大丈夫か?」

 あれに通訳だと?

 今更ながらより心配になる。

「大丈夫、だと、思います。」

 ルイも、少し歯切れが悪い。

 無理もない。


 迎えは必要ない、とテオに強く言われたので教室で待つ。

「御姉様、ご一緒出来て嬉しいです!」

 皇太子の通訳の件を知っている下級生達がさっきからひっきりなしに挨拶に来る。

 そうだ、先輩として、しっかりしなければ。御姉様達のように。

 不安を振り払う。

 微笑んで挨拶に応え、求められるまま席に座り、話に耳を傾ける。

 テオとガレオが入室してきた。

 皆が注目し、ざわつく。

 テオはにっこり微笑む。

「紹介しよう。ヴィロア帝国皇太子、ガレオ・ベルナルド殿下だ。皆も宜しく頼む。」

「皇太子、ガレオ・ベルナルドだ。うやまうがよい!」

 堂々たる挨拶。アリアス語だが。因みにアリアス語の解る生徒たちには即個別にきつく箝口令が敷かれた。無用の軋轢を避けるため。

「皆に宜しく、と仰っている。」

 テオは涼しい顔で誤訳する。箝口令たちはそっと顔を見合わせた。

 教室が歓迎の拍手に包まれる。

 ルイは唖然とする。

「テ、王太子殿下、」

 近付いて、声を掛けるが、続けて何と言って良いか分からない。 

「…、ルイ、悪いけど殿下の隣に。」

 呼び方に若干寂しさを感じながら、こそりとルイに指示を出す。

「はい、勿論です。」

「こんな感じで、良いからね?」

 ルイに囁く。全部正直には訳さなくて良い。争いの元だ。

「!はい。」

 何となく、ほっとしてルイは頷き、尊敬の眼差しでテオを見る。

「ん!」

 ガレオは早く座れと自分の隣の椅子を叩いて見せる。

「…失礼致します。」

「ああ、まったくだ!」

 ルイが座ると不機嫌そうに言う。

「わからない言葉で話すんじゃない!」

 二人がグリフィス王国のエリシェン語で話していたのが気に入らないらしい。

 他国に来ておいて我が儘も甚だしい。

「ならば殿下が学ばれることをお勧めする。」

 テオは間髪入れずに提案する。

「ならお前が教えろ!」

 ルイを睨む。

「私が教えよう。」

 被せ気味にテオは言う。

「兄上にそんなお手間は!」

「構わない、同じ寮なのだし。」

 にっこりと微笑む。

「決まりだ。」

 テオは有無を言わせない。

 これ以上ルイを近付けてたまるものか。本当は隣に座らせるのも嫌なのに。

 ルイはほっと息を吐く。

 テオが庇ってくれている。

 迷惑を掛けている自覚は有るが、嬉しい。

 ぽぉっと頬が染まる。

 そんなルイをガレオは苛々と見やった。

 授業中、アリアス語の分かる先生は、容赦なくガレオの尊大な言葉遣いを直し、問題が解けなければ徹底的に指導した。

 初等生の授業なのに、基礎の基礎も、今一つ理解出来ていないようだ。

 先生は特別にアリアス語で書かれた宿題をふんだんにガレオに出すと、授業を終わった。

「おい!この役立たず!」

 先生がアリアス語とエリシェン語を交互に使って授業をしてくれたので、殆どルイの出番は無かった。

 その事だろう。

「お前にもシュクダイだ!」

 教科書を全部積み上げる。

「明日までに訳してこい!」

 その教科書をテオは手に取るとパラパラとめくる。

「明日はこれとこれとこれ、頁はそれぞれここからここまで位かな?頼める?」

 頁に印を付けるとルイに差し出す。

「っはい!」

 これ位なら出来そうだと、ルイはほっとして受け取る。

「兄上!オレは全部無いと困ります!」

 勉強に必要だとガレオは訴える。

 是が非でもルイに全部やらせようという魂胆らしい。

「分からない所は私が教えよう。私の使った教科書もある。何なら私が訳そう。」

「いえ!兄上にそんな!」

「なら問題は無いだろう?」

 にっこり微笑むとさすがに黙った。

 きっ、とルイを睨み付ける。

「いい気になるなよ!お前がグドンだから!だからな!」

「殿下。」

 その捨て台詞にテオはさすがに笑顔で圧を掛ける。

「は、すみません!」

 自分に謝れというつもりじゃない。

 これ以上何か言う前にさっさと連れていこう。

 その前に。

「後でね。」

 ルイにこっそり囁く。ルイはぱっとテオを見上げた。小さく頷く。

「来たまえ。」

 ガレオを伴い、教室を後にした。

「御姉様、大丈夫ですか?」

 心配した下級生達が集まってくる。

 言葉が分からずとも、横柄な態度は見て取れたのだろう。残念ながら箝口令の意味がない。

「心配いりません。」

 ルイは気丈に微笑む。

「それに、殿下が…」

 言いかけてぱぁっと頬を染めるルイに下級生達は顔を見合せ微笑み合う。

「そう、ですわね。王太子殿下がいらっしゃるのですから!」

 やり取りは分からずとも、ルイを庇っているのは良く分かった。

 羨ましい、と思わなくもないが、それ以上に女生徒達は皆微笑ましくルイとテオの仲を応援しているのだ。

 素敵な、そしてお似合いの二人だ。

 歩みはとても遅いが。

 遅いがゆえに応援したくなる、というところもある。

 だからこの間皆の前で手を繋ぐのを見た生徒達は、二人が居なくなった後に快哉かいさいの声と拍手に湧いたものだ。一部悔し泣きの声も。


 ルイは気の逸るまま寮長用会議室に向かう。

 まだテオは来ていなかった。

 ちょっと残念に思ったが、先に来られて良かったと思い直す。

 沢山庇ってもらった御礼を言いたい。

 教科書類を持ったまま来てしまった。

 折角だから、テオが来るまで翻訳しておこう。

 テオが印を付けてくれた頁を開くと、訳していく。

 小さな字の解説も訳す。

 ちゃんと理解できるようにと。

 ガレオをディランに任せ、ようやくテオが会議室に現れる。

「テオ様っ」

 ルイは嬉しくて駆け寄る。

「ルイ!」

 腕を拡げても相変わらず飛び込んで来てはくれないルイに微笑んで、抱き締める。

 でもいつもと違い、駆け寄って来てくれただけで嬉しい。

「…ありがとうございます。」

「?何で?」

 抱き締めたから?だと嬉しいけど。

「沢山庇って頂きました。」

 微笑んでテオの胸に頬を寄せる。

「そんなの、当然だろう。」

 ルイを守ると誓ったのだ。

 他国の皇族の言葉を遮るのは非礼にあたるものだから暴言も止められず、これで守れているのだろうかと思う。

 ルイにいきなり口付けようとするとは。まさかの事態に反応が遅れた。

 ルイが躱してエレノアが守ってくれて、本当にほっとした。

 あんな奴出来ればボコボコにして二度と来るなと叩き出してやりたい。

 こんな時は王太子じゃなかったらと強く思う。

 立場が邪魔をする。

 婚約者ルイを巡って、隣国の皇太子と対立、という事態は、ルイとの婚姻成立の為にも避けなければならない。

 しかしこうも思う。王太子でなければとうの昔に奪われていたかもしれない。

 対抗出来ることを喜んでおくことにする。

「そんなことありません。…とても、嬉しかったです。」

 ルイが恥ずかしそうに微笑んで言う。

『とても、嬉しかった』が頭の中で木霊する。…ああ、幸せだ。

「なら、良かった。」

 傷付けられて落ち込んでいるのではと心配していた。

 でも今ルイは嬉しそうに腕の中にいてくれる。

 ひずみを我慢して対応した甲斐があった。

 ルイを抱き締めるとその歪みも無くなっていく。

 ルイが心配だったのも勿論だが、こうしてルイを抱き締めないと、自分の方が保たなくて呼び出してしまった。

 深く息を吐く。

 王太子の仮面を外し、ようやくまともに息が出来る気がする。

 ルイの笑顔に心底癒される。

「良く躱せたね。」

 凄い、偉い、とルイを褒める。

 誰しも予想外の行動だったのに本当に良く躱した。

 エレノアがすぐ引き離してくれたのにも感謝だ。

「…触れさせないと、テオ様との、約束ですから。」

 褒められてやや誇らしげにテオを見上げる。ちゃんと約束を守れた。と。

 可愛すぎる。

 約束していて本当に良かった!

 ぎゅうっと抱き締める。


 ふと卓の上に拡げられた教科書に気付く。

「そんなに急がなくて良いんだよ。」

 あんなのの為に。

「いえ、テオ様からご依頼いただいたものですから。」

 これはガレオじゃなくて、テオから頼まれたものだ。

 ルイは何の気なしにそう答える。

「そっか、じゃあ僕も手伝うよ。」

 自分が頼んだのだから。

 自分の為だから頑張る、と言われた気がして嬉しい。

「そんな、申し訳ないです。」

 ルイは恐縮する。

 自分が拡げたままだったばっかりに。

 テオが来てくれたのが嬉しくて、ついそのまま駆け寄ってしまった。

 片付けようとすると止められる。

「良いから、一緒にやろう?」

 その方が早いし、たまには並んで勉強というのも悪くない。

 というか恋人同士の学園生活っぽいじゃないか!悪くないどころか大いに良い!

「…ありがとう、ございます。」

 ルイは頬を染めて礼を言う。

 相談しながら訳していく。

「アリアス語もお上手なのですね?」

 すらすらと訳すテオ。

「うん、君の父上の国の言葉だからね。」

 勉強した。

 さらりと言うテオにまた頬が熱くなる。

「そう、なのですね。」

「勉強してて良かったよ。」

 じゃなきゃルイがどんな事を言われているかも分からなかった。

 きっとルイは自分にそのままは訳さないだろう。

 あんな言葉。

「テオ様は、お疲れでは無いですか?」

 今日はガレオとずっと一緒だった。

 自分よりも長く。

 あんな大変な人物と。

「…大丈夫、こうして、ルイと会えてるから。」

 ルイの髪を撫でる。

 疲れなんてどこかに行ってしまった。

 本当に君は、すぐ自分のことを後回しにするのだから。

「君の方こそ、心配だ。」

「大丈夫です。テオ様が、側に居て下さったので。」

 ルイは感謝と信頼を込めて見上げる。

 そんなことを言ってくれるなんて。テオは心を震わせる。

「嬉しいな。…嬉しくて、口付けたくなる。」

 ひずみを抱えていた所為か自制心のたがが外れ気味だ。

 口に出すのは控えていたのに。

 口に出せば命令になりかねない。

 命じてしたいわけじゃない。

 でも、もうずっと、口付けたいと思ってる。

「…テオ様が、お望みなら、」

 そう言いながらルイは俯く。耳が赤い。恥ずかしいのか、それとも、嫌?

「いや、ルイが嫌なら、我慢するよ。」

「嫌では、ありません。」

 そのまま顔を上げない。無理にさせたいわけじゃない。

「じゃあ、ルイも、したい?」

 望んでいないことはさせたくない。

 聞くとルイはぱっと顔を上げた。

「そっ、なこと言えませっ」

 真っ赤な顔。

 目が合うと視線をあちこちに泳がせ、そしてルイは躊躇いがちに目蓋を閉じた。

 態度で示してくれるルイに胸が熱くなる。

「嬉しい。」

 ルイの頬に手を添える。

 ルイは慌ててさらにぎゅ、と目を瞑った。

 震えるルイの唇に自分のを重ね

 コンコン

 今回は扉を叩く音でルイに逃げられ未遂に終わる。

 次こそ本当に押し倒してやろうか。

「よろしいですか?」

 ディランだ。

「よろしくない!」

 よろしいわけがない。

 もう少しだったのに。

「ああ、じゃあ身支度がお済みになったらお声掛けを。」

 妙に納得したようなディランの声。

 身支度?

「!そんなことはしてない!」

 したい!とってもしたいけど!

「?」

 ルイは不思議そうにテオを見上げる。

「おや、よろしくないと仰るからてっきり。」

 入ってきたディランは人の悪い笑みを浮かべる。

 まあ、知ってた。と言わんばかりの。

「人にあんなの押し付けといて。」

 負の気が纏わりついている。

「何が『彼は優秀だから、教えてもらうと良い』ですか。」

 さすがの先生もガレオに宿題をさせるのに散々手こずったようだ。

「言葉が通じる以前の問題です。」

「…、分かった。戻る。」

 溜め息を吐く。

 休憩終わりか。ああ、本当にもう少しだったのに。

「ごめんルイ。また明日ね。」

「っいえっ、それでは失礼致します!」

 ルイも気まずいのか慌てたように教科書を片付けて会議室を出る。

 会釈をして別れた。


「ルイ様は大丈夫そうですね。」

 あの様子なら。

「何もないこと、悟られない方が良いですよ。」

 ルイと。

「何もないって、お前な。」

 言い方。それに邪魔をしたのは誰だ。

「だってそうでしょう?」

 絶対舐められますよ。

 図に乗ってルイに何かするかもしれない。とディランは予測する。

 宿題の合間の偉そうな雑談の端々から感じたことだ。

「妻帯してるそうです。二人。」

「二人?」

 ああ、ルイは第三妃だったか。

 …ふざけるな。

 ああ、本当に早く帰れ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る