第3章 皇太子襲来

第23話 皇太子襲来、の前に

 始まりは一通の手紙。

 読み終えたルイは絶句する。

「どうした?」

 エレノアが尋ねる。

 隣国の祖母からなのは知っている。

 十分な注意が必要で、その為に側で読むよう勧めたのだ。

「いえ!何でもありません!」

 ルイは隠そうとするが、何か大変なことが有ったと分かりやすく顔に書いてある。

「そんな顔をされれば心配になる。話しなさい。」

 君はまだ私のものなのだから。

 エレノアはルイを座らせて、話すまで待つ。

 つまり、話すまで解放しないつもりだ。

 観念したルイは、結局エレノアに手紙を見せた。

「…つまり、隣国ヴィロア帝国から元婚約者皇太子が君を取り戻しに来ると?」

 ルイは血の気の引いた顔を俯ける。

 そんな人が居るなんて知らなかった。

 知らずにテオからの求婚を受けてしまった。

「こちらの事情も知った上でとはたちが悪いな。」

 ルイが王太子と婚約したと知った上で来るらしい。

 いや、むしろ知ったから来ると。

「これは王子にも話しておかねば。」

「待ってください!」

 ルイは悲鳴のような声を上げる。

 エレノアは驚く。

「テオ様に、テオ様には…!」

 知られたくない!

 こんなことを隠して婚約したなんて知れたら…!

「しかし…。」

 国同士の関係もある。言わない訳には行くまい。

 可哀想なくらい狼狽うろたえるルイを不思議に思う。

 知らなかったのだから、ルイに何も非は無いのだ。

「じ、自分で、自分でお話しします、しますから!」

 血の気の引いたまま必死でルイは言う。

「?…そうか。」

 自分が話した方が早いとは思ったが、これ以上は可哀想になり、ルイに任せることにする。

 任せるが、手を打たない訳ではない。


 授業に全く身が入らない。

 その人が来る前には話しておかなければ。

 そう思いながらもルイはどうしても決心がつかないでいた。

 傷付けてしまうかも、いや、もっと怖いのは、嫌われてしまうかも。

 …何て自分勝手なことを思っているのだろう。

 テオが、フレイヤの事を自分に言いにくかったのが、今更にして良く分かった。

 あんなに、不安だったのに。

 まさか自分も、同じ事をしているなんて。

 早く、言わなければ、余計に隠していることになってしまう。

 周囲がざわめいていることにもルイは気付かない。

「ルイ?」

 気付けば目の前にテオが立っていた。

 心配そうに覗き込まれる。

「…テオ様」

 嬉しいのに、喜んで良いのか分からない。

 いつもは教室まで迎えに来ることは無いのに。

 戸惑うルイの手を握る。

 逃がさない、と言うように。

「おいで、ルイ。」

「っテオ様!」

 接触禁止令がある今、こんな人前で、エレノアに知れたらテオが叱られてしまう。

 周りもざわついている、と言うよりどよめいている。

「大丈夫。」

 ぎゅ、とより強く握られる。

 そのまま寮長用会議室まで連れていかれた。

「座って。」

 優しい声だが、有無を言わせない。

「…はい。」

「エレノアの許可は貰ったよ。」

 隣に座るとルイを見る。

「え?」

「許してもらった。」

 何でもない事のように告げる。エレノアに接触禁止令は解除させた。そうテオは告げたのだ。

「君を、一生大事にすると誓って。」

「!」

 じっとルイを見詰める。

「…」

 嬉しいのに、自分は、…。

 色んな感情に目が潤んで、顔を背ける。

 泣いたりしたら、心配をかける。

「そういうところも好きだけどね。」

 そんなルイを分かっていて引き寄せる。

「もっと頼って欲しい。」

 婚約者なんだから。

「ですが…」

 ルイは身体を押し返す。

 離してくれないと困る。

 離れられなくなる。

「ですがじゃない。」

 逃がす気なんかないテオは強引に抱き締める。

「私は…」

 まだ話していないことが沢山あるのに。

 話したら、この関係も…。

 でも、話さなければ。

「ああ、まず、聞いてくれるかな。」

 思い悩み、言い淀むルイを制する。

「僕は知っている。」

 皇太子との婚約の件。

「!」

 ルイの顔が真っ青になる。

 遅かった。

 何で、もっと早く、自分の口から伝えなかったのだろう。

 俯いたまま、顔を上げられない。

「申し訳」

「エレノアに聞いたんじゃないよ。」

 震えるか細い声で謝ろうとするルイを遮る。

 もっと前から知っていた。

 ルイが、何も知らないことも。

 ルイを落ち着かせようと、髪を撫でる。

 だって、と続ける。

「そもそも、僕だからね。」

「…?」

 優しく撫でられて、少し落ち着いたルイは、何の話だろうと耳を澄ます。

「君と皇太子の婚約を解消させたのは。」

「!?」

 ルイは言葉を失う。

「君の御祖母様に頼んで。」

 言わないけど、国境を越えて直談判した。

 何も無ければ、ルイに話すつもりも無かった。

「済まない。君の気持ちも聞かず、勝手な真似をした。」

 謝る。何度謝ったって良い。

 後悔は微塵も無い。

「僕はどうしても、君じゃなきゃ駄目だから。」

 ぎゅう、と抱く。

「だからね、ルイ。」

 声を低める。

「もう逃がさないと言ってるだろう。」

 ぞくりとする程甘い声で耳元で囁く。

「婚約を解消する気も無いし、ましてや皇太子なんかに渡す気も全く無い。」

 ルイが思い付きそうな解決策。

 そんなの絶対に許さない。

 全く、婚約者たる自分を何だと思っている。

 ちょっと腹立たしい。

「わかった?」

 顔を覗き込む。

「…」

 何もかも先に言われて呆気にとられ、依然ルイは言葉が出ない。

「わかったら、もう二度と、僕を諦めないように。」

 強く言うが、祈りを込める。

 望みをすぐ諦める癖のあるルイ。

 自分だけは諦めないで欲しい。諦めるなんて選択肢が思い浮かばないほど想ってくれたら。

「…」

 ぱたたっと水滴が落ちる。

「ふぇ、…」

 嗚咽を飲み込もうとルイは手巾で目を押さえる。

「あ、きらめ、…」

 顔を覆うルイの背を撫でる。

「諦め、られな…ですっ」

 話して嫌われたなら、諦めて隣国へ行こうと、諦めようと、諦めなきゃと、でも、出来なかった。

 だから、言えなかった。

 堪えきれず声を上げて泣き出す。

 初めてそんな風に泣くのを見たテオはルイが泣き止むまで撫でて抱き締め続けた。

 しゃくりあげながら、途切れ途切れに謝る。

 謝らなくて良いと言っても。

 話したら嫌われると思った、との決死の告白にテオは心底呆れる。

 どうしてそういう思考になるのか。

 まだ自分の愛が足りないのだろうか。

 でも今は、嫌われたくないと、諦められないと言ってくれただけで、良しとすることにした。

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