第19話 ディランとエレノア 4

「…、売るのは、まだ、待ってもらえないか?」

 数日後、まだ王子が戻らない中エレノアに呼び出された。

 暫く躊躇ためらったあと、言われたのがこんな言葉。

「…何のお話です?」

 自分はもう返したつもりだったのだが。

「っだから、高く売ると。」

 はぐらかされたと思ったのか、エレノアの頬に赤みが差す。

「ああ、それはもう、良いんですよ。」

 曖昧に済まそうと思ったが、エレノアは許してくれないようだ。

 ちょっと痛い。

「…良い、とは?」

 不審な目を向けられる。

「貴女は御父上にお返ししたんです。」

 曖昧にしていたのを断ち切る。

 自分に対しても。

「対価は。」

 ああ、やっぱりそこ聞きますか。

 ディランは苦く微笑う。

 侯爵邸に置いてきた金袋も、父に渡した金も。

 金額は分からないが、それなりの額だろう。エレノアは思う。

「父が返したのか?」

「…」

 そうだ、と言ってもすぐバレるだろう。黙る。

「違うのだな?」

 そんなところばかり聡いのだから。ディランは微笑む。

「御父上と約束をしましたから。」

「しかしそれでは…」

「良いんです。」

 貴女が無事なら。と思う。

 それで対価は充分釣り合う。

 それに、自分が勝手にしたことだ。

「そんな借りを作る気はないぞ。」

 エレノアはぐっと睨み付けてくる。

 困る。貪欲な自分は、そんなことを言われたら。

「どうしてもと言うなら、抱かせてもらえますか?」

 対価を支払いたいというなら。

「…っ分かった。」

 急に何でそんなことを、とか、そういうことじゃない、とか、色々な疑問や感情を抑え込み、それで対価を払えるならと、エレノアは頷く。

 答えを聞くとディランは部屋の鍵を掛けた。とばりも引く。

「ここで、か?」

 今すぐとは思わなかった。

 こんな所で…。

「はい。嫌ですか?」

 ややからかうような声音。

 嫌ならやめておけ、と言いたげだ。

「…いや、構わない。」

 もとより覚悟はしているのだ。

 それに…。

 固まって目を瞑るエレノアを引き寄せて抱き締める。

 頭を撫でた。

「今まで良く頑張りましたね。」

「なっ」

 驚いて目を開く。

「もう、大丈夫ですから。」

 そんなことしなくても。

 もう、大丈夫。

 父親も身に染みたはず。

 大切な者をまもるには力が要るということを。

 二度とあんな真似はさせない。

 勿論、自分に対しても。

 ぎゅっと強く抱き締めた。

「っ」

「少しだけ、我慢して下さい。」

 これで終わりにしますから。

 やや苦しそうなエレノアに囁く。

 自分に言い聞かせてるようだ。

「!」

 吐息が耳にかかる。

「顔、見ないで下さいね。」

 ふいと顔を背けると身体を離した。

「これで終わり、か?」

「もっと進んで良ければ喜んで。」

 ディランは背を向けたまま。

 声には笑みが漂っている。

「いや、…。」

 反射的に否定して、黙る。

「…」

 背を向けたままのディランも無言のままだ。

 そのまま扉へ向かう。

「待て」

「済みません、待てません。」

 鍵を開けて部屋を出る。

 扉を閉めると、フレイヤが居た。

 金槌を持っている。

「それ、どうするつもりです?」

 自分を撲る気だろうか。

「助けようと思って。」

 万一の時は。

 もし助けを求める声でもしたら、扉を壊すつもりだったらしい。

 実に勇ましい。

「要らなかったね。」

 金槌を下ろした。

「意外。」

 ディランはもっと狡くて非道いかと思ってた。

 素直な評価に噴き出す。

「未来の妻の親友に、軽蔑されたくないですから。」

「…」

 その言葉にフレイヤは唖然とする。

「冗談ですよ。」

 勿論。含み笑う。

「言わないと分からないよ。」

 エレノア、ああ見えて鈍い。

「分かってます。」

 分かってるから言わないのだ。

「…」

 フレイヤは溜め息を吐くときびすを返した。

 自分も足早に立ち去る。

 今もう一度エレノアの顔を見たら。


 待て、と言って自分はどうするつもりだったのだろう。

 エレノアは立ち尽くす。

 きっと、分かっていてディランは。

 何で。


 その後テオが学校に戻って来た。

 師匠の家に直談判なんて、付き合わなくて良かった。

 良く協力を得られたものだ。

 どんな話術を使ったのか。

 父親の協力がまだ得られないらしい。

 師匠だけで充分だと思うが、何故か意地になっているように見える。

 剣の稽古も付けてもらうらしい。

 再三出掛けて行ってはこてんぱんにされて帰って来る。

 全然勝ちが見えないがどうする気だ。

 いつにも増してぼろぼろのテオを心配してルイが声を掛けている。

 大丈夫、なんて笑って見せて、動くだけで痛むくせに、格好つけやがって。


 ようやくルイの父に認めてもらえたらしく、嬉し気にテオが帰って来た。

 作戦は次の段階へ移る。

 相手に直接働きかけるのだ。

 何らかの反応、反発、反撃が起こりうる。

 学校は複数の結界が複雑に絡んでいて、害意に対する防備は非常に高い、というのはノアの談。

 大抵の侵入者ははじかれるらしい。

 警戒すべきは内通者だが、王太子が入学するに際し、何時もより入念な身元調査が行われたはず。

 外部からの害意に対しては学校内の安全度は高いだろうというのが自分達の共通認識だ。

 しかし、テオが妙に焦っている。

 不安を感じている。

 理由は本人もはっきりとはしないようだが、何か引っ掛かるのだろう。

 あの何が詰まってるかわからない頭で何かを感じ取ったなら、無視する訳にもいかない。

 テオが両姫にルイから目を離さないよう頼んでいた。

 エレノアはもう指示が無くとも、ルイを全力で守るだろう。

 ちょっと妬ける。

 もう指示は出せない。自分の手を離れたのだから。


 ディランは表面上、前と変わらずに接してくる。

 しかし、もう敬語は崩さず、呼び捨てもしない。

 公爵令嬢自分平民出の騎士ディランの距離はこれが正しいのかもしれない。

 なのに何故かもやもやする。


「ノアを王太子に?」

 またとんでもない事を言い出す。

「ノアだって王の息子だ。」

 認知されているのだから、継承権はある。

 強大な魔力を恐れて、あとはあの性格で担ぎ出すものも居ないが。

 そうでなければ御家騒動にもなり得た。

「国まで好きにされるわけにはいかないからな。」

 自分が呪にかかった場合を考えてのことだ。

「負ける前提ですか?」

 そんな事では協力しかねます。

「そういう訳じゃない。念には念だ。」

 隙を作らないように。

 準備は万全にしたい。

 じゃないと無茶も出来ない。

「無茶させるために俺が居るんじゃ無いんですよ。」

「ああ、頼りにしている。」

 全く、こんな時ばかり良い笑顔して。

 皇太后の手紙を証拠に、隣国と通じたとでっち上げる。

 実際内密に隣国に赴くのだ。

 状況証拠は揃う。

 万一の話だ。

 使うことにならないよう祈る。

 祈る?

 自分はそんな性格じゃない。

『ちゃんと友達なのね。』

 不意にテオの義姉上の言葉が脳裏に浮かぶ。

 全く、くそ面白くもない。


「先生ぇのはぁ?」

 ノアから聞かれた。

 まだ先生らしい。

 護符の件だ。自分は相対あいたいする訳では無いから必要性は低い。

 そう説明したらむう、と唇を歪めた。

「創るからぁ持って来てぇ」

 大事な思い出の品と、大切な人の何か。

 備えは有れば有るだけ良い。

 万一の時はテオの身柄の奪還も必要だ。

 その際に対峙する可能性もあるか。


「エレノア様」

「何だ?」

 ディランに呼び止められ、平静を装って振り返る。

「先、行ってる。」

 フレイヤはそう声を掛けた。

「ルイも。」

 とルイも手を引かれ会釈をして去る。

「護符を創るので、貴女の身に付けているものをお借り出来ませんか?」

 二人が立ち去ってから、ディランはにこやかに頼んでくる。

 相変わらず腹の底が分からない笑顔だ。

「そうか。」

 別に意地を張って断る事でもない。護符、御守りの事だろう。

 無事に戻る可能性を上げるなら。

「何でも良いのか?」

「ええ。」

 勿論。

 エレノアは髪を結っていたリボンをほどく。

 ふわりと髪が拡がる。

 春の光のようだ。

「これで、良いか?」

「有り難う御座います。」

 差し出されたリボンを恭しく受け取る。

「ちゃんと返してくれ。」

 気に入っているんだ。

 無事に帰って、とは何だか言えない。

「勿論です。」

 何もかも見透したような笑顔でディランは答えた。

「貴女が寂しがる前に返しに戻ります。」

「!」

 またそういう、と言いかけて、やめた。

「約束だぞ。」

「…はい。必ず。」

 珍しくディランは驚いたように目をみはり、その後微笑んだ。リボンを胸に誓いの礼をする。


「これぇ?」

「はい。」

「変なのぉ」

 言って珍しく悪いと思ったのか黙る。

「…これぇ切って良いぃ?」

「構いませんよ。」

「じゃあぁこっち要らないぃ」

「そうですか。」

 身に付けるには確かに嵩張るな。

 そう思って受け取る。


 テオはやはりルイから身に付けているものを借りるようだ。

 大っぴらには出来ないのでエレノアに頼んで寮長会議に呼んでいた。

 ルイがあまり心配する所為か、随分な物言いでそれを拒む。

 今それは無いだろう。

 ルイの性格など解っているだろうに。

 一体どうしたのか。

 テオがエレノアに責められる中、ノアが消え、皆会議室から飛び出す。

 会議室を出たものの何処へ向かうべきか。

 テオが真っ直ぐ校門の方へ向かう。

 よく分からないが付いていく。

 エレノアも周りを見回しながら付いてくる。

 居た。

 フレイヤとノアと、ルイだ。

 フレイヤに抱えられている。

「どうしてこちらだと?」

 そこに近付きながらテオに尋ねる。

「……」

 ああ、嫌だ。

 何だか分からないが滅茶苦茶怒ってる。

「テオ様?」

 敢えて声を掛ける。

 その顔は皆恐れおののくから少し落ち着いて貰わないと。

「学校から出るなら、門かと思った。」

 自動応答。もっと意識を戻さないと。

「学校を出る?」

 何故。

「多分、手紙か何か…。」

 話すうちに到着する。


 フレイヤが手紙が届いたと言うので驚いた。

 どこまで状況を読んでいるのか。

 しかしテオはエレノアが持ってきた手紙に毒づく。

 正確に読んでいた訳ではないらしい。

 ああ、これが焦りの正体か。

 テオの顔に後悔が浮かぶ。

 テオがルイを抱き抱えようとするが、今回はエレノアが拒んだ。

 さっとルイを抱え上げる。

「我々が常に側に居るようにする。」

「…頼む。」

 伸ばしかけた手を握り締め、テオは傷付けてしまったルイをもう一度見詰める。


 護符の完成と同時に、見送りも無く出立する。

 外交的正式な訪問ではない。

 そんな手続きを待っていられない。それに正式な訪問では話せない相手と内容だ。

 ある意味密入国に近い。

 人目を忍ぶ必要がある。


 あの後に目を覚ましたルイは、やはり何も覚えていなかったそうだ。

 手紙は厳重にエレノアが隠したらしい。


 馬車に揺られる。

 道中の手配はうちの者と師匠の手の者で行った。

 これだけでもお釣りがくる。

 師匠の手の者がどう動くかを間近で見られるなんて。

 自分も行きたかった位だ。

 馬車はとばりを下ろし、時折隙間から外を覗く。

 隣国の下級貴族とその従者のような身なりでいる。

 都へのおのぼりさんのていだ。

 宿へ泊まってもこれなら怪しまれないだろう。

「やはりお前が居てくれて助かるよ。」

 テオからお褒めの言葉を賜る。

「はいはい。」

 そんなの良いですから精々頑張って下さいね。

 ぞんざいに答える。

 毒を喰らわばという心境だ。

 分かっている。というようにテオは少し笑った。


 いざ邸に乗り込むという段になって、通信器を置いて行こうとするので、予備をポケットに忍ばせた。

 物陰でそれを聞く。

『あら、どうぞお掛けになって。』

 うん、感度は良好だ。

 手袋の中の護符を握り締める。

 言霊は通信を越えて効くだろうか。

 全て推測の域を出ない。

 気を張りつめて、耳を澄ます。

『貴方が私を愛して下さるなら。』

 頭に霞が懸かる。

 愛して、自分の、愛するのは

 光

 春の

 エレノア

「!」

 危ない、意識を持っていかれる所だった。

 少し耳元から通信器を離す。

 気合いを入れ直して通信器をまた当てる。

 テオは無事だろうか。

『それは出来ません。私はルイを愛しておりますので』

 大丈夫そうだ。

 良くっている。

 いや、ってくれないと困る。

わたくしを愛して下さるならめあわせて差し上げてよ。』

 何を言いやがる。

 今度は怒りで躱した。

 人一人を何だと思ってるんだ。ましてや自分の血の繋がった孫だと言うのに。

『我が国の娘をめとるのに、貴女のお力添えは必要無いかと。』

 テオは冷静だ。

 少なくとも声は。

 内心は怒り狂っているに違いない。

 呪をかけ返した。

 ノアと創った魔法の契約書。

 署名はある意味呪いだ。

 許可も取った。

 上々だ。

『だから、愛して』

 また意識を持っていかれそうになる。護符に意識を集中して凌ぐ。

 テオは、言葉を発さない。

 まさか。

『ようやく、愛して下さったわねぇ。』

 思わず立ち上がりそうになる。

 通信器に向かって呼び掛けそうに。

 落ち着け、まだそうと決まった訳じゃない。

 そうだとしても、奪還の手筈を考えるのが先だ。

『はい、御祖母様』

 やはり、そうなのか。

 ほぞを噛む。

 邸内は人は少なそうだ。

 一人で突破するか、手の者やうちの者と合流して作戦を練るか。

 身柄を移されたらことだ。

 時間に余裕は無い。

『契約書をこちらに。』

『それは出来ません。大事な契約なので。』

 やや笑いを含んだテオの声に、息を吐く。

 安堵した。本当に。

 もしかして聞いているのを知ってたのか?

 巫山戯ふざけるのも大概にしやがれ。

 テオが邸を出て真っ直ぐ馬車へ向かう。

 それをやり過ごして誰も後を追っていないか暫く確認する。

 その後自分も追っ手を確認しつつ馬車へ向かった。


 テオは聞いていたのを知らなかった。

 皇太后へのちょっとした意趣返しだったらしい。

 心配して損した、とは絶対に言わない。

 愛する者?

 誰が教えるか。

 そういう態度でいたら、逆に納得された。


 ルイに会えないままのテオを後目しりめに、エレノアをリボンを返すからと呼び出す。

「確かに。」

 受け取ったエレノアはくるくるとリボンを巻くとポケットに仕舞う。

「それは?」

 ディランが持っている紙片に気付く。

「見ます?」

 自分の護符だと言う。

 折り畳まれたそれを渡された。

「良いのか?」

 ノートを切って折ったものだ。

 何か書かれている。

「ええ。」

 ディランが良いと言うので拡げて読む。

 読んでしまった。

「…お前、こういうことはちゃんと口で…」

「…」

「口で、ですよ?」

 唇が離れるとディランは言う。

「違う。」

 この馬鹿。

「俺が愛してるのは貴女です。エレノア」

 ディランはにっこりと笑う。

 臆面も無くノートの文言をそのまま言った。

「…」

「何か言って下さいよ。」

「…馬鹿。」

「ええ、酷いな。」

「この馬鹿者っ」

 エレノアはそう言い捨てるなり走って行ってしまう。

「…」

 ディランは髪を掻き上げると苦笑した。

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