第7話

元来た道を探していると、反対側から歩いてくる一人の男性と会った。その男性も、背筋は伸び、手足を振って元気に歩いてきたが、袖口の手先や顔は先ほどの人たちと同様、つぎはぎだらけの皮膚だった。

「やあ、こんにちは。どちらへいらっしゃるんですか」

「用事があってここに来たんですが、もう帰ろうと思いまして……」

 と、博は苦笑いした。

「あちらの方ですね、【姥捨てランド】は……」

 その男性は、視線を向けるとパッと顔を明るくして、笑顔になった。〈姥捨てランドだって!〉博は、その言葉を初めて聞いた。その男性は、博と出会った時よりさらに勢いよく、その【姥捨てランド】のある方へ進んでいった。すると次々に高齢者と出会った。間違いなく、この地区が高齢者を飲み込んでいた地区だった。しかし、その顔はどれも喜々として、不安な様子はうかがい知ることはできなかった。そのうちの一人に声をかけた。すると男性は、笑顔でよどみもなく話し始めた。

 彼によると『サーチュイン遺伝子を操作して、肉体だけでなく細胞そのものからの長生きを追及した結果、細胞そのものの寿命である百二十年までは、普段通りの生活を営むことが可能になった。皮膚や内臓、血管等々、人体において再生できないものは無くなった。

 しかし、細胞だけは確実に衰えていくので、いつまでも社会の役に立てるということではなく、やはり生命の終わりは一歩ずつ近づいてくる。そこまでをどう生きるかが、現代の高齢者の悩みだった。遺伝子操作を望まず、肉体の衰えをいとわず、以前の人間のように各臓器の衰えを受け入れて死を迎える者もいれば、最後の最後まで再生した機能とともに細胞生命を全うしたい者など、それぞれだった。しかし最後はみんな、例のカプセルで最期を迎え、カプセルごと宇宙空間の露と消えていく。墓もいらず、費用も要らず、葬送の儀式もなく雲散霧消でこの世を去って行く。

 そんな時、高齢者の間にふつふつと湧いてくるものがあった。今の時代。あまりに便利で速いことばかり。思い浮かべるだけで必要な物は手に入り、交通網の発達で行けないところはない。地球の裏側まで数十分。景色を楽しむどころか会話をする時間もない。こうの言う世の中だから、生まれて死ぬまで、あっという間に命を燃やした印象があって、喜怒哀楽の記憶がないという。何のために生まれてきたのか、考える余裕もなかったのだ。それは、人間としてあまりにも寂しい。それはまさに、命の源に対する望郷の念であるという。そういう人たちが増えてきて、いつしか自らの手で死のタイミングを選ぶようになった。《最後くらいは、人としての死を選びたかったのだ》。そのような人たちが選んだのが、この樹海の近くの風穴であった。高齢者の移動が始まった当初は、大昔の明治時代に行われたという【姥捨て山】の模倣だった。役に立たなくなった高齢者が選ぶ道は、《自分らしく生きた満足感を得られたら、自分の始末は自分で》と言う考えからだった。しかしいざ来てみると、すこぶる居心地が良かった。何よりもせわしくないのが良かったそうだ』と教えてくれた。

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