第五話「幸福」

僕は、使い古しのこのカバンのような、くたくたに疲れた声で自宅のドアを開けた。

「ただいまぁ」

惨憺たる光景だった、あの汚部屋がさっぱりと綺麗になっている。

そして味噌汁の良い匂いとフライパンで何かを焼いている音がする。

あきが、菜箸を持ちながら明るい顔で振り返る。

「おかえり!今日のご飯は期待しろよなっ!」

僕は、改めて思うのだった。————あきは本当にロボットなのだろうか?

どう見ても、普通の元気な今時の女の子にしか見えない。あきの姿を上から下まで見てしまった。

「なに見てんだよ。気持ち悪いなぁ。さっさと座ってご飯待ってなよ」

「ごめん、ありがとう」

それにしても部屋が見違えるほど、とても綺麗だ。さすがだなと感心する。

「あき、部屋めっちゃ綺麗にしてくれたんだね、ありがとう」

そう言うと、あきは突然慌てふためいて顔を真っ赤にした。

「な、なんだよ当然だろ!そのために私がいるんだからね?」

そうは言ってもあれだけの汚部屋を、1日で瞬く間に綺麗にするのは並大抵のことじゃない。

「いや、ほんとにありがとう、感謝してるよ」

ぷいっと背中を向けて

「まあ、当たり前のことをしただけだけどねっ」

顔は見えなかったが、照れくさそうにしていた。そして、手早くちゃぶ台にご飯の準備をした。

「よし出来たっ!今度こそ絶対に美味しいはず。ほら、一平食べようぜっ。いただきまーす!」

あさりの味噌汁、ご飯、野菜炒めだ。匂いは問題なく美味しそう。今朝のとんでもない味を思い出すと、若干不安ではあったので・・・僕は、おそるおそるスプーンで一口、食べた。すると、ほっぺたが落ちるあの感覚に襲われた。

「・・・上手い・・・!今日のめちゃくちゃ美味しいよ!」

「だろ!この間は砂糖と塩を間違えただけだから!あぁー、でも良かったぁ」

あきもご飯を食べ始めた。ニコニコとしていてご飯より元気になる。

今日の仕事で嫌だった事も、無邪気なあきを見ていると忘れられる。

夢を見ている様だ、いままで彼女なんて考えた事もなかったけど、彼女がいるっていう人たちは、こんなに幸せなものなんだな、としみじみ感じた。

「明日も絶対に、美味しいからな!がんばって仕事するんだぞ一平!」

そう言って僕の肩をポンと叩いた。

「う・・・うん。俺、頑張るよ。アハハ・・・」

とはいえ、今日の会社での世間での冷たい視線や厳しさにはやっぱり気が滅入っていた。特に、あのおばさんから言われた事がやはり気にかかっていた。

「なんか元気ないな、一平。何かあったのか?」

あきは、ご飯を食べながら心配そうに僕の顔を覗きこんだ。

「うん、今日働いて障害者の人達って大変なんだなって思って・・・」

自分でも意外だった。僕が他人に愚痴をこぼすなんて久しぶりだった。両親が事故でなくなってからは、大抵の事は我慢して誰にも言わなかった。いや、言う人がいなかったという方が正確だろうか。

「うん、大変だよ。一平なんか、幸せだよ?こんなにかわいい介護福祉士が付いてるんだからさ」

笑いながら冗談混じりにあきが言った。

「でも人の痛みが解るって事は成長したって事だし、その分、人に優しくしてあげなきゃ駄目だぞ。上を見たらキリがないし下を見てもキリがない。幸せか不幸せかは考え方次第でどうにでもなるんだからね?」

気付くとあきは食べるのをやめて、僕の眼を真剣に見つめていた。とても、同い年ぐらいの女の子とは思えない励ましの言葉に、尊敬した。

「あきって凄いね。とても同い年ぐらいとは思えないよ」

「だって私ロボットだもん。同い年じゃないよ?一平より年上かもよ」

ご飯をまた食べながら、あきはあっけらかんと笑った。

「あきって歳はいくつなの?」

今度は僕があきの眼を真っすぐ見て真剣に聞いていた。

そうだ、ロボットなんだよな、歳はないのか・・・

「そうじゃのーお主の4倍・・・80歳かな。歳で言えば」

あきが、おばあさんの声真似と仕草をした。

「マジで?おばあちゃんじゃんか!道理で人生悟ってるわけだ!」

驚きながらも納得してしまった。

「あの・・・普通に考えてウソでしょ。だって私の型式が出来たの20年くらい前なんだから、それにロボットに歳はないよ?馬鹿だな、一平」

笑いながら、ご飯を食べ終えるあき。

「ええ?じゃあ誕生して何年?誕生日は?」

20年くらい前の型式ってことは僕より年下なのか?!ますます気になる。

「秘密。誕生日なんかないよ。それに女の子に歳を聞くな。一平のバーカ!」

一平に舌を出して、ごちそうさまぁと食器を片付け始めるあき。

こんな話をしていたら、今日のおばさんの事なんかすっかり忘れていた。

あきが居ると、家族と居た頃を思い出した。お父さん、お母さん、温かかった。

 昔の家族との思い出に浸っていると、洗い物を終えたあきが何か持ってくる。

「一平!一杯呑むか?酒はいいぞ?昼間に買って来た酒があるんだ。その名も『微少年』!」

といって酒瓶とコップを二つ持ってくるあき。しかも日本酒か!蓋を開けて、コップにトクトクトクと注ぐ。

僕の気持ちを察してか、いつもより元気に振る舞うあき。

「一平の就職祝いにかんぱーい!」

ぼーっとしてる僕にコップを強引に持たせ、呑ませるあき。

「やっぱり上手いねえこのお酒!これがあるから生きてるってもんだ」

そんな事を言いながら、一気に飲み干すあき。ロボットだけど酒も飲めるんだな・・・やっぱり貫禄だけで言うなら間違いなくおばあちゃんレベルだよな。

しかし、ロボットでも酔うのかな?と素朴な疑問を抱く。僕は意外にもそれなりに飲める方だ。そんなに強い方でないけれど。

他愛もない話をしながら二人でお酒を呑んでいると、後ろへ突然倒れるあき。

「どうした!あき大丈夫か?」

心配して一平が駆け寄ると、どうやら酔っぱらって寝ている。

はっきり言って、お酒には弱いようだ。ロボットでも酔うんだな・・・。

あきを片手でなんとか布団に運び、タオルケットをかけた。

酒に弱いなら無理して呑まなければいいのに、しょうがないなぁと思いながらも健気なこのアンドロイドロボットに恋をしているのを感じた。

――――たった1日で僕は、ロボットに恋をした。


 紅葉や銀杏が鮮やかな色彩で地面に色を塗る季節になり、だいぶ仕事にも慣れてきた。今日は仕事が休みだ。11月に入り、朝は肌寒く冬の訪れを呼ぶ。

午前8時・・・包丁の音と共に手早く朝ごはんを作るあきの姿が台所に映る。

ぼんやりとテレビを見ていると、あきが突然振り向いた。

「一平さ、今日休みだろ?池袋にお買い物付き合ってね」

池袋?お買い物って何しにいくんだろう?

「・・・いいけど、何しに行くの?」

あきは溜息をつきながら、やれやれといった表情。

「あたしだってね、一応、イマドキの女の子なの。たまにはお洋服とかみたいし・・・お給料だって出てるんだからね?日頃のストレス発散!」

お洋服?ああ、流行りの服を見に行って買うってことか。全く自分には縁のない世界だったから一瞬何かと思った。

「今、ロボットなのになんで?って思ったでしょ?殴るよ!あたしは中身機械でも感情から何から人間と変わらないんだからね」

いやいや、そんなことは思ってない!

「そんな事思ってないよ!行く!行くよ、買い物!」

「よし!わかればよろしい。10時には出るからね」

あきは、台所のまな板に視線を戻し、朝ごはん作りを再開した。


 朝食を食べて寝っ転がっている僕をよそに、あきはお風呂に入ると言いシャワー音がする。

外出するわけだし、たまには髭でも剃るかと洗面台に。あれ?肝心の髭剃りクリームが見当たらない。あぁ、そうだ・・・風呂場の中だったなと気付く。

――――このまま取りに行ったらあきは怒るだろうかと考える。

真剣に考えるが一平のスケベ心が一生懸命に自分を正当化する。いや、ロボットだから怒らないよな。幾ら人間に近いといっても・・・。こういう時だけ行動的な僕に自分でも驚いた。

「あきさーん、髭剃りクリーム取っていいですかぁ?」

浴室のドア越しに聞いてみる。僅かにあきがすりガラス越しにぼんやりと見える。

「へ?よく聞こえない?なんだよ?」

いざ取りに行こうと思ったがやはり緊張してきた。物怖じして声が小さくなる。

「いやクリーム・・・うわっ!」

床が濡れていたせいで、浴室のドアに突っ込む形になってしまった!

二人とも浴室で対面状態となりあきは一糸纏わぬ姿だ。

ロボットの陰りなど、どこにもない。透き通った白い肌、美しいおっ〇い、女性らしい丸みを帯びたカラダに、僕は絶句して声も出なかった。

「ほう・・・あき様の裸を見るとは言い根性だな・・・余程の豪傑か馬鹿じゃのう?水死と絞首、どちらがいいか選びなさい、一平ちゃん!」

指をバキバキバキとな鳴らしながら、僕をギラリと睨んだ。

「じゃ・・・絞首で!ってごめん!やっぱそりゃ怒るよね、うん。一平ちゃん理解!」

と言って逃げる僕を捕まえて、即座に絞首を執行するあき・・・うわーん!

「ぎゃぁぁぁぁ、ごめんなさーい!!!」


午後1時、池袋東口に到着する。

以前来た時と違い、新しいビルが目立っていた。休日だけあって街は賑わっている。

スクランブル交差点も群衆と足音が、歩行者信号のメロディーに掻き消されていく。

僕は、昔から人混みする場所はあまり好きではない。お祭り等や花火はほとんど行った記憶がない。大体、彼女いない歴24年、オシャレになど全く興味がないから、池袋に来ることはほとんど無い。

「ほら!あのデパート行くよ。前から行きたかったお店があるんだ。」

そう言って、あきは僕の左手を引っ張っていく。手を繋いで歩くってこういう事を言うのだろうか、鼓動が高鳴る。

とあるファッションビルに着いた。若い女性やカップルで賑わっている。

ショーウィンドウには、全身きれいに飾られた服や靴、カバンが並んでいる。

いわゆる女子色の世界に初めて入った感覚で店内のあちらこちらに目がいく。若い店員さんがあきと僕に話しかけてきた。

「こちらは今日入荷されたばかりの新作です、可愛いですよね!よろしければご試着いかがでしょうか?」

うわ、話しかけてきた!全く免疫がないからどう答えていいのかすらさっぱりわからない。工場で一緒だった信行だったら、平然と上手い事言うんだろうなと思う。

何も言えず目をそらして咄嗟に俯いてしまった。

あきがそのまま店員さんと色々と何か話をしている。そして店先にあるマネキンの傍にあるハンガーを手に取り、嬉しそうに僕に言う。

「あったあった!これだよ、雑誌に載ってたんだー。やっぱり可愛いなぁこの服!そう思わない?一平!」

「そうだね。か・・・かわいいと思うよ」

どの辺が「可愛い」のかさっぱり解らない。だけど、あきにはよく似合うと思う。洋服なんて男の僕からすれば「着れればなんでもいい」と思うが、あきがこうして喜んでいる顔を見れる服ならば、それはきっと眩しくて素敵なものなのだろう。それが女の子にとっての「可愛い」なのかもしれない。


 そんな事を思っていると、ふいに横から若い男の声がする。

「一平?一平じゃんか、久しぶり!って・・・お前、腕どうしたの?」

黒地のTシャツにダボダボの迷彩ズボン、流行に乗った若い男子だ。

すぐに彼が誰か分かった。高校の同級生、大原和也だ。

和也は、クラスではいつも目立っているタイプの存在だった。

「事故に遭って・・・両腕とも怪我してさ」

一平が右肩を撫でる。

怪訝そうに和也が僕の足のつま先から目線まで舐めるように目線を動かした。

「そうか・・・大変だなお前も。しかし今の時代にしちゃ、ロボットみたいな義手だな、右手・・・2100年代ならもっといいやつあるだろ普通」

「ちょっと運が悪かったんだよ・・・それに義手もお金かかるからさ」

そんな話をしていると、彼女らしき人物が向こう側から走り寄ってきて和也の手を掴んだ。

「どこ行ってたのよ!探したじゃない。あれ・・・?」

「篠田君?!久しぶり・・・どうしたのその腕・・・」

和也の彼女が誰かもすぐにわかった。同じクラスの同級生で、その学年のマドンナ的な存在で、男子の憧れとされていた二宮加奈だ。

内心僕も憧れていたが、とても手の届く存在ではない。同じクラスだったけど、目立たない僕の名前を憶えてくれていただけでも驚いた。

和也が加奈を紹介する。

「一平は知ってるよな彼女?俺、こいつと今付き合ってるんだ。」

「そうなんだ?高校の時から?」

「まあな・・・ところで横の女の子、お前の彼女?」

和也が目線をあきに送って聞いてくる。あきの目つきがなんだか怖い。かなり不機嫌になっている様子だ。

「あ・・・彼女というかその・・・」

ボソボソと喋る僕がそう言いかけると、あきが大きな声で言い放った。

「そうですけど、何か問題ある?ていうか、あんたちょっと無神経なんじゃない?自分が何言ってるかわかってるの?ブッサイクな女連れてさ!」

いきなり和也に啖呵を切ってケンカを売る。彼女ですけどって、え?!

「無神経?ブサイク?は?なんだ、この女は」

いやいや、和也を怒らせているしこのままじゃマズイ。僕は咄嗟に仲裁に入って、あきの手を思わず取った。・・・あきの手が少し震えているのがわかる。

「あき!いきなりどうしたの?」

あきがなぜ不機嫌なのか、僕には全く理解出来ない。

あきは、和也と加奈を睨んだまま、目線を反らさない。加奈も、和也の腕を引っ張りながらあきをキッと睨み返した。

「和也もう行こう!この子、意味わかんないし何かめっちゃ気分悪い」

「ああ・・・そうだな」

加奈はプンプン怒り、和也も同調するように話しながら、二人は何も言わずに立ち去って行った。

「何をそんな怒ってるんだよ?」

下唇ををかみしめながらあきがギュッと両手を握りしめて小さく呟いた。

「あいつ、一平の事、絶対バカにしてた。ロボットみたいだとかって・・・無神経すぎるよ。あいつに一平の何が解るって言うんだよ」

どうやらあきは、型式の古い僕の義手のことについて怒っていたみたいだ。

「気にしてないよ。そのおかげで、こうして僕はあきにも会えたしさ。だからもう怒らないでいいよ」

「でも、あきの気持ちはとても嬉しかったよ、ありがとう。そうだ!僕も行きたい所あるからこの後付き合ってよ」

そう言うと、怒っていたあきの顔が優しくほぐれて穏やかに笑みを浮かべて、うん、と小さく頷いた。

あきは、僕より短気で思った事をすぐに口に出してしまうことがわかった。ロボットなのに人間味溢れすぎじゃないか?って思うんだけど。

でも、そんなあきの不器用さと僕に対する気持ちがとても嬉しかった。


                                    続く

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