2 動物園
2 動物園
目覚めると時刻はすでに昼に近かった。ベッドにスミレの姿はなく、耳を澄ますと浴室でシャワーを浴びる音がちいさく聞こえた。
朝食、というか昼食を簡単に作る。トーストに、焼いたベーコンとスクランブルエッグ、それから簡単な野菜スープ。出来上がった頃にスミレがやってきて、テーブルの上をちらと見つめてからおはようございますと無表情に言う。おはよう、と僕も答え、紅茶ポットにお湯を注ぐ。ふたりで食卓につき、いただきますと手を合わせる。
のんびりと晴れた、日曜日の陽光が部屋に差し込んでいた。
昨日はお疲れさま。僕は改めてスミレをねぎらう。緊急の問題は片付いた?
はい、ひとまず政権内の意思決定は無事になされました。バターを塗ったトーストを小気味良い音を立ててかじり、咀嚼して飲み込んでからスミレは言葉を足す。きょうは予定どおり、お休みをいただいています。
そう。僕はちいさくうなずき、そして提案する。それじゃきょうは、一緒にお出かけをしようか。
お出かけ、とスミレは繰り返す。そしてちいさく首を振る。残念ですが、〈外出許可〉がなければ、わたしは勝手に官舎から出られないことになっています。
〈外出許可〉は取ったよ! と僕は言う。実はちょっと前に、あの怖い〈首席補佐官〉のお姉さんと交渉して、スミレはきょう自由に外出してもいいって、公式の許可書面までもらった。だからきょうは、気兼ねなくお出かけしてもいいんだよ。
差し出された公文書に目を通して、本当ですねとスミレはちいさくつぶやく。視線を上げ、僕の目をじっと見つめながらスミレは尋ねる。あの、どこにお出かけしますか?
〈動物園〉はどう? と僕は言う。よその動物園に引っ越すことになっている〈ペンギン〉の一般公開が、きょうまでなんだ。〈ペンギン〉、見たがっていただろう?
〈ペンギン〉、とスミレはぽつりと繰り返す。軽くうなずき、そして無表情のまま抑揚のない声で言う。素敵です、ぜひ行きたいです。
じゃあ、ケーキを食べたら出かけようか。スミレの内心にわずかな不安をいだきつつも、きっと本心だろうと思うことにして、ともかく僕はそう告げる。ケーキを切り分け、皿に盛り付けてスミレに差し出しながら、僕はもう一度だけきのうの言葉を繰り返す。スミレ、11歳の誕生日、おめでとう。
ケーキを食べ終えて片付けを済まし、支度を整えて部屋から出かける間際になって、僕はいま、一番耳にしたくない音を聞くことになる。
〈《国家安全保障に関する重大危機警報レベル3》が発令されました。《国家安全保障に関する重大危機警報レベル3》が発令されました。NSCが開催されます。関係職員はただちにお集まりください。繰り返します。《国家安全保障に関する重大危機警報レベル3》が〉
僕ら親子は静かに顔を見合わせる。互いに表情は浮かんでいない、ただ呆然と、鳴り響くブザー音と電子音声アナウンスの荒波に身を任せているだけだ。
本当に僕らはただ立ち尽くしているだけだった。やがて〈首席補佐官〉が部屋にやってくるまでの間、僕らはひと言も声を発しなかった。
連日の招集で恐縮ではありますが、ご承知の通りNSCが開催されます。休日ですが、スミレさまの臨席を賜ります。例によってわたくしが議場までご案内いたしますので、どうかそのままでお越しくださいませ。やってきた〈首席補佐官〉は、義務的な声でそう言った。
でも、きょうは休みをもらっているんですよ? 乾いた気持ちのまま、それで何かがくつがえるとは微塵も思わなかったけれど、ともかく僕は抗議の声を上げる。それに、きょうは外出許可証まで受け取っている。れっきとした公文書で、効力はあるでしょう。きょうだけは出席を、辞退することはできないのでしょうか?
残念ですが、〈国家安全保障上の重大危機警報〉は一種の超法規措置です。首席補佐官はあくまで平静にそう告げる。はっきり申し上げて、それはすべての公文書に優先されます。ですからスミレさまには、必ず臨席をしていただきます。これは国家としての決定です。どうか甘受なさってください、あなたも公務員の一員であるのですから、なおさらのこと。
はい、承知していますと、スミレは感情のない声で言う。そして僕を見上げ、ちいさな声でまた、すみませんと押し出すようにつぶやく。
スミレのせいじゃない。僕はこわばった声のままで言う。
頑張って、なるべく早く戻ります、とスミレは取りなすように言う。だからきょう、きっといっしょに〈ペンギン〉を見に行きましょう。
僕は、声が出なかった。スミレはまた振り向いて、僕にハグをせがんだ。きっちり〈5秒間〉、僕らは抱きしめ合う。あるいは娘によって、抱きしめ合わせてもらっている。いってきますとスミレは言い、いってらっしゃいと僕は答える。ドアが閉まる。部屋にはまた、よそよそしい静寂が導入される。
時刻は12:34。
調べてみると、動物園の最終入館時刻は〈16:30〉、ということだった。
* * *
スミレの母親は感情豊かで、エネルギーの塊のような人だった。
嵐のようにやってきて、そしてまた、嵐のように去っていった。
彼女との最後の日のことは、鮮明な映像として記憶に残っている。といって、何か特別な出来事があったわけでもない。古い友人に会いに行く用事があり、彼女は半日ほど家を空ける予定だった。まだ幼いスミレの世話を、初めて僕ひとりでこなさなければならなかった。
まるでその後の運命を予期していたかのように、彼女は懇切丁寧にひとつずつ、そのやり方を教えてくれた。
大丈夫だよ、ちゃんと見ておくから。彼女を安心させようと、自信ありげに僕は言った。だから気にせず行ってきなよ。
ねえ、スミレのこと愛している? 彼女はいくぶん唐突に僕に尋ねた。
もちろん、愛しているよ、と僕は答えた。すこし迷って、言葉を加える。君のことの次に、僕はスミレを愛している。
わたしのことより愛してくれてもいいんだよ、と彼女は笑う。世界でいちばん、スミレを愛してくれてもいいんだよ。眠るスミレの頬を愛おしそうに突っつき、いってきますと言ってから、彼女はドアを開ける。その背中に、いってらっしゃいと僕は言う。
それが、僕が見た彼女の最後の姿だった。
駅前の広場を襲った〈爆弾テロ〉に巻き込まれて、彼女はいとも簡単に亡くなった。
彼女の前夫は〈分離独立派〉を秘密裏に支援していたという噂があった。
それが事実なのかどうか、僕は知らない。前夫のことを彼女はあまり語りたがらなかったし、僕も取り立てて知りたいと思わなかった。ともかく、捜査当局はその噂を把握し、彼女も何かそれに関するいざこざに巻き込まれたのでは、という可能性を捨てなかった。けっきょく犯人は見つからず、真相はわからないままだ。でも、何となく、それは関係ないのではないかと僕は思う。因果も何もなく、彼女はただ単純に理不尽な無差別テロに巻き込まれてしまっただけなのだ。良くも悪くもそのような運命の悪戯を引き寄せてしまう強烈なエネルギーというものが、彼女にはあった。彼女はエネルギーの人だった。
でも、彼女は僕たちのもとを去ってしまった。
そのようにして僕とスミレはふたりきり、この世界にぽつんと取り残されてしまったのだ。
のんびりと晴れた、日曜日の陽光が相変わらず部屋に差し込んでいた。
あの日もこんなよく晴れた日だったな、と僕は思う。
なるべく早く戻ると言ったスミレの帰りを待つ以外、することもなかったので、僕は簡単に部屋の片付けを始める。食器を洗い、洗濯物を仕分け、そして出したままになっていた本をひとつずつ本棚へ戻す。本はあちこちにちらばっている。本棚は、親子共用ではあるもののスミレの所有する書籍のほうが圧倒的に多い。そしてそのどれもが、もはや僕にはさっぱり読みこなせないたぐいのものばかりだ。国際政治のリスク算定論、超弦理論の発展史、島嶼部防衛のための戦術基礎理念、通信技術とその全般的脆弱性、現代薬草学と民間療法、非可換幾何学概論、陰謀論と国営放送詳論、福祉と国家総動員体制、などなど。試しに〈双曲多様体理論の基礎と応用〉を手に取ってページを繰ってみるが、やはりその内容は微塵も理解できそうにない。本を戻す。そしてため息をつく。スミレの母親が生きていたなら、理解できないまでもこんなスミレの興味関心にうまく向き合うことができたのだろうか。そしてもっと、スミレ自身とも向き合うことができたのだろうか。何もかもを、もっとうまくやっていたのだろうか。僕と違って。
どこかに間違いが潜んでいる気がする。
視線を落とすと、ふと本棚最下段の端っこに、すっかり古びた図鑑の背表紙が目についた。懐かしくなって、無意識のうちに手を伸ばす。幼児向けの動物図鑑。まだスミレが言葉を発する前、読み聞かせをするととても喜んだ本だった。手をたたきながらはしゃぐようにスミレは笑った。あのころは言葉こそ口にしなかったけれど、その態度から、喜んでいるのは明らかだった。ページをめくる。ああ、そうだった。〈ペンギン〉。幼いスミレが一番喜んでいたのは、確かにこの、〈ペンギン〉の写真だったのだ。
時計を見る。13:48。スミレはまだ、帰ってこない。
* * *
16:00を回ったところで、僕は電話をかけてみる。相手は〈首席補佐官〉。コール音はするが、いつまで待っても電話はつながらなかった。もう一度かけ、同じように反応はなく、僕はあきらめて通話を切る。
官舎を出て、早足で出かけても、動物園にたどり着くのにゆうに20分はかかるだろう。
16:05にまたかけてみる。出ない。16:07にかけてみる。出ない。16:09、出ない。再度かける。出ない。
そして〈16:10〉をすぎてしまった。
窓の向こうの陽光はすでにオレンジがかった色合いを増し、夕刻の訪れを主張していた。
もう一度だけ電話をかけてみる。鳴り響くコール音。コール音。でもけっきょく、いくら待ってもみても、それが誰かにつながると言うことは、なかった。
* * *
勢いよくドアが開く音がして、甲高く叫ぶ声が響く。ただいま帰りました!
小型の嵐のように廊下を走り抜ける、乱れた足音。
時計を見る。16:21。
部屋に駆け込んできたスミレは、めずらしく真っ赤に上気した顔をしていた。お父さん、早く行きましょう! 息を切らしながら、必死になって僕を急かす。
おかえり、うん、そうだね。いますぐ出かけたい、ところだけど。スミレを落胆させるのが怖くて、目を合わせることができないままに僕は言う。でも実は、動物園の最終入園時刻は〈16:30〉なんだ。頑張って走っていっても、この時間じゃもう、間に合わないんだ。
だから〈ペンギン〉はあきらめて、また別の日に行こう、そう言いかけたところで、スミレの背後にスミレと同様荒く肩で息をする、〈首席補佐官〉の姿があることにふと気づいた。
ええ、走ったらもう全然、間に合いませんから。普段の態度にまるで似つかわしくない切れ切れのしわがれ声で〈首席補佐官〉は言った。ですから、車で行きましょう、車はわたくしが、出します。パトランプとサイレンをガンガンに鳴らして緊急車両のふりして限界まで飛ばせば、きっと、時間内にたどり着けますから。
それは、でも。卑しい小役人的な不安に縛られて、僕は言う。許可もなくそんなことをしては、あとでかなり、まずいのでは?
昨日きょうともう、連続して〈レベル3〉の〈国家安全保障警報〉なんかが発令されているのですから。車のキーと思しきものを取り出して、目前にちらつかせながらどこか傲然とした口調で彼女は言う。公用車の私的利用くらい、なんてことないですよ。心配には、及びません。
スミレは駆け寄ってきて僕に触れ、顔を見上げる。無表情のままで、僕を見つめる。
無表情、でもその表情は、ないまぜになった不安と期待を浮かべているように、見えなくもない。
僕は心を決め、ゆっくりとうなずき力づけるように彼女の肩に手を置く。そしてつぶやく。じゃあ、お願いします。車を出してください。何かあったら僕も責任を取ります、だから無理を言いますが、動物園まで、急ぎましょう。
では、と〈首席補佐官〉は言う。早く外へ出ましょう、車はそこに、停めていますから。
僕とスミレはそれぞれの背中に獰猛なまでの加速度を感じながら、その激しい運転技術に身を委ねる。
強烈なサイレンを響かせながら目も止まらぬスピードで他の車を追い越し、無理としか思えない隙間をかすめるように通り抜け、ありとあらゆる信号を無視して、爆走する。
ねえ、いつもこんななの? 僕は生きた心地もせずシートベルトを握りしめながらスミレに耳打ちする。
いつもここまでではないですよ、とスミレも必死で僕に耳打ちする。でもときにけっこう、無茶をします。
さあ、もうすぐ動物園ゲートにたどり着きますよ! いつもの沈着な彼女に完全にそぐわない張り上げるような声で〈首席補佐官〉は言う。いいですか、時間の余裕はありません。ですからゲート前に着いたらふたりとも、速やかに、全力疾走で、お願いしますね!
* * *
そして僕らは〈全力疾走〉をした。
無我夢中で駆け抜けた。
動物園の職員はもう、入場ゲートの鍵を閉めようとするところだった。
不満げではあったものの、でも、彼は僕ら親子を通してくれた。
16:34。
僕とスミレは動物園のなかにいた。
16:35。
〈ペンギン〉を見に行きましょう、とスミレは言った。早く、早く!
そして僕らはまた、走り始めた。〈ペンギン〉のいる舎房は〈ウエスト地区〉にあり、ここからはまだ距離があった。
先を行くスミレの後ろ姿を追いかけながら、なぜかゆっくりとスローモーションに感じられるこの瞬間を感じて、唐突にあることを思った。
これも全部スミレの演技だなんて、そんなふうには思いたくないな。
なんて、とりとめのないような、そんなことを。
〈ペンギン〉は思っていたよりもずっと間近で見ることができた。
間近で見る〈ペンギン〉はなんとなく無愛想で、そして思っていたよりも、立派で大柄なからだをしていた。
弾む呼吸を落ち着かせつつ、僕らは並んで柵の前に立った。閉園時刻が迫ることを知らせるアナウンスが場内に響き始めていた。客ももうまばらだった。だから好きなだけそこにとどまり続けることができた。時間をかけてじっくりと、心ゆくまで〈ペンギン〉の姿を眺めたあと、写真を撮りましょうとスミレは言った。
いいよとうなずき、後ろへ引いてスミレと〈ペンギン〉をうまくカメラに収めようと工夫する僕を、違いますとスミレは遮る。違います、お父さんもいっしょに写るんです。
いっしょに、三人で? と僕は尋ねる。
三人で、とスミレは答える。
柵まで戻り、それから〈ペンギン〉を背景に、僕は慣れない自撮りをしようとする。スミレも画面を見守りながら自らの位置を調整する。けっきょく僕ら親子はくっつき合って、お互いどこか生真面目な顔をして画面に写り込んでいた。背後の〈ペンギン〉がその様子を、どことなく胡散臭そうに見つめている、という、どこかシュールな構図が画面に出来上がっていた。
パシャリ。
* * *
けっきょくその〈ペンギン〉だけを目にしただけで、僕らは帰り道を歩いていた。閉園時刻のメロディが古びたスピーカーを通し、ひび割れた音で鳴り響いている。
途中、売店で急ぎ足にソフトクリームをふたり分買って、歩きながら食べた。つめたくて美味しいですね、と無表情でスミレは言った。
ゲート前の広場に差し掛かると、設置されている大型スクリーンに臨時のニュース映像が映し出されているのが見えた。先刻行われた、〈大統領〉の記者会見の様子とのことだった。強面な姿勢が保守層を中心に支持される我ら共和国の〈大統領〉は、記者の質問に叱りつけるような強い口調で反駁していた。おいおいおい、〈イースタシア〉勢力が平和的解決を望んでいるなどという根拠はどこにあるのだ? やつらがこれまでに我が国に対してしてきたことを考えてみろ、〈分離独立派〉への支援でどれだけの数の
記者を相手にヒートアップする会見の様子は、いまではもうおなじみのものだ。官僚機構の強靭なこの国にあって、歯に衣着せぬ〈大統領〉の強面の答弁スタイルは鬱屈した政治状況に置いて爆発的な人気を呼んだ。半年後に行われる〈大統領選挙〉でも、彼の再選は確実視されている。
きょうはこの記者会見についての事前打ち合わせをしていました。スミレはさらりと言った。
え、〈大統領〉と直接打ち合わせをするの? びっくりして僕は尋ねる。
ソフトクリームを食べながら、スミレはこともなげにうなずく。はい。とある会合をきっかけに数ヶ月前から直接顔を合わせるようになって、ときどき意見を求められたりもします。正式な肩書はないので、あくまで〈いち友人〉として私的な雑談をする、という形式を取りますが。〈大統領〉はああ見えて、自分以外の意見をしっかりと収集するタイプの政治家ですね。
僕はあいまいにちいさくうなずき、そしてスミレとあの強面の〈大統領〉が膝を突き合わせて話をしている光景を、思い浮かべてみる。それは、イメージできないというよりはむしろ滑稽なグロテクスさを帯びて僕の脳裏に印象を宿す。11歳の少女の発言を真剣な面持ちで受け取る、豪腕で鳴る保守派〈大統領〉。スミレはきっと〈大統領〉相手にも怯んだりはしないのだろう。臆せずに放たれる鋭い指摘はあの〈大統領〉でさえ舌を巻き、その深甚な知見の重要性を本心から受け止め、重大な危機への対処についての有用な意見として、積極的に取り入れるのだろう。
彼女は〈天才少女〉なのだ。
それはすごく、大変な仕事だね。僕はどこか呆然とした気分のままでそうつぶやく。そうですね。スミレはすなおにその言葉を引き継ぐ。そして言う。誰かがやらなければならない仕事です。そしてわたしには、たまたまそれを受け持つ能力があった、というだけのことだと思います。能力があって、それが必要なのであれば、やるべきなのだとわたしは思います。
言い終わってから、スミレはまた、ソフトクリームを口に運んだ。
僕はいま、自分の娘の口にしたばかりの言葉をゆっくりと心のなかで反芻する。能力があって、それが必要なのであれば、やるべきなのだ。
そのとおりなのだろうと僕は思う。それは運命とも呼べるし、責任とも呼べるし、存在意義とも呼べるものだ。能力があって、必要なのであれば、それはやるべきなのだ。
〈能力〉があるのなら。
ソフトクリームを食べ終えたスミレは、無表情なままで僕に尋ねる。お父さん、手をつないでもいいですか?
僕はその申し出を、躊躇する。娘と手をつなぐ。果たして僕にその資格があるのだろうか? 僕はこの、〈天才少女〉の父親を務めるだけの〈能力〉を、持ち合わせているのだろうか? わからない。わからないまま僕は、偽りの笑顔を浮かべてそれに答える。いいよ、もちろん。そして手を差し出す。変化のない顔のまま、スミレはその手をしっかりとにぎる。心地よいその圧力を感じながら僕は思う。僕はまた、〈父親ごっこ〉をさせてもらっている。手をつながせてもらっている。そんな資格もないのに。そんな〈能力〉もないのに。〈ペンギン〉可愛かったねと僕は言う。はい、とても可愛かったですとスミレは答える。きょうは動物園に来られて、よかったです。ありがとうございました。
僕らは手をつないで、暮れる夕日の残光を背中に浴びながらゆっくりと、退場ゲートへと足を進めた。
* * *
そして門の向こうには、どこか痛みに耐えるかのような表情を浮かべる〈首席補佐官〉の姿があって、僕らを待ち受けているようだった。
ほんとうに申し訳なく思うのですが、ともかく、この電話をお受けいただけますか?
そう言って彼女は携帯電話をコールし、短く応答したあと、僕にそれを差し出した。何の説明もなく突きつけられたその電話をけっきょくのところ受け取って、困惑しつつも僕は口を開く。あの、もしもし?
このあと君らを食事にまねこうと思うのだ、と電話の向こうでどこか聞き覚えのある声がそう言った。車は出させるから、そのまま〈第一迎賓館〉に来てくれればいい。ドレスコードは気にしなくていいぞ、どうせおれたちしかいないからな。気兼ねなく話し合おうじゃないか。では、後ほど!
要件だけを述べて返事も聞かず、名乗りもせず、一方的に通話は切れてしまった。
困惑げに、僕は〈首席補佐官〉を見つめた。
〈大統領〉です、と彼女は言った。〈大統領〉があなたがた親子を、きょうの夕食に招きたいとおっしゃっています。
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