夜の街で出会った清楚系女子校生がうちの学校でなぜかギャルの格好をしてグイグイ距離を詰めてくる件。

空館ソウ

美人はつけ麺をすすっていてもさまになる


「あつもり一丁お待ちぃ!」


 威勢の良い声とともに天板に置かれた麺とつけ汁をうけとり、ハシとレンゲを手に取る。

 桜は散ってもまだ夜は寒いこの季節、つけ麺はあつもりくらいがちょうどいい。

 自転車をこぎまくって料理の配達をした後は身体が炭水化物を求めている。


 麺は右斜め奥。汁は左手前だ。

 ハシでとった麺をこってりとしたつけ汁に三分の一ほど入れる。

 左手のレンゲの上に濃厚な汁が絡まった麺を螺旋を描くように乗せる。

 そして右手の麺を口にいれすすると同時に汁が溜まった左手のレンゲを口にいれる!


 美味、圧倒的美味!

 咀嚼すると麺の香りが鼻に抜ける。


 一口目で麺の香りを楽しんだ次はつけ汁だ。

 すべらないように海苔で巻いた多めの麺をとぷりと汁につけ、一気にすする。


 こんなに口に入れて噛めないんじゃないかって?

 噛めなくて良いんだよ。飲めば良いんだから。

 麺が一直線に食道を通っていく背徳的な快感を感じた後、口直しに焼豚を一枚口に放り込んだ。


「……ん?」


 俺ことみなみ 一輝かずき、高三がバイト帰りに一人で孤独のグルメごっこにいそしんでいると、何やら右から視線を感じた。

 何気なく振り向くと、アクリルの間仕切り越しに、黒髪をかき上げ、右手のレンゲを口に運ぼうとしたままこちらを凝視している女の子と目が合った。


「「……」」


 このアクリルあれじゃないよな? ボーカロイドやパフュームが映り込む奴じゃないよな?

 孤独のグルメを楽しめない人向けにバーチャルラーメンデートを楽しむ店じゃないよなここ?

 そう疑ってしまうくらい板の向こうの女の子は現実離れしていた。


 小さな顔に驚いたようにぱっちりと開かれた目元。ボブくらいの髪の後ろがサラリと流れ、長い首の白いうなじがよく見える。

 左耳に髪をかき上げている指も小さいというより細くて長い。

 つけているシンプルなシルバーの指輪が楚々とした外見によく似合っていた


 などと考えながら、俺はいまだ麺にハシを突っ込んで固まっている。

 これは相手が美少女だからじゃない。

 あまりにも至近距離で見られているから動けないのだ。

 俺だって霊長類の端くれである。ここで視線をはずせば危険だという事は本能で理解している。

 例えばつけ汁を頭にダンクされるとか。ないか。


「……なに?」 


 かろうじて出した声に、美少女はレンゲを下ろし、背筋を弓のように反らせてこちら側を覗いてきた。

 アクリル板越しじゃない顔が改めて興味深そうにこっちを見てくる。


「いや、見とれちゃってさ。すごいじゃん君。二口で麺が半分になってるよ?」


 視線を向けた先には俺がハシを突っ込んでいた麺があった。


「あぁ、バイト帰りで腹が減ってたからな」 


「そういう問題じゃなくない?」


 クスッと軽い笑い声を上げる少女を改めて見ると、やっぱりすごくかわいい。

 綺麗系と言った方がいいだろうか。さっきまで見開かれていた目は二重の薄いまぶたと長いまつげに半分ほど隠されている。ジト目というわけじゃなく、流し目のような色気がある。

 スッキリした顎、小さな唇、スッと伸びた鼻が綺麗なEラインを描いている。特に唇が艶めいていて綺麗だ。


「ってつけ汁じゃねぇかそれ」


 ラードにまみれた唇に思わず突っ込むとつけ麺女子は慌てて店のティッシュを軽くくわえた。


「垂れてないじゃん」


「すまん、見間違いだった」


 グロスかと思ったらつけ汁、とみせかけてグロスだった。

 ティッシュを見て唇をとがらせるつけ麺女子に謝っていると、入り口からよく響く声が聞こえてきた。


「あ! やっぱりここにいた!」


 ふりかえると、そこには活発そうな明るい髪色をしたショートカットの女の子が立っていた。


「ほら、明日の予定を確認するんだから、とっとと事務所に帰るよ!」


「アヤ、まだつけ麺食べ終わってないんだけど……」


「そんなの明日にすればいいでしょ、そもそも夜9時以降は飲食禁止!」


 小柄なショートカットの女の子がキビキビとスタイルの良いつけ麺女子を無理やりたたせる。

 食事はともかく水も飲めないのかよ。この子らどんな世界に生きてるんだ……


「じゃあねー」


 笑顔で手を振るつけ麺女子は謎のお迎えにより出口へと押しやられて去っていった。

 嵐のようにやかましいやりとりが消えた店内はすぐにもとの喧噪をとりもどしていく。

 俺もカウンターに座り直して食事を再開するけれど、何かが引っかかっていた。

 けど、麺を追加するか迷っているうちに、唐突に理由を理解した。

 この界隈にいるはずがないと思い込んでいたので気付くのが遅れたのだ。


「あの制服、ウチの高校のやつじゃねぇか……」



 —— ◆ ◇ ◆ ——



 つけ麺事件から数日。

 わりとあっさりと、なんの情緒もなくつけ麺女子と再会を果たした。

 ただし、予想外の姿で。


「やぁ」


 放課後、梅雨の切れ目の西日がさす廊下を歩いていると、何の前触れもなく肩を叩かれた。

 俺にこんな事をする奴はこの学校にはいないのでどこかのうっかりものが間違えたか、と一瞬思ったが、その声には聞き覚えがあった。


「つけ麺女子か」


 首だけ振り向きながら訊ねると、そこにはキョトンとした顔でこちらを見ているギャルがいた。

 予想外の展開に俺が早とちりしたかと固まってしまった。


 目の前にいるのはギャルである。

 黒髪にピンクのインナーカラー、カラコン、複数の耳ピ。

 化粧も流行に乗りつつ、アイメイクの主張がはげしい。


 制服は着崩され、大きく開いた衿から見えるデコルテには、さすがにシールだと思うがタトゥーが見える。

 媚び要素が一切ない。

 とにかく近寄りがたい雰囲気だ。


 けれどよく見れば、このギャルはやっぱりあの夜のつけ麺女子だった。

 夜は黒髪美少女で昼はギャルかよ。普通逆じゃないか?


「つけ麺女子って……当たってるけど、よく私だってわかったね」


「お前こそ後ろ姿だけでよく俺だってわかったな」


「私はさっき渡り廊下で見かけたから追いかけてきただけだし。で、なんでわかったの?」


 ぐいいっと詰め寄られ思わず後ずさってしまった。

 シャツを持ち上げる膨らみから、開いた衿の中身をつい想像してしまう。

 左髪をピンで留めているので、耳の上から下までたくさんついているアクセサリーがやたら主張してくる。


「ほらほら吐きなー?」


 なんか会話の距離も近いな。

 てかなんで追及されてんだ俺?


「俺に女友達はいねぇし、気安げに肩を叩いてくる奴なら尚更いない」

「えー嘘だー」


 即行で否定された。なんでだよ。嘘を見抜く特殊能力持ちかよ。

 気が進まないが、話もすすまないのでため息をついて白状した。


「声がな。特徴的だったからわかった」


「声?」


 相手は長い首を傾げた。ふわりと意外と上品な香水の匂いが漂う。

 あの夜は二言三言話しただけだったけど、店内がうるさいのによく聞き取れる声だった。


「ああ。良い声だったからな。覚えてた」

 開き直って事実を思ったまま伝えると、つけ麺女子は一瞬ぽかんとした後、満面の笑みを浮かべた。


「そうかー良い声なんだ私。ふふ、センパイは私のファン一号だね」


 ファンて……お前は何様だよ。

 確かにファンクラブが出来そうなくらい見た目は整ってるけど、そのファッションスタイル、素材の良さを損ねてるぞ。


「そういや見ない顔だな? そのタイの色だと一年か」


 胸元のタイのストライプは赤、だから今年に入ったばかりの一年生だとわかる。

 先輩と呼ばれたしな。


「あれ? センパイは上下関係とか気にするタイプ?」


 特に含むところもなく訊いてくる相手に俺は鼻をならした。


「いいや。仕事で年下に頭下げるのもざらだし気にしねぇよ。一、二年なんて誤差だろ。好きにしてくれ」


「うん、じゃあこのままで。相手によるけどセンパイにはこの口調の方が楽……って、お互い名乗ってなかったか」


 確かに、いつまでもつけ麺女子って呼ぶわけにもいかないな。


「南 一輝だ。よろしくな」


神谷かみや マコトだよ。マコトって呼んでよ」


「じゃ、俺もカズキで」


 そう言った瞬間、マコトが笑みを消し、一歩後ろに下がった。

 まぶたは魅力的な瞳を半分かくし、肩と口角がだるそうにさがる。

 するとそれまでの人なつっこい雰囲気がなくなり、氷の様に冷たい印象に変わった。

 ファッションとあわせ、外見としてはかなり怖い部類に入るだろう。

 張り詰めた空気に内心、距離感間違えたか? と焦っていると、俺の横を女子二人が通り過ぎていった。


「マコトさん珍しいね、まだ残ってるの?」


「んー、ああ、まぁねー」


「そうなんだー。……あっ話し中だった? じゃ、じゃあね」


 同学年らしい女の子は反応の薄いマコトに愛想笑いをして去って行った。


「ねぇ今の二年の南先輩じゃなかった?」


「こわー、やっぱマコトさんああいう人と付き合うんだね」


 こそこそと失礼な言葉が遠ざかっていく。ああいうのってなんだ。こっちは目つきが悪くてコミュニケーション能力に難がある普通の高校生だ。


「どうしたんだ一体?」


「ん、別にカズキがどうしたってわけじゃないよ。一緒に帰ってくれたら教えるよ」


 無表情のまま、マコトは昇降口へと向かっていった。

 そして校門を出てしばらくするとマコトはだるそうな無表情を止めた。


「くぁー疲れたぁ」


 長い腕を思い切り空に伸ばす姿にもう冷たい雰囲気はない。


「もしかして学校じゃキャラ作ってんのか? かなり怖い顔をしていたが」


「そういう事。学校では基本怖いキャラで通してるよ」


 耳につけたピアスをはじきながらニヤリと笑った。

 種明かしをすれば、マコトの外見は耳たぶのピアス穴以外はフェイクだった。

 耳の軟骨についていたのはピアスではなくてピアス風のイヤーカフで、インナーカラーは取り外せるウィッグだった。


「すげぇな。お前女優になれるんじゃねぇか?」


「え、ホントにっ!」


 なぜかすごい勢いで食いついてきた。

 笑顔がまぶしいぞオイ。


「近い近い」


「あ、ごめん……」


 言った本人もリアクションが大きかった自覚があるのか、落ち着かなく髪をいじったりしている。

 面白いのでしばらく放っておくか。


「それで? なんでこんな事をしてるんだ?」


 ようやく落ち着いてきたのでキャラを作っている理由を訊いてみた。

 すると、それまで残っていた弾むような空気は完全にしぼみ、マコトは醒めたような、温度を感じられない表情で遠くを眺めた。


「うーん、いうなれば、私だって友人関係を選ぶ側に回りたい。ばらされたくない、それなりの事情があるのです」


 パタンと腕を下ろすと同時に吐き出された言葉はおどけていたけど、続けて小さくつぶやかれた、秘密をばらされるとか裏切られたくないので、という言葉でなんとなく察してしまった。

 これまでその容姿で嫌な目にあってきたんだろう。

 これだけの美少女だ。どんな性格だろうと男女ともに注目され、ある事ない事色々噂されてきたのは容易に想像できる。


「贅沢な悩み、と言いたい所だが、つくりが良いのも考えもんだな」


「お、おぅ……カズキって、なんて言うか直球だね」


 横を見ると落ち着かなさそうにマコトが顔を赤らめていた。

 こんな顔を見せられるとさすがにこっちも落ち着かなくなる。


「客観的事実だ。所で火曜の夜に、なんであんな街でつけ麺なんてすすってたんだ?」


 話題を変えるためにあの晩の話を持ち出す。


「うーん、そっちは言えないかなー」


 が、マコトはあざとく人差し指を顎に当て、片目をつぶっておどけるだけだった。

 なるほど、それなりの事情というやつか。以前秘密をばらされたりしたと言ったし、用心しているんだろう。

 それなら無理に聞くまい。


「それよりカズキって学校では有名人? さっきの子達の反応だとなんか知ってるみたいだったけど」


 思いだしたかのように傾けていた頭を戻してカラコンで盛った明るいブラウンの瞳をこちらに向けてくる。

 ああ、あれは驚いた。一年にまで知られてるとは思わなかったな。


「うちに自転車部があるだろ? あそこにいたんだが、やめる時にちょっともめた」


「何したの。私友達つくらないから知らないけど、ちょっともめたくらいでああは言われないでしょ」


「知るか。噂には尾ひれがつくもんだろ」


 そう言いつつ、自然と眉間に皺が寄ってきてしまう。

 実際はマネージャーの井川が予算を横領していた事を知ったのでそれを暴いて止めさせた。

 多少脅したけど部には居づらくなってやめた。

 井川がほうぼうで匂わせたせいで、周囲からはなんとなく俺が暴力事件を起こして退部した、と思われている。

 部員は学校から処分を受けないかわりに口止めされていて、それは井川も同じだが……まあどうでもいい話だ。

 それよりなんで一人で解決しようとした、と皆から怒られた方が堪えた。


 こちらの雰囲気を察したマコトはそれ以上訊かずに黙って歩く。


「まーお互い秘密があるという事で。話すつもりになったら話そうよ。ハイ」


 前を歩いていたマコトが振り向きざまにいスマホを差し出してきた。


「RINEしたいから教えてよ。秘密を話したくなった時のためにさ」


 少し顔を赤らめ、いたずらっぽく笑うマコトに俺はうなずいてスマホを差し出した。



 —— ◆ ◇ ◆ ——



「どうよカズキ。ユーバーイーツの仕事は?」


 昼休みに惣菜パンをかじりながら、先日仕事先で新しくRINE交換した奴とやり取りをしていると、対面で前の席の椅子にまたがっているレンヤに話題を振られた。

 レンヤは自転車部の部長で俺の友人だ。

 あんな事件があった後も変わらず俺に絡んでくる。


「ああ、悪くないな。あの辺りはうちの学校の奴等もいないし、IT企業が多いから注文も多い。その割にレストランと距離があるから、自転車のライバルはほとんどいない」


 それに連絡先も交換できるしな、とスマホの画面をみせた。


「アヤカ、ってうらやましいなオイ。じゃなくて客と連絡先交換なんてして良いのか?」


 さすが真面目君。部長になるだけのことはある。


「良いんだよばれなきゃ。それに知らない相手でもなかったしな」


 スマホをいったん机に置いてマイボトルのお茶を飲む。

 レストランのスタッフとの関係も良好だし客からチップをもらうこともある。部をやめて体力を持て余していた俺にとってはうってつけの仕事だった。


「予備校と両立できてるのか?」


「お前は俺のオカンか。まあ……なんとかやってるよ。まさに自転車操業だけどな」


 自分の予備校代は自分で払っている。が、これは仕方ない事だ。

 親からしてみればスポーツ推薦で大学に行ってくれるものと思っていた息子が勝手に事件を起こして通常枠で大学受験をすることになったんだ。予備校代を出し渋るのは当然だろう。

 もとから自分の失敗は自分で始末をつけろ、という教育方針だったのでこちらも納得している。


 とはいえ、入れると思っていた大学から数段格下の大学を志望大学にしているのでモチベーションが上がらない。

 そもそも自転車部もない所に無理に行く必要があるのかという疑問もある。


「なんだよ、だいぶハンドルがガブってるな」


 正直な気持ちを話すとレンヤに呆れられた。


「軸がブレブレなのはわかってんだ。なんとかしなきゃいけないんだがなぁ」


 特に良い案もでないままお互い無言になる。


「ところでカズキ、一年の神谷って子と仲いいのか?」


「あ? ああ、仲いいってか、たまに話す程度だな」


 すれ違えば挨拶くらいはするし、学食で暇そうにしていれば飯くらい一緒に食う。

 ただしマコトが怖ギャルキャラを演じなくて良い学校の外では良くからむ。

 というのも、マコトは俺がロードバイクを置いて拠点にしている繁華街の駅によく出かけるからだ。

 お互い学校が終われば駅に直行するのでほぼ毎日のように学校の最寄り駅からその駅まで一緒に行く。

 あの夜の街でなにをしているかはまだ聞かされていないが。


「ふーん。他人の交友関係に口を出したくないけど、あまり良い噂を聞かないから心配だよ」


 そういってレンヤはチキンサンドの最後の一欠片を口に放り込んだ。


「そりゃどうも……ちなみにどんな噂なんだ?」


 人を遠ざけるためのファッションのせいで、悪評までたって面倒ごとに巻き込まれればそれこそ本末転倒だ。

 そう思い、マコトに忠告するために訊くと、レンヤが黙ってこちらを見てきた。


「カズキ……お前正義の味方もほどほどにしとけよ」


「あ?」


 見返すと、レンヤは次のサンドイッチに手を伸ばしていた。


「勝手に突っ走って、周りのペースも考えろって事だ」


 そういってレンヤは大口を開けて新しいサンドイッチにかぶりついた。

 言うまでもなく、部費横領事件の事を言っているんだろう。


「俺も学習したよ。一人で勝手に熱くなって事件を暴いたり、もう無茶はしない」


 なら良いけどさ、と言って、レンヤは口を開いた。

 その内容に俺は思い切り顔をしかめた。

 内容はマコトがいわゆるパパ活という奴をしているという話だった。



 —— ◆ ◇ ◆ ——



 最近マコトとは毎日のように一緒に下校しているが、ここ数日マコトの口数が少ない。

 今日、梅雨の曇り空が一際黒い気がしたのは、二人の間に流れる空気のせいだったのかも知れない。


「今日、仕事始める前に、時間あるかな?」


 地下鉄から地上に出たところで前を歩いていたマコトがぽつりとつぶやいた。


「ああ、いいぞ。こっちも話したい事があるしな」


 実は、今日は天気が悪いのでユーバーイーツの仕事は休むつもりだった。

 でも、マコトの雰囲気から何かあるだろうとこっちまでついて来たのだ。

 できれば、マコトが夜の街にいる理由を明かしてくれるといいんだが。

 

「そこの公園で話すか」


 ちょっと大きめの日本庭園風の公園に誘うとマコトはこくりと細い首で頷いた。

 そのまま散策路を進んでいく。

 けれどマコトは話を切り出す事もなく、俺達は散策路の三分の二まで来てしまった。


「あのさ、カズキの話したい事って、なに?」


 空ではげしく渦巻く黒い雲を見ていると、後ろを歩いていたマコトが訊ねてきた。

 言い辛い内容なのでマコトの話を先に聞くつもりだったが、らちが明かないのでしかたない。


「学校で、マコトがパパ活をしているって噂を聞いてな」


 一息に言い切って石橋の終わりで振りかえると、ちょうど橋の真ん中にいるマコトに見下ろされる形になった。

 マコトはいつか友人に見せたような冷たい顔をしていた。


「ふーん。まあこんな格好をしていれば疑われもするよね。それで、説教でもするつもり?」


 声は押さえているけど、抑揚から不安なんだとすぐにわかる。

 しばらく付き合ううちに、マコトの声は感情がとても豊かだという事がわかった。

 だから俺は再会した時にこの声を聞き分けられたのかもしれない。

 

「事情を知らないのにそんな事するか」


「じゃあなんで話すの」


 もっともな疑問をぶつけられたので、ついと視線をマコトから池の向こうの松に向ける。


「最初は噂を聞いても聞き流すつもりだった。マコトはそんな事をしないと思ったからな。でも、時間がたつごとに気になってきた」


 松の木の先は繁華街だ。金を持っている若手IT起業家も一流企業のビジネスマンもいくらでもいる。こうして夜の街に来ているマコトの事を考えると、どうしても嫌な想像が頭から離れなくなる。

 同時に、自分がひどく落ち込んでいる事に気がついた。

 普段は強面ギャルを装っている、人なつこい少女が自分の中でいつの間にか特別な存在になっていた。


 とはいえ、問いはすなわち疑いになる。

 だから俺は本心をさらして訴えるしかない。

 松から視線を再び無表情のマコトに向け、俺は言葉に精一杯の感情を込める。


「詮索はしない。でもこれだけは言っておきたい。もし噂が本当なら」


「本当なら?」

 

 目をいっそう細め、身構えるマコトの方に顔をむけ、しっかりと視線を合わせて口を開く。


「俺が、嫌だ」


 ただの主語と述語。なんて稚拙な感情表現だろうか。

 でもこれが余計なものをそぎ取った俺の本心だ。


「嫌だって……それって心配してるって意味?」


 意味を図りかねたマコトが怪訝な顔をする。


「いや、あえて言うなら嫉妬だな。金で買った関係が欲しいわけじゃないが、嫉妬が一番近い」


 欲しいわけじゃ無くても、他人がマコトを好きにして喜んでいる、と考えるだけで胸がむかついてくる。どうしようもなく暴れたくなる。これが嫉妬じゃ無ければなんなのか。


「お前の隣に別の男がいると思うと腹が立つ」


 再び言い切り黙っていると、初めて会った時のように目を見開いていたマコトが吹き出した。


「何それ、ストレート過ぎ」


「俺は直線コースが一番得意なんだよ」


 我ながらイノシシの様だと笑うとマコトの氷の仮面もあっというまに溶けていった。

 決定的な言葉は口にしなくても、マコトとの距離がぐんと近づいた気がする。


 微笑んだマコトは橋の欄干まで歩いて行くと、手をかけて滑らかな曲線をつとなでた。

 けれど、右下の池に顔を向けた顔は憂いを帯びている。胸が嫌な予感で満ちてくる。


「大丈夫、カズキが思うような事はしてないよ。でも——」


——しばらく会わない方が良いかもね。


 近づいた気がしたのに、振り向いたマコトが口にしたのは、追いかける俺を一気に引き離す言葉だった。

 予想外の言葉を返され動けずにいる俺に、マコトは寂しそうに笑った。


「私ね、転校するんだ。近場だけど」


「例の秘密と関係あるのか?」


 たまらず口を突いて出た追及の言葉にしばらくためらった後にマコトは答えた。


「んー、まあね。これが今日話したかった事」


 そういってマコトは話を終えた。

 結局、夜の街にいる理由をマコトは明かしてくれなかった。

 信頼度の不足か、言えない事情か、あるいは後ろめたい事情か。俺に知る術は無い。

 空で渦巻く雲はいよいよ黒くなり、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。

 背中を叩く雨粒が、夢の終わりを告げている気がした。


 この日から、俺とマコトとのやりとりは無くなった。



 —— ◆ ◇ ◆ ——



「ありがとうございました」


 ピザを片手に去っていく美人に向けて一礼し、足元のユーバーバッグを閉じる。

 手早くスマホで完了報告をしてバッグを背負った。


「にしても、IT企業の秘書や広報ってやっぱ美人しかいないな。どういう採用基準なんだか」


 エレベーターにのりこみ、ガラスの向こうの高層ビルをながめる。

 それが全てじゃないとわかっているけど、答えの一つを俺は知っている。

 一度、警備の緩い配達先で、声をかけても来ないのでオフィスに入った事があった。

 常連なのでつい入ってしまったが、そこで社長といつも笑顔で出てくれる広報が抱き合っていた。


—— 金ならそこにあるから。置いといてくれ。


 フロアの反対から響く場違いな明るい声に返事をする事も無く、俺は黙って仕事をして帰った。

 いつもと違い二人前の食事だった時点で気付くべきだったかもしれない。

 大人には色々な趣味がある事を知った。

 その会社とはそれきりだ。


「金がありゃそれでいいのかよ」


 ガラス張りのエレベーターでつぶやきながら外を見下ろすと、通りにマコトらしき後ろ姿を見つけた。

 顔をそむけスマホを取り出し、次の配達先がないか調べる。


 やりとりが無くなり、学校から姿が消えても、マコトはこの街にいた。

 気のせいではなく、一度はお互いの顔が見える距離ですれ違った事さえある。

 活動範囲がかぶっていればそういう事も起こる。

 それでもお互いが声をかけあう事は無かった。


 睨むとそれなりに怖くて、でも話せば人なつこく、少し甘ったれ。

 あいつのくるくると変わる表情をまた見たい。話がしたい。

 そう願わない日なんてないけど、あの日の拒絶が心の中に残っている。


—— 一段落したら連絡するから

 

 それが体の良い振り方だろうと物わかりのいい振りをしながら、俺は言葉通り連絡があることを願い、忠犬のようにただ待ち続けている。

 突っ走って他人に迷惑をかける事はもうしない。


(ヴヴンンン)


 その後二件配達をこなし、次で最後にするかとスマホを出そうとすると、指先でスマホが震えた。

 RINEで連絡してきたのはつけ麺屋でマコトを引きずっていったアヤカだった。この時間に連絡するのはめずらしいな。


『今仕事中でしょ? このあと本木谷スカイからステラのフラペチーノ頼むからよろしく』


 アヤカはつけ麺屋での一件の後、配達先のマンションで偶然再会した。

 マコトの話題になると、何を思ったのか急に連絡先を交換しろと言ってきた。

 それ以来何度も注文されていて、たまにプライベートのやり取りもしているけど、こんな事ははじめてだ。


『商業ビルで何してんだ?』


 打ち込むと即返事がきた。


『いいから受けなさい。こっちは客よ』


 なんて暴君だ。どうせあと一回配達しようと思ってたから良いけどな。

 それに何かはあるんだろう。

 同じビル内にあるコーヒー屋のメニューをデリバリーするなんて呼び出し以外の何物でもない。


 ほうぼうで足止めされつつなんとか受取場所にたどりつくと、なぜかパンツスーツ姿の女の人が待っていた。


「南一輝君、でいい?」


「はい。アヤカさんよりご注文いただいた飲みものをお持ち致しました」


 内心疑問に思いつつ、いつも通り営業スマイルを浮かべると、女の人は俺の姿をなめるように見た後に支払いをした。


「それじゃ、配達完了の連絡をして、私に付いてきて」


 何が待っているのか、胸の鼓動を押さえつつオフィスともホテルともつかない洒落たな廊下を進んでいく。

 一連の事を考えると、アヤカはマコトの秘密を知っている。

 そんなアヤカが急にこんな場所に呼び出したのはなぜか。しかも大人を出迎えに来させて。

 様々な憶測が頭の中に浮かんでは消えていく。


「アヤカ、例の彼を連れてきたわよ」


 扉のむこうにはスイートルーム風の部屋になっていた。廊下から見た扉の間隔で、奥にもっと部屋がある事がわかる。


「遅い!」


 叫び声とともに私服姿のアヤカが隣の部屋から大股に歩いてきた。


「遅くない。ここまで来るのに何回警備員に確認されたと思ってんだ」


 ため息をつきつつ運んできたフラペチーノその他が入った袋を渡す。


「9時以降は飲食禁止じゃなかったのか」


 初めて出会った時の言葉を言ってやるとアヤカはなぜか嬉しそうに笑った。


「よく覚えてるね! ね、フミさん、どうかな?」


 アヤカが興奮して俺の隣で眉間に皺を寄せている女の人にまくし立てる。


「そうね。礼儀正しいし。事が片付いたら話しましょう。あの子は後少しで戻ってくるから……」


 俺をおいてけぼりに二人が何かを話しているけど全然意味がわからない。

 二人の間でどうしたものかと考えていると、視界に白い影がみえた。


 振りかえると、そこにはどうしようもなく会いたかった奴が、予想した中で一番考えたくなかった姿で現れた。

 ベッドルームへの入り口で、バスローブを着て濡れた髪を拭くマコトが目を見開いたまま固まっていた。


「か、カズキ……」


「……おう。注文届けにきた」


 アヤカも女の人も頭から吹き飛び、思考がまとまらないのに、横をむいて下を向くマコトから視線が離せない。

 濡れそぼった髪も、不安げに揺れる表情も、いつも以上に白い肌も、バスローブからのぞくマコトのうなじも。

 すべてがやっぱり綺麗だと思う反面、その艶めかしさがひどく心をざわつかせる。


 IT起業家が使いそうなスイートルームでバスローブ姿でいるマコトを前にしてのぼせた頭が冷えていく。

 パパ活、という言葉とともに、以前常連の会社でみた光景がフラッシュバックする。

 凍り付いた血が沸騰するような痛みが胸を襲う。


 それでも、頭を冷やすために深呼吸をする。

 衝動は、入ってきた情報に対する反射であって本心じゃない。

 理性で考え抜いてこそ本心が見えてくる。

 だから今すべきことは保留だ。マコトを信じたいから、情報が得られるまで待つ。


 沈黙に耐えきれなくなったのか、マコトは衿をぎゅっとつかみながら上目づかいで見てきた。


「なにも、訊かないの……?」


 今の自分が誤解されそうな格好をしているというのがわかっているんだろう。


「訊かない。ここにいるのはお前が秘密にしてきた事と関係あるんだろう? アヤカに連れられてきたが、お前が話さない限り、俺はなにも訊かない」


 腕を組んで完全に待ちの姿勢をとる。


「もう! 訊かないって、それじゃ連れてきた意味がないでしょうが! カズキ、あんた、最後にマコトと会った時の事、根に持ってる?」


 アヤカが急に切れてきた。

 公園で「会わない方がいい」って言われた時の事か?

 告白したも同然の所にああ言われたからさすがに堪えたな。


「まぁ……思わない事がないでもないが、根にもってはいない。こうしてマコトとまた会えてうれしい。アヤカ、ありがとうな」


 正直な気持ちを口にすると、アヤカは大きく頷いた。

 一方でマコトは首まで赤くなりながらあたふたしている。


「あの、それじゃ街で見かけても話しかけてこなかったのは? 怒ってたんじゃない、の?」


「怒ってない。外で声をかけたら嫌でも相手をしなきゃならなくなるだろ? 会わない方が良いと言われたからそっちから連絡してくるまで反応しないようにしてた」


 ふぇぇ、と気の抜けた声とともにマコトがぺたんと床の上に座り込んでしまった。

 なるほど、俺が怒っていると思っていたから連絡しづらかったのか。

 じゃあ今の心境も口にしないと伝わらないだろうな。


「ちなみに今だって怒っていない。状況的にぎくりとしたけど、これまでの会話でお前の声から後ろめたい感じはしなかった」


 どんな秘密があるかは知らないが、マコトは後ろめたい事は何もしていない。

 得た情報をもとに理性でマコトを信じた。これが俺の本心だ。

 

「カズキ君は怒ってないって。マコト、これでも言えない?」


「……大丈夫、言える、ます」


 フミさんという女の人に優しくいわれ、マコトが座ったまま、ゆっくりとバスローブの紐に手をかけた。

 こちらが息を呑むそばから紐が外れ、バスローブが肩からスルリと落ちた。


「……これ、撮影用の水着。私、もうすぐアイドルデビューするんだ」


 目の前には、ビキニを着たシミ一つ無い身体が惜しげも無くさらされていた。

 色々な意味で衝撃をうけてしばらく固まってしまった。


「カズキ? おーいカズキー」


 アヤカに目の前で手を振られてようやく我に返った。


「それがお前の秘密だったのか?」


「うん、夜の街にいたのはレッスンのためだったんだ。デビュー前は話しちゃだめって言われてたから、何をしてるかいえなかった」


 恥じらうマコトを前に茫然とする。

 

 確かに、学校でマコトがギャルを装うために来ていた派手なファッションは、付き合う人を選びたいというより人を遠ざけるものだった。

 器用な奴なら友人に秘密があっても、ばれそうになるたびにうまく嘘をついてやり過ごす。

 でもマコトは嘘を重ねた普通の学生生活より、一つの大きな嘘で人を遠ざけた方が誠実だと思ったんだろう。

 どんだけ不器用なんだよ。

 

「なあ、アヤカ、ちゃんと詳しく説明してもらえるか?」


「私とマコト、今奥のプールで撮影している二人を合わせた四人がアイドルユニットとしてデビューするの。転校したのも芸能活動しやすくするため。マコトはカズキに自分で知らせるって言っていたけど全然連絡しないし、うじうじしてPV撮影にまで支障がでてきたからこうして強行手段にでたの。ほんと、最初からこうすれば良かった」


 アヤカのついた大きなため息に苦労のほどがうかがえた。


「う、うじうじなんかしてない! タイミングを計ってただけだし……」


 立ち上がったマコトが抗議するも、言葉はどんどん小さくなっていく。


「へー、毎晩のようにスマホを握りしめて泣きついてきたあれが、ねぇ?」


 いたぶるようなアヤカの視線にマコトがうぐぅとうなる。


「だ、だって怒ってるって思うじゃん。最後に会った時、後で考えてみたらひどいこと言ってたんじゃないかと思ったし、再会した時にその……他の女の子と付き合ってたらどうしよう、とか怖くなったし……」


 最後の方はよく聞き取れなかったが、大体考えている事はわかった。


「ほら、カズキは信用できるってわかったでしょ? 最後の秘密も打ち明けなさいよ」


 アヤカの声でマコトは顔を上げたけど、もじもじしてまた下を向いてしまった。水着姿もバスローブで隠してしまった。


「あ、あのさ、カズキ……」


 首まで赤くなった顔で振り向いたマコトに俺は手で待ったをかけ、多分事務所の人であろうフミさんに振り向いた。


「一応確認したいんですが、アイドルとの恋愛はありですか?」


「ふぇ⁉」


 なんで、なんで⁉ と慌てているマコトを無視して冷静にフミさんが眼鏡をくいっとした。


「ええ、カズキ君につける条件はあるけどありよ。特にこのユニット、『シュ=オール』は歌、ダンスともに甘さを抑えたイメージで売っていくつもりだから、万が一ばれても、私達が守るわ」


「そうですか、どんな条件でも俺はかまいません」


 そう言い残して改めてマコトに向き直る。


「マコト」


「ひゃ、ひゃぃ!」


 驚いて背筋を伸ばしたマコトの見開かれた目をしっかりと見据える。


「改めていう。マコトが金で男と会うのも当然嫌だが、そうじゃなくても他の男にお前の隣を奪われるのは嫌だ。だから付き合ってくれないか」


 俺が一息に言い終わると、時が止まったように固まっていたマコトの目に涙が浮かんだ。

 

「さっき私の方から言おうとしたのに、なんで先にいうのかなぁ」


 笑いながら首を傾げたせいで、目尻から涙がこぼれ落ちた。


「そりゃ、お前の声で察したからだ。以前中途半端に匂わせたからには、俺の方から言うのが筋だと思ってな」


 涙をそっと拭いながらマコトが訊ねる。


「なにそれ超能力?」


「言っただろ。お前の声は感情が読める良い声だって」


「えぇ⁉ それって私の本音、まわりにダダ漏れって事⁉」


 幸せそうに笑っていたマコトがまた暴れ始めた。慌てると手足がよく動くなこいつ。


「安心しなさいマコト、私もされたけど、その男がちょっとおかしいだけだから」


 それまで黙っていたアヤカが呆れた口調で俺の事をおかしいとか言ってきた。

 どうやら以前に色々言い当てた時の事らしいが、言い方に悪意がある。


「決まりね。貴方達の声の良さをわかっているカズキ君なら私も文句ないわ」


 うん?


「どういう事ですか?」


「カズキ、さっき事務所は条件付きでマコトと付き合うのを認めるってフミさんが言ったでしょ。その条件は、カズキが私達のマネージャーになる事。異存ある?」


 なにやら挑発するようにアヤカが腕を組んでいるが、それの何が支障になるのかわからない。


「ないな。高校を卒業したらそのまま就職させてほしい」


 俺の言葉に周りの三人がえっと声をあげ振り向くけど、俺は気にせず言った。


「俺は直線コースが得意なんだ。回り道をするのは性に合わない」



 —— ◆ ◇ ◆ ——



 見習いを経て高校卒業後、俺は無事マコト達が所属する芸能事務所、セネムにマネージャーとして就職した。


 今も舞台袖でマコト達のアイドルユニット『シュ=オール』のライブをチェックしている。

 新人ながら、観客がスマートグラスをつける事でコストも下がってきたVR、AR、音響照明リンクを駆使した演出で、気鋭の実力派ユニットとして認知されつつある。


「今回の新しい演出も成功ですね。リアルの観客の盛り上がりは前以上です」


「さっき行ってきた関係者席の方々の反応も好意的だったし、配信視聴者の反応も良いわ」


 隣でPCを開いているフミさんの表情も明るい。


 シュ=オールのWeb配信は単なるステージの録画ではなく、それ自体も独立したコンテンツとして売り出している。

 それに、ネット上で先端を走る音楽や映像のクリエイターとのコラボも活発に行っているので、急激にメディア露出も増えている。


「皆、今日のパフォーマンスも良かった。招待した人達の評判も上々だ」


 全てを終えて戻ってきたメンバーをねぎらうと、やりきった笑顔と元気な返事が返ってきた。


「うん、これでまた新しい仕事がとれるね!」


 リーダーのアヤカがガッツポーズをとる。

 一番背が小さいのに姉御肌の彼女は上昇志向も一番強い。

 個性の強いメンバーをまとめていて、正直なところ俺も頭が上がらない。


「おー、上々! また新しい機材を使わせてもらえるな」


 テンションが高くてうるさいマヤも喜んでいる。

 マヤはダンスが上手いが、舞台演出にも口を出すくらいステージにはうるさい。


「なら、ご褒美は期待して良いのかしらマネージャー?」


「ちょっとアンリさん⁉ カズキに近づきすぎ!」


「なによー、声と演技を褒められたくらいで即オチしたチョロインのくせにー」


 流し目をくれるフェロモン担当のアンリが俺にくっつこうとする所にマコトが割って入る。


 アンリは二十で俺の一個上だ。

 一、二年の違いなんて誤差だと思っていたが、経験次第でそれ以上に差が開く事を痛感している。


 そしてマコト。

 恋人のひいき目をなしにしても、ユニットの顔と言っていい。

 仕草や表情一つで人の目を引きつける表現力と心を震わせる歌唱力は未だ成長を続けている。


 俺も皆においていかれない様に、プロデューサーのフミさんの元で勉強している。

 こうして色々な経験をしながら、俺とマコト達は忙しい日々を過ごしていた。。



 —— ◆ ◇ ◆ ——



「でもカズキ、これで良かったの?」


 事務所車で皆を送った帰り、後部座席のマコトがふとそんな言葉をもらした。


「何がだ?」


「自転車競技。前に差し入れを持ってきたレンヤさんから聞いたよ。自分は第一線でやれているけど、カズキならもっと先を走れたはずだって」


 神経質な眼鏡の顔を思い出して思わず苦笑いした。


「能力は問題じゃない。走るフィールドがアスファルトから芸能界に変わっただけだ。俺はまっすぐ走れれば満足だ。もう軸がぶれる心配もないから思い切り走れるしな」


 自転車は今でも趣味で走っているが、競技としてやる事はもうないだろう。

 未練もない俺の様子に安心したのか、マコトはそっか、と嬉しそうにつぶやいた。


「そういえば伝言を預かってるんだった。軸がブレなくなったコツを教えてくれ、だって」


 スランプか何かだろうか? レンヤにも活躍する者ならではの苦労があるんだろう。ま、今度話してやろうか。


「あ、何かからかわれる予感」


 信号待ちをしていると、ルームミラーの中でマコトがいつも以上のジト目で睨んでいた。

 怖いジト目になってもやっぱり綺麗な目なんだよな。

 なんだかマコトも俺の考えている事がわかるようになってきたらしい。

 思った事はお互い正直に口にするようにしているけど、これはこれで喜ぶべき事なんだろうか。


「今度レンヤに伝えておくよ。お前も人生で一番大切な人を見つけろってな」


「〜〜ッ!」


 両手で顔を押さえてもだえているマコトを見て大笑いしていた所で信号が青に変わった。

 勝手に走り出し他人を置いていく猪突猛進な男と、他人を傷付けたくなくて距離を取りたがるコワモテ美人。

 人との距離を測るのが苦手な二人だけど、支え合えば少しずつ滑らかに、上手に走れるようになるだろう。

 後ろからシートをバシバシ叩かれながら、そんな未来を思い描き、ゆっくりとミニバンを発進させた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜の街で出会った清楚系女子校生がうちの学校でなぜかギャルの格好をしてグイグイ距離を詰めてくる件。 空館ソウ @tamagoyasan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ