本当の「好き」
動物園から帰ってきた私は自室のベッドの上で枕に顔を埋めて悶々としていた。ふれあいコーナーで氷見さんに触れた時、私は余裕をなくした。
ただ彼女に触れているということに昂り、彼女の香りで我を忘れそうになった。その理由は私が氷見さんが好きだからというのは分かりきっている。だけど、私が好きなのは本当に「氷見さん」なのかが気掛かりだった。
前の私は氷見さんを見ているだけで十分満たされていた。でも、今の私は氷見さんに触れたいとか、抱きしめたいとか、その……キスしたいとか、そんな不純な気持ちを抱いている。
そして氷見さん自身も、前までは大人でクールでカッコいいって思ってたけど、動物園に行ってそれは全然違うと知った。本当の彼女はその逆、子どもで臆病で可愛い。氷見さんは憧れの氷像ではなく、愛らしい少女だったのだ。
私が彼女に向ける「好き」の性質の変化と彼女の本当の姿が、私の心をかき乱していた。そんな時、スマホの着信音がカバンの中から聞こえた。スマホを取り出して相手を確認すると、かおりだった。
「やっほー。今日のデートどうだった?」
「デートって、そんなんじゃないよ」
「おやおや?なんだか浮かない顔してるね」
「見えないでしょ」
「声でわかるよ。で、何かあったの」
楽しげに軽く、だけど優しく包み込んでくれるような声。私が気持ちを吐き出しやすいようにしてくれてる。いい幼馴染を持ったものだ。
「私って、本当に氷見さんのこと好きなのかな」
「どうしてそう思うの」
「かおりにこの前言ったでしょ。私が氷見さんが好きな理由は、大人でクールでカッコいいからって」
「そうだね」
「でも、本当の氷見さんは子どもっぽくて臆病で可愛い人だった」
「そうなんだ、意外」
「それはちょっと残念だったけどさ、それ以上に私が変なの。前までは見てるだけで良かったのに、私、氷見さんにもっと触れたいって、抱きしめたいって、もっと深く氷見さんを知りたいって、そんな不純な気持ちがどんどん湧いてきて、この「好き」がなんなのかわからなくて、胸が苦しくなって、私、もうどうすればいいのかわかんなくて」
「それが、本当の好きって気持ちだよ」
聞き役にまわっていたかおりの言の葉が私を貫いた。本当の好き、本当、本当って何?私が今まで氷見さんに向けていた好きは嘘だったの?こんな不純な気持ちが本当の好きなの?疑問が溢れてきて、私の心の乱れは渦を巻いて止められなくなった。
「わかんない。かおり、本当の好きってこんな苦しくて汚いものなの?どういうことなの、教えてよ」
「うん、教えてあげる。この前冬美ちゃんに氷見さんが好きな理由を聞いたのは、冬美ちゃんの「好き」がどんなものか知りたかったから。それで、冬美ちゃんの答えを聞いて、冬美ちゃんの好きは、まだ「恋」になってないって思ったの」
「恋になってない……ってどうしてわかるの」
「こういうのはほとんど感覚と勘だよ。今回は当たりだったみたいだけど。冬美ちゃんが前まで氷見さんに向けていたのは「憧れ」の好き。アイドルやスポーツ選手に向ける好きと同じもの。だからあんなふうに赤裸々に愛を語れた。だけど、今は違うでしょ」
かおりの指摘は完璧で、私の知らない私のことすら分かっていた。表面しか見ていない私が恥ずかしくなって、それが私の恋に私以上に真剣になってくれているかおりに申し訳なくて胸が痛む。だけど、その指摘のおかげで私の心の渦は少しずつ弱まってきていた。
「触れたいって思って、ずっとそばにいて欲しくて、自分じゃどうにもできない。それが「恋」の好き。冬美ちゃんはさっきこれを苦しくて汚いって言ったけど、半分間違い。確かに恋は苦しいよ。でも、汚くなんかない。人は愛を酷く脆いものって考えちゃうから、触れて愛を確認したいし、奪われたくないからそばにいて欲しいって思うの。色欲も独占欲も、愛が理由なら汚くなんかない。私はそう思ってる」
かおりの言っていることは多分正解だ。私より恋愛経験豊富で、頭が良くて、私のことをよく理解している彼女が言っていることだ。でも……
「納得できない」
私の心はそう叫んでいた。
「私は、私が出した答えしか信じられない。だから、氷見さんへの気持ちが本当に恋なのかは私自身で確認したいの。……ごめん、折角相談に乗ってくれたのにこんなわがまま言って」
「ううん。そういうの、冬美ちゃんらしくていいと思うよ」
我ながら面倒臭い性分だと思う。そんな私を理解して、嫌な顔一つせず付き合ってくれるかおりは、本当にいい親友だ。
「かおりのおかげで決心がついたよ。ありがとう」
「これくらいどうってことないわよ。何年一緒にいると思ってるのよ」
「明日、頑張ってみる」
「バシッと決めてきなさい。応援してるから」
「うん、ありがとう」
かおりのエールを受け取って電話を切る。乱れてどうしようもなかった心は鎮まって、私の胸の中には確固たる決心があった。かおりがくれた、好きの気持ちの本質と純粋な応援が私の背中を押してくれた。あとは一歩、私自身が踏み出すだけだ。
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