思いがけない一面
天気予報を確認。一日中晴れ。空を見上げる。見渡す限りの青空。
「よしっ」
唯一の懸念材料だった天気が味方し、駅前の雑踏の中で小さくガッツポーズをする。冬にしては暖かい今日、私は近くの駅で氷見さんと待ち合わせをしていた。
この前の提案を受け入れてくれた氷見さんと一緒に予定を立てて、日曜日に動物園に遊びに行くこととなった。かおりは気を利かせてくれたのか、ただの事実なのか「彼氏と予定あるから」と断って、私と氷見さんの二人きりにしてくれた。
集合は確か噴水の前だったなとそこを見ると、すぐに尋ね人は見つかった。
周囲と彼女で空気が完全に違っていた。純白のコートに身を包み、全身白となった彼女はまるで古代ギリシアの彫刻のような美しさと荘厳さを兼ね備えていた。その白が銀髪の輝きをより際立たせる。
思わず見惚れて呆然としていたら、氷見さんの方も私に気付き、氷像は少女となってニコリと笑って手を振ってきた。ハッとして急いで手を振り返す。早歩きで人と人の合間を縫って彼女のもとにたどり着く。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん。今来たところ」
柔らかい微笑みを向ける少女の水晶のように純粋な言葉が心に染み渡って、自然と頬が緩む。
「行こっか」
「うん」
私が先行して彼女を導き、駅のホームへ入って行った。
四十分ほど電車に揺られ、駅からバスで五十分かけてようやく動物園に辿り着いた。幼い頃行ったきりだったので無事に到着できるか不安だったが、なんとかなってホッと安堵のため息をこぼす。
「結構人いるね」
「そうだね」
「……はぐれないようにしないと」
「そんなに心配しないでいいよ。目を離したりなんかしないから」
私がそう言うと、何故か彼女は少し唇を尖らせた。……何かしてしまったのだろうか。原因がわからないまま、私は入場料金を払った。その時、何かが私の指を撫でたような気がした。
動物園は好きなほうだと思う。少なくとも、この獣臭さは嫌いではない。案内図に書かれた様々な種類の動物。その中には知らないのもたくさんいて、少し驚いた。
「陽向さんは見たい動物いる?」
「んー、別に何でもいいよ」
「ならここに行こ」
彼女が案内図を指差して場所を示す。そこにはキリンやゾウなどの巨大な動物たちが描かれていた。
そのサイズ故巨大に作られた囲いの中で、キリン達は文字通り首を長くして待っていた。幼い頃の朧げな記憶しかなかったので、いざ目の前にしてみるとその大きさに圧倒される。眠たげな目をしたキリンの顔をぼーっと見ていたら、後ろから肩を叩かれた。
「ねぇねぇ、あっちでエサあげられるみたいだよ」
氷見さんが指差した先にある高台では、子供と大人が入り混じって、群がるキリンたちにエサやりをしていた。なるほど、ここに来た目的はあれか。
「面白そうじゃん。行ってみよっか」
「うん」
いつになく目を輝かせる彼女に頬が緩む。彼女は案外ああいうのが好きなようだ。百円でエサを購入し、高台の階段を上る。上りきると、キリンの顔が目の前にあった。
「い、いくよ……」
細く長く切られた人参を恐る恐る差し出す。私もエサをあげつつそれを見守る。
「ひゃあ!」
ゆっくりと寄ってきていたキリンの顔が一気に近づいてきて反射的に飛び退いた。怯えたまま固まっていたら、エサを貰えないと判断したキリンは戻っていった。
「い、いきなりグワッて来た!」
餌やりに失敗した彼女は言い訳なのか、ただの感想なのか判断のつかない供述をした。案外臆病で子どもっぽい彼女が少しおかしくって、弾けるように笑ってしまった。
「ちょっと、笑わないでよ」
顔を真っ赤にして膨れる彼女が詰め寄って来ても笑いは収まらない。ひとしきり笑った後、深呼吸して自分を落ち着かせる。
「ごめんごめん。でもそんなにビビるもんかね」
「だっていきなり来たし……陽向さんはすごいね。全然余裕じゃん」
「まぁキリンだし。あいつらもとって食ったりなんかしないよ。ただ持ってるだけでいい」
氷見さんに手本を見せるようにエサをあげる。と言っても、難しいことなんて無いんだけどね。
「ね、簡単でしょ?」
「う、うん。私もやってみる」
彼女はエサを取り出して再びキリンの前に差し出す。へっぴり腰でぷるぷると震えながら構えている姿はまるで生まれたての子鹿みたいで愛らしい。
キリンの顔がまた近づいてきたが、今度は逃げ出さなかった。ポリポリとエサを貪るキリンを見て彼女が笑顔を浮かべた瞬間、キリンの長い舌が彼女の手に触れた。驚いて反射的にエサを放り投げたが、キリンは器用にそれをキャッチした。
「な、なま、生暖かいのが!」
「ハハッ、今のは仕方ないね」
彼女の綺麗で細い指を舐めたキリンを少し羨ましく思ったが、動物にそんなこと思っても仕方ないと考え直す。
しかしまぁ、彼女のこんな姿を見ると少し考えてしまう。今の臆病で子どもっぽい姿は、私が以前の彼女に持っていたクールで大人なイメージとはまるで違っていた。これをどう受け止めるべきなのか。
「やっぱ動物園に来たらこれやらないとね」
エサを消費し終えた私たちは昼食をとった後、ふれあいゾーンに来た。ウサギやモルモット、変わり種ではヒヨコともふれあえるようだ。氷見さんは、先程のプルプルと震えていた姿とは対照的に、膝に乗っているモルモットを満面の笑みで撫でている。
「可愛いの好きなの?」
「うん。家でもネコ飼ってるんだ」
「なるほどね」
ネコを飼ってて可愛い物好きっと。ここに一緒に来て彼女のことを結構知れた。こういう場で意外な面を知れるというのはよく聞く話だが、私の場合はそれが著しい。
大人でクールでカッコいい。それが以前かおりに言った氷見さんが好きな理由。でも、今日見た氷見さんは子どもっぽくて臆病でカワイイ。私が以前から抱いていたイメージとは反対で、それが残念じゃないと言ったら嘘になる。
「わぁ、ちっちゃくて柔らかい」
「気をつけないと潰しちゃいそう」
両手で優しく包んだヒヨコに目を輝かせる彼女をジッと見つめる。可愛い。私の目に一人の少女として映る彼女はそう見えた。
氷像の時の彼女とはまた違う魅力。氷像の時の彼女が持つ、私の全てを奪うような強く惹きつけられる美に対して、少女の時の彼女は抱きしめたくなるような可愛らしさとずっとそばにいたくなるような暖かさがあった。
「……陽向さん。どうかしたの?」
「あっ、いや、何でもないよ」
不意に彼女の問いかけを受けて不器用な返答をしてしまう。彼女は何も気付いていないようで、すぐに視線をヒヨコに戻した。
触れたい。彼女の髪を見てそんなことを思ってしまった。友達になるまでは見ているだけで十分だったのに、今は邪な気持ちが湧き出している。思い上がってはダメだ。氷見さんとはまだただの友達で、彼女が私をどう思ってるのかもわからない。そもそも、女の子同士というのを受け入れてくれるかもわからない。
本当の彼女は臆病なんだ。変なことをして怖がらせてはいけない。一人で考え込んで勝手に気を落とした私はヒヨコを元の場所に戻してため息をついた。
「きゃっ」
その瞬間、ヒヨコに夢中になっていた氷見さんの背中に通行人の肩が当たってバランスを崩した。そのまま私の方に倒れて来たので、咄嗟に受け止める。
小さくて華奢な体は想像以上に軽くて、触れた肌は柔らかくて、花のような甘い香りが私を包み込む。彼女をナンパから助けた日は彼女が心配で全く意識しなかったのに、今はそればかりが私の頭を支配していた。
「ひ、陽向さん……」
「あっ、ごめん」
無意識の内に彼女を強く抱きしめてしまっていた。慌てて手を離すと、彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして離れていった。この場所には私達以外にも人がいるはずなのに、私と氷見さんしかいないかのような感覚に陥る。
甘くて熱いこの空間だと、私はひどく臆病になってしまうようで、ろくに喋ることができなかった。
「えっと、ありがとね。また助けられちゃった」
「あっ、ど、どうってことないよ。友達を助けるのは当たり前だから」
二人だけの空間は消え、熱も少しずつ冷めてきた。だけど胸の高鳴りは止まらなくて、少し苦しかった。
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