第5話 決起

 ハイリの母の日記に少し彼女が気になる記述があった。

 熱を抑えるため、世界球を使うことをガリエンが提案しているのだ。

 ハイリの母親はためらったが他にないと判断して採用している。

 世界球はミニチュア世界を持ち主の魔力とその制御で育てる玩具で、ハイリも一つ未使用のものをもらってきている。

 それが子供の発熱にどう関係するのか。記述を見ると彼女の母親はかなりためらっている。それはどういうことか。

 自分に魔力が乏しいことに関係があるかも知れない。彼女はそう考えた。この発熱が行き場をなくした魔力の暴走のようなものだとすれば、それを世界球に吸わせるという治療法があるのかも知れない。子供に限ったことかも知れないが副作用で以降の魔力が激減してしまうなどあるとすれば、ハイリの母がためらったのも理解できる。

 その時の世界球をリリ二十七に探させたが、どうも見つからなかったらしい。彼女の兄の差し金がないことは質問の仕方を変えて確認済だ。

 その報告を受けていると本宅に出かけていたリリ二十四が戻ってきた。

 何もいわず、相方の袖をつかむと部屋の外に引っ張っていく。問いただそうとしたハイリに彼女は指を口にあてて黙っているように伝えた。

「わたくしたちは、お嬢様の言動について報告しなければなりませんから」

 え、と思った彼女がその意味を理解したときには部屋に変化がおきていた。

 作り付けのはずの本棚が一つ手前に動き出した。隠し扉だ。そんなものがあるとはガイエンも知らなかった。

 ひょこっと顔を出したのは老いたエルフ。この亜人が老いの兆候を見せるということはもう寿命が近いということを示す。だが、その茶目っけをたたえた表情は朴念仁のエルフらしくないし、老い先短い者の悲壮さは微塵もなかった。

「しーっ」

 ハイリたちが反応するより早く、老エルフのガリエンは唇に指をあてた。

 そしてハイリを手招き、ガイエンと置物のように彼女を守っていたトクのほうを見た。

「お姫さまはこれから少しお眠りになる。よいな」

 小さく言われたその言葉の意味を二人とも正しく理解した。

 トクは外に立って誰もいれないようにする。ガイエンは用件のあるものがもし来た場合は対応し、出直してもらう。二人ともそっと部屋を出た。ガイエンが外から施錠する音も聞こえた。鍵はハイリももっているので出たければいつでも出られる。

 とりあえず寝床にクッションを使って寝ているように装い、ハイリはガリエンに導かれて隠し通路に入った。

 通路は一度地下に下りてそれから本館で長い階段をあがってようやくの到着となった。ガリエンは疲れた顔をしていたが歩みを遅くすることはなかった。

 行き先はいくつもあるようで、通路は分岐していたがガリエンは迷うことなく、当主の休む寝室まで彼女を導いた。

 ハイリの父親、ニシトク家当主のルーエンホイグはやつれた顔で布団に沈み込んでいた。土気色の顔は健康状態が芳しくないことをものがたっている。

 その寝台の横には顔をしかめ、自分の手を眺めるガイエンによくにた若いエルフ。あまりあったことはないがサリエンだと彼女にはすぐにわかった。そして不吉なものがもう一つ、床に横たわっている。

 顔は見えないがお仕着せがニシトク家のとものと少し違う家妖精。それが柔らかい絨毯の上につっぷし、血か尿かわからない液体をもらしていた。

 こときれているのは確かだ。その手に持っていたと思われる香炉も床に転がり、これには花瓶の水が乱暴にかけられて無理矢理けされている。こういう香炉は病人の身心を落ち着かせるためにたかれるもので、当然この部屋でも香をあげていたのだろう。それを無理やり消したということはこの部屋の病人によからぬ影響を与えるものだったためだろうと彼女は察した。

「そやつはトーネン家の家妖精だ。密偵でもあったから始末した」

 直接手を下したのが誰かはサリエンの様子で明白だった。

「よろしかったのですか」

 ハイリは心の痛む思いがした。父は後戻りのできないことを開始した。彼女でなくてもそれはわかる。兄はもちろん警戒しているだろう。父の勝算は微妙だ。

「いいつけを守らぬホンルンが悪いのだよ。そなたが戻ったらすぐに連れてくるよう申し付けておいたに」

「それで、このような手段を」

「ま、それはよい。それより時間がない。そなたに渡さねばならぬものが二つある」

 ハイリの父がサリエンの名前を呼んだ。用意してあったのだろう、はがきほどの大きさの金属板に額縁をはめたものが彼女の前に差し出された。

「これは」

 刻まれた文言に彼女は戸惑いを隠せない。

「指をあてなさい。そなたの魔力を通せば手続きは完了する」

 それはニシトク領の後継者を指名する証書でもあった。内容を全員が確認すればこの金属は太陽の炎でなければ滅ぼせないほどの頑丈さを持つ。

「兄上ではないのですか」

「あれが何をやったかもうそなたも知っておろう。あやつは母親の実家の分家にいれるよう話をすすめていたのだが、察知されてこのざまよ。もっともトーネン夫人の采配であろうがな」

 さ、と促され彼女は親指を金属板にあてた。ひかったりはしなかったが、温かく感じる程度に発熱し、少し縮んだそれはもうおよそのことでは破壊できないものだとわかった。

「それで、わたくしはこれからどうすればよろしいのでしょう? 父上とともに決起でしょうか」

「いや、そなたは一度逃げよ。ことなったならばよし、破れた時は雌伏し機会を待つのだ」

 ハイリは天を仰ぎたい気持ちになった。祖父の言ったことが否応なく自分に降りかかる。そしてため息一つついて大事な質問をかけた。

「しかし、わたくしも軟禁の身、どのように逃れえましょう」

「抜け道を使え。森に出ることができる」

「森妖精たちにかくまってもらうのですか」

「少しの間そうしてくれ。不便をかける。しかし、もしことが破れたら」

 病床の領主はそこでせき込みはじめた。

「大丈夫ですか」

 あわてたハイリに背中をさすられハイリの父はやっと落ち着いた。

「世話をかけた。ことが破れたらそなたは森にある迷宮を通って闇の世界に行け。そこにニシトク領の真の力の源があるという。それを確かめて己の力とせよ。あとはそなた次第だ」

「それなら父上もご一緒にまいりませんか」

 辛そうな父親の姿に彼女はそういった。無理だ。直感があった。父の決起は父の体に裏切られて失敗する。そう思えてならなかった。

「無理だよ。この体では足手まといの上、もちはするまい。なれば、わしに残された可能性は、ここをすばやく掌握しなおして早々に手厚い看護を受けること。できねばいずれにしろ死ぬであろうな。そのときにあのバカ息子にそなたの命までくれてやる気はない。あれがわしを恨むのはしかたないことではあるが、そなたを巻き添えにしては顔向けができんよ」

 ああ、そうだ。と領主は思い出したようにガリエンのほうを見た。

「ガリエン、あれをハイリに渡してくれ」

 承知しました。老エルフは寝台の下から木箱を取り出した。

「これは? 」

「ごらんください」

 ガリエンは箱をサイドテーブルにおいて蓋をとった。

「世界球? 」

 未使用ではない。中に何か見える。見慣れないゆったりした衣裳を着たつばのない帽子の男が海辺にて短冊手に短い詩をかきつけている。ハイリは海を知らない。この光の世界には養魚用の広大な湖はあるが海はない。だから、わからないがそういうものだと理解するしかなかった。最後に仕えた奥方の世界球は海の世界だったが海中の世界でこのように陸から眺める視点はない。

 母の世界球だろうか。最近の情報で彼女は推理した。子供のころ、彼女の発熱を抑えるために使われた世界球だろうか、そうとしか思えなかった。

 だが、これを今渡す意味はなんだろう。彼女は父親に質問しようとした。

「触れてこう唱えよ。『助けよ』と」

 先に父親の命令が飛んできた。逆らうことは許されない切迫したものだった。

 とまどったが、彼女は言う通りにした。

 世界球にぴしりとひびがはいった。

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