第4話 軟禁

 ハイリは窓から中庭の様子を見てため息をついた。

 兄嫁におさまったサルマリリアが華やかなドレス姿で近隣より招いた奥方たちをもてなしている。それをどっしり構えて見守る老婦人がトーネン夫人だ。サルマリリアはわが物顔で主人面をしているが、ハイリには彼女が必死なのはわかった。にこやかにもてなされる隣領の女主人たちのことは子供のころから知っている。やさしくおだやかな人たち、と無邪気に信じていたころの自分を彼女はほほえましく思い出した。

 何人もの女主人に仕え、奥方の政治というものを見てきたハイリはもうそんな外見に騙されはしない。彼女たちは口ではどういっていようと内心は値踏みを行い、探りを入れているのが見てとれた。

 声を拾ってくる魔法は声を届ける魔法より難易度が高い。しかもお茶会では魔法よけの処置を施すのが普通だ。だから、あの場での会話を彼女が知ることはないと二人とも思っているのだろう。だが、彼女は仕えた女主人の一人から唇の読み方を習っていた。背中を向けている人の言葉はさすがに拾えないが、それがほとんど発言しないトーネン夫人一人ということで特に問題はなかった。

 どうやら近隣の夫人がたはある程度状況を察しているようだ。だからといってハイリの助けになってくれるかどうかは怪しい。それはサルマリリアにとっても同じではあったが。

 彼女がいまいる部屋は長年使われていなかった離れの一室で、離れにいるのは彼女一人、あとはトクマツ家からつけられた護衛のトクと母の時代からの補佐であるエルフのガイエン、彼女の身の回りは引き続きニシトク家の家妖精、リリ二十四と二十七の二人。ニシトク家よりの護衛、オークのゴルドスは休暇を与えられて引き離された。そして出入り口には別のオークが配置され、食事や必要なものを持ってくるリリ二十四と二十七以外の出入りを制限している。建物の中では自由にしてよい、というわけでかなり監禁に近い軟禁であった。

 帰宅した日、出迎えた兄はトーネン夫人とサルマリリアを従え、もともと温かみのない兄妹であったとはいえ、さすがに凍てつくような目を向けられた。対してサルマリリアの目には嘲笑に近い微笑みが張り付き、ハイリに対して優位を示そうとはったりをかけているように見えた。トーネン夫人は完全に無表情であったけれど、目の奥にはハイリに対する蔑みの色さえあった。

 そこまでのことをされる理由はない。ハイリはうんざりした。侍女同士でこういう争いになったことはある。巻き込まれて迷惑もした。それを実家で味わうことになろうとは。

 理由については父親の病状を知りたがり、会いたいといったときに兄から告げられた。

「それはならん。そなたにはニシトク家の醜聞となりうる疑惑がかけられている。その決着がつくまで父上に会うことも、ましてや輿入れなどまかりならぬ」

「どのような疑惑でしょう」

 挑むような物言いはするべきではない、彼女はわかっていたがさすがに我慢ならずしてしまった。

「お前の魔力の弱い理由でもある。本当のお前は幼い時に死に、ここにいるのは父上の用意したホムンクルスだというのだ」

 どうだ、驚いたか。そう言いたげな兄の様子はこれまで彼女の見たことのないものだった。サルマリリアがくすくす笑っているのも不愉快だったし、トーネン夫人がさげすむように顎をあげたのも気分が悪かった。

(だいたいこのトーネン夫人というのは何様かしら。親戚だとしても交流はなかったはずなのになぜ乗り込んできたの? )

 ハイリは怒りを忘れ、ただただあきれてしまった。

「本気でおっしゃっているのですか」

「本気だとも」

 兄ホンルンは傲然とねめおろしてきた。

「判定のできる人を頼んである、二か月ほど先になるのが残念だがその間は建物を出ることは許さない」

 そんな権利は領主にしかふるえない。だが、父親が病臥している以上、代行権を彼に出しているはずだ。ハイリはため息をついた。

「父の名においてうけたまわりますわ」

 伯父がなぜあんなことを言ったのか、彼女はやっと理解した。

 それにしても、と彼女は兄をたぶらかした女を見る。どうしてこんなことをしたのか。そしてトーネン夫人は何をたくらんでいるのか。

 何より、兄は決して愚かな人物ではなかったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。

「ガイエン、人の心を堕落させる方法はいくつもあるよね」

「ございますね」

 ずっと年長のエルフはうやうやしく頭を垂れた。

「兄上の目を覚まさせることはできないだろうか」

「ご兄妹仲はあまり芳しくなかったと存じます。面倒な義務から解放されるならあの方は都合のよいほうにまいりますでしょう。おっと、出過ぎた言葉でした」

 ハイリはエルフの中性的な美貌をぎろりとにらんだ。彼らには性別はないので、獣のように番う主たちを実は軽蔑してるのではないのかと言われている。単に無関心で理屈で理解している以上の関心はないのだが。

 ただ、子供のころから彼女の面倒を見てきたこのエルフは彼女をたしなめるのに実に辛辣な言葉を使う。ハイリがやや短気ながら思慮のある人間だと理解しての行動だった。

「わかった。あの人との仲は修復できそうにない。そういうことだな」

「あの方はお嬢様の嫁ぎ先を用意してさっさと送り出すべきでしたが、それはおそらくできなかった。旦那様がある程度進めた話を引き継ぐだけでよいはずなのに、それをせなんだのは理由がありましょう」

 ハイリは考えを巡らせた。

「そうね、たとえば相手方に兄上のやらかしたことが漏れた。こうなるといわくつきになってしまったあたしとの話は二の足三の足を踏むでしょうね」

「お館様がご病臥であることも気になります。お嬢様とあわせようとしないのはやはり理由があるのでしょう」

「ならば、なんとしても父と会わねばなりませんね」

 彼らは手紙でよいからなんとか接触できないかと相談をした。別館の外に出られるのがリリ二十四、二十七だけであることから彼女たちを使うしかない。

「だめね、たぶん代行権限を使ってあの二人に兄が密命を下していると思うわ。打つ手がないわね」

 つまり、身の回りの世話をしている家妖精二人は兄側の密偵でもある。そのことを彼女は言わなかったが、ガイエンには伝わったようだ。

「そうですね。こちらから打つ手がございませんな」

 それでも彼女は彼女たちを通じていくつかのものを取り寄せることには成功した。

 取り寄せたものは主に母の遺品でさぼり気味の日記、魔法書、美容用の魔術具、そんな感じのものだった。

 さぼり気味の日記はあんまり参考になることは書かれていなかった。つけはじめたのは後妻としてこの家に入った日からのことで、日記をつけるのも何かあった日にかぎられていた。どうやら、ハイリの母親は気持ちが昂るとそれを記録しておきたくなるらしい。記録されているのはハイリの生まれた日、初めて言葉を発したり歩いたりした日、ちょっとした魔法が使えた日などうれしそうに記録してある。

「お母さま、小さい私にはあんな険しい顔をしていてずいぶん親バカでしたのね」

 ふう、とハイリはため息をついた。

 子供の成長を喜ぶ記録を除くと、夫から何かもらった、ちょっとしたイベントをしてくれた、喧嘩はしたけど仲は修復された、など夫婦仲に関するものも多い。

「お父様、あんな厳格そうでずいぶんバカップルでしたのね」

 はあ、とハイリは再びため息をついた。子供の前ではぜったいいちゃつかない夫婦だった。だから政略結婚で特別仲が良いわけでもない、と彼女は思い込んでいた。

「ホンルン様がおられましたからね」

 ガイエンの言葉にハイリははっと察する。

「これはお館さまの補佐のガリエンより聞いたことですが、ホンルン様の母君、最初の奥方様とは本当に仲がよろしくなかったそうです。幼いホンルン様の前でかなりみっともない言い合いもしてしまったこともあるとのこと。私は男女のことは理解できないエルフの身でありますが、さすがにそれが子供の心によくない影響を与えたと察するくらいのことはできます」

 人の心はわからない、といわれるエルフの言葉にハイリは苦笑いが浮かぶ。とにかく彼らは朴念仁でそれはあきらめをもって受け入れられていた。

「そのガリエンだけど、どこかで見たかしら」

「そういえばおりませんね。お館さまにつきっきりなのか、それとも」

 そういえば、と彼女はガリエンの名前が出てきた母親の日記があったことを思い出した。幼いころのハイリが熱を出して寝込んだ時のことで、ガイエンにも手のほどこしようがないのでガリエンの知恵もかりたというもの。

 ガリエンは合計四代のニシトク家の主に仕えてきた高齢のエルフで、若い分身を少なくとも三人もうけている。一人は彼女の兄ホンルンの補佐、一人は高齢のガリエンの補佐、最後の一人がガイエンで母の専属としてトクマツ家の紋章を少し改変した独立の紋章をもっている。この一事だけでもハイリの母がどれだけ愛されていたかわかるそうなものだが、彼女は気づいていなかった。

「ホンルン様付きのバリエンの姿は見かけました。しかしガリエン補佐のサリエンは見かけていません。お嬢様、リリたちに聞いてみてください。ガリエンかサリエンを見かけたか、あるいは口止めされているか」

 そこでハイリは家妖精二人を呼びつけ、そのように聞いてみた。

 やはり口止めされているらしく、代行様に答えることを禁じられております、との返答。ただ、二人は何か小さくうなずきあってこう言った。

「ご安心くださいませ。これで動きがあると思います」

 どんな動きがあるかは彼女らは知らなかった。ただ、ほっとしている様子は芝居ではないと思えた。

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