第3話 不吉な噂

 母親の実家トクマツ家に来るのは久しぶりだった。

 領主の館というのは外側は古代のそのままを使っているが内装は主の趣味を反映して改装されている。ハイリの母親の出身領国は伝統をやたら重視する家柄で内装は百年は前のものを大事に直しながら使い続けているものだから非常に古びていた。

 設備も古めかしく古代からあるものは決定的な破損が発生しないかぎり使っているものだから人手がいる。つまり、よその領国より亜人が多い。彼女の記憶ではしょっちゅうノームたちがあちこちで営繕していたと思う。

 おつきの家妖精二人以外は別区画に案内され、クラフトは待ち構えていたトクマツ家の技術者たちに整備を受けることになった。

 ここで二日すごしから彼女は実家に戻る。

 出迎えてくれたのは隠居の祖父母、伯父夫妻、そしてまだ花嫁修行である侍女の務めに出る前の十歳くらいの従妹。三人とも魔力のすぐれた魔法使いで、執事補佐としての修行に出ている彼女の兄二人もまた同様だった。

 なぜか魔力がしょぼいハイリはずっとそれをコンプレックスに感じていたがおくびにも出さなかった。祖父などは彼女にがっかりしていたかも知れないがそんなそぶりを見せもしないし、母にかなわなかったという伯父も内心はともかく彼女に不愉快な思いをさせることはなかった。

 実家に戻れば輿入れとなり、そうなればこの先会う機会はほとんどない。場所によっては一生合わないだろう。だったら気持ちよく送り出したほうが後味は悪くない。そう考えているとハイリは見抜いていた。

 彼女の目は控えている侍女たち、執事補佐たちを片隅ながらとらえていた。彼らの目をあなどってはいけない。家の評判にもつながる話だ。

 ただ、そういう話ばかりでは終わらないところもあった。 

「嫁ぎ先はどこなの? 」

 不躾な種類の質問だが、よほど気になっていたのか彼女の義理の伯母は声をひそめてハイリに投げた。食後のお茶を女性だけ、つまり伯母、ハイリ、従妹だけでいただいている場でのことだ。

 婚姻のため実家に戻る場合、内密に教えられるのが通例で、そこでどれだけの前準備ができるかもまた資質を試されているところでもあった。

「それが何も聞いていないのです」

 そこはハイリも困惑するところだった。

 帰宅の一か月前には実家に使いを出し、返信をもらっている。この返信になにかあるかと思えば、予定の確認のみ。彼女の父親と母親違いの兄の個人的なメッセージは一言もなかった。

「これは人づてに聞いたのだけど、あなたのお父様はご病気だそうよ。それも聞いてない? 」

「あの父が? 」

 まさか、という顔になるハイリ。彼女の知る父親は壮健そのものだった。魔法はさほどでもなかったが身体能力が高く、もちろん体力は無尽蔵とも思えた彼女の厳父ほどおよそ病気と無縁にしか思えない人はいなかった。

「ということは兄が代理を務めているのですね」

 父親似の兄、ホンルンとの仲は母親が違うせいか微妙だった。さほど親しい感じでもないが、それでも最低限の礼儀、待遇はしてくれる。縁談も家の利害優先であろうがおかしなところに押し込もうなんて考えないはずだ。

 ただ、その経験の浅さが不安要素だ。

 伯母とハイリは血のつながりはないが、世話好きの彼女はおせっかいを焼きたがっているように見えた。

「もし、見つけることができてないなら相談にのると伝えてちょうだい」

「はい。その時は伝えておきます」

 そんなことになったら父に似て厳しい兄は怒るだろうなと思ったが、伯母の親切を無下にすることもできず一応そう答えておいた。

 この後、母親の話が終わるのを待っていた従妹に彼女はへとへとになるまで質問責めにさらされた。これから侍女として出るはずの少女は不安半分、期待半分でどうにもとまらない。ハイリにも気持ちはわかった。

 ようやく解放され、案内の侍女と話をしながらあてがわれた寝室に行くと部屋の前彼女の補佐についていたエルフのガイエンがうやうやしく待っていた。

「明日の朝食の後、御隠居様よりお話があるそうでございます」

 げんなりしたものの、ぐっすり眠って少し元気になった彼女に祖父は人払いしてこう言った。

「よくない話を聞いた」

「よくない話? 」

「ハイリ、お前の兄が急に結婚したことは聞いたか」

「はい、仕えていたコルハウベの奥様からもお祝いを送っていただきました」

「侍女に手をつけたと聞いておる」

「母が死に、父が後添えを得てないのに侍女がいたのですか? 」

「家政の代行が変わったことはきいたか」

「いいえ」

 それは本当に聞かされていなかった。母親違いとはいえ兄の結婚ほど重要な話ではない、と彼女はざわつく心を鎮める。

「昨年、わしの姉の具合がよくなくなってな、そなたの父方の遠縁のトーネン夫人というご隠居をお願いしたそうだ。知っとるか? 」

 領主夫人となるはずの彼女はなるべく親族のことを覚えておくよう教育されていた。だから知っていた。

「たぶん、父の母方従妹の入った家だと思います。でもまだ隠居されるほどの御年齢ではなかったはず」

「その先代であろうよ。姉とそうかわらんと聞いたからな。それにトーネン家の侍女が何人かついてきた。その一人とそなたの兄が結婚したと聞いたらどう思う」

「あまりにも外聞の悪い話ですね。このことはどこまで知られていますの? 」

 他の領主の子女を預かる以上、絶対の信用がなければならない。それを破ってしまったとあっては騒動の元ともなりうる。領内の家臣扱いの親族もだまってはいないだろう。

「公式には知られておらんな。だが、姉も引継ぎのときに会ったトーネン夫人と侍女たちのことを覚えていたから気づいた。あののんきな人でも気づいたのだ。いずれ何等かのかたちで知られることになるだろう」

 ハイリはため息をついた。この時まで彼女は何かの間違いだろうと思っていたのだ。ただ、噂でも流れると困ると思っていた。

「大伯母様がその方をみかけて、輿入れまで一年ということですね。侍女として入った家に輿入れする場合、醜聞を避けるため二年は見るはずです。そうでないと信じる理由がどこにもございませんね。あの兄にしてはあまりに迂闊です」

「事態は把握できたかな」

「ええ、どうやら私はとっととしかるべきところに輿入れしてしまわないといけないようです」

「まことに。それでも婚家での立場があまり芳しくなくなるのは確かだ。よほどしっかりした家でないとだめだろう」

 ここで彼女は伯母との話をどうしても意識してしまう。

 輿入れ先の話が聞こえてこない。父がなぜか病臥している。

「これは困りました」

 輿入れで片づけられないなら、自分はどうなってしまうのか。嫌な予感しかない。

「これは隠居の独り言と思うて聞いてくれ。決して当家として勧めるものではない」

 祖父の言葉は危険な響きを帯びていた。

「醜聞が漏れる前にそなたの兄を退け、入り婿を迎えてそなたが継いではどうか。先例がないわけではない」

「兄を? 」

 ハイリは無理だと思った。実家は父を押し込めた兄夫妻とトーネン夫人が掌握している。危険を冒しても自分を助けてくれそうなものには心当たりがない。

「やらねば、そなたの身に危害が及ぶかも知れぬ。よく見極めることだ」

 送り出されるとき、彼女つきの亜人が一人増えた。トクマツ家のオークで彼女の実家の命令をきかず、祖父の命により彼女が婚姻するまでの護衛を引き受けていた。名前はトク、どういう経歴の持ち主かわからないが傷跡だらけの引き締まった体に視力に問題があるのか魔法をほどこされたゴーグルをつけている。今まで唯一の警備だったオークのゴルドスは警戒心を隠さなかったがトクのほうはまるで気にしていなかった。母の実家から彼女が得た支援は彼と祖父、伯母の助言だけとなる。

 いよいよ、実家に戻るときがきた。

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