第28話 最初の犠牲者

『ギフトとは才能であり、才能とは技巧だ。技巧とはよく言うスキルであり、それは八つの属性に大別される』

『スキルはギフト以外に手にすることができるの。それは附与であったり、戦うことにより得た経験と知識の結果であったり、己で磨くこともできるものなの。そうしてできたものすべてをあなたの『消去者』は奪ってしまう。犯罪に手を染めた者のスキルを封印することがあるけれど、とてつもない虚無感に襲われるそうよ。肉体の一部を奪われるような、そんな感じ。スキルが魔力の大きさを占めれば占める程、その虚無感は絶望に代わるとか、ね』


 俺は父上の言葉を思い出していた。

 それは、受付嬢のリリスの言葉とも相まって俺の中にある確信を抱かせていた。

 とても小さな確信だ。針の先に至るようなそんな薄い確信だ。

 でも、それはこの行動を起こす決断を俺にさせるには、十分なものだった。


 俺はヴォフルの剣幕に怯えたふりをして、そっと右手を突き出した。

 左手はティリスの膝腕だ。

 侍女がじっと我慢して行儀よく揃えた両手の上に、俺の片腕と体重が乗る。


 ぎしっとイスが軋んだ音を立てた。ティリスが「んっ」と小さく呻く。俺も十二歳。ごめんな、全身のそれをかけたら、さすがに重いよな。


「いい子だ。そうやって素直に渡せば、悪いようにはしないってのによ」


 そして、目の前に突き出された大金に目のくらんだヴォフルがわっし、と俺の右手を掴んだ。

 俺は臆病な坊ちゃんがびびってしまい、震える手で金貨を渡すような仕草をしていた。当然、必要以上の力がかかっていても不思議じゃない。それを乱暴に取り上げようとするヴォフルが俺とつながった。しっかりと、一瞬以上に、俺たちは確実に接合していた。


 ――消え去れ! すべてのスキル! 


「放せ、このガキ!」

「うわああっ!」


 怯んだすきを見せて、そのまま目を瞑る。

 心の中で俺のどこかに潜む『消去者』に命じた。


 するとそれは温かみのある波となって俺の胸の辺りからしゅんっとまるで音が疾っていくように、周囲に真紅の光を放出する。光はそう広がるわけでもなく、馬車の車窓から外に漏れ出るような光景も見えなかった。それは俺にだけ見える光の奔流で、この車内にいる俺以外の存在すべての持つスキル。そのすべてを網羅していった。


 光が触れたものの存在を分解し、把握し、再構成してそこある魔力の集合体を片っ端から消去していく。それが人の持つ魔力であれ、馬車にかけられた魔法であれ、侍女の服の縫製であれ、おかまいなしだ。


 俺と、俺自身が所有物だと無意識に認めているもの以外、ありとあらゆるものがその犠牲となった。

 光が出て行き、それはどこかで押し戻されて戻って来る。


 海の波が海岸に打ち寄せ、はるかなる外海に戻るように。


 俺の肉体は初め、大事な何かが抜け出ていったような喪失感に襲われた。続いて戻って来た光が俺の身の内に収まると、今度は満たされたような充足感を感じる。

 その時、俺の頭の中には膨大なリストができていた。


 あの光は触れたあらゆるものの情報を収集し、宿主である俺に持ち帰ると分析して、リスト化する。

 俺にはそのどれが必要で、どれが不要かを選ぶ選択権が与えられていて、それは本能的に即座に理解できた。


 ヴォフルが持つ、これまで魔力を媒介として得て来たすべてのスキルを……消去。

 あのギルドで魔石板を前にやったように、脳裏に浮かび上がった光の情報の羅列、リストのこっからここまでが要らない、と俺は無意識に操作して、ポンっとボタンを押した。


 瞬間。


「うっひぎいいいいいっやあああああ!」


 驚くほどの音量と共に、この世の終わりを体感したかのように、叫ぶヴォフルがそこにいた。

 金貨なんてもうどうでもよく、その手から馬車の床に落下していた。さっきまであれほど自信満々に白昼から堂々と強盗行為をしようとしていたこの男は、いまは廃人同然の顔をして床に転がりまわっていた。


 悲鳴は最初の一声だけだった。


 そこからは思いっきり歯を食いしばって、頬の筋肉が異常なほどに膨れ上がる。バキ、ガリッとあごに力を込めたことで、自分の歯を自分で砕き割る……と、いう奇行にこいつは走っていた。両手で頭を掻きむしり、頭皮がそこかしこで破れて顔にまで血がだらだらとしたたり落ちる。狭い床上を左右に転げまわることで、全身を殴打しながら、それでもなお、ヴォルフがもがき苦しむことはなかった。


「御主人様」

「……うん」


 ティリスがいくぶん、同情と憐れみを込めた目でヴォルフを見下ろすと、やってもいいかと許可を求めて来る。

 俺はここまで錯乱することはないだろうと考えていたから、彼の狂乱ぶりに目を向いて驚くばかりだった。


 ティリスは許可を得ると同時に、床上から座席に上げてヴォフルを回避していたが、その片足が鋭く動く。

 斜め上から正確に、そして的確に奴のこめかみを捉えたその足技は見事なもので、呻き暴れまわる狂人を一撃のもとに静かにさせていた。


「凄い、ね……」

「いえ、それほどでも。お使いになられたのですね、スキルを」

「……うん。ごめん」

「謝られることなどございません。このゴミクズのような男から守っていただきました。感謝の念に堪えません、我が主」


 そう言って、ティリスは吐しゃ物や血や髪の毛や、着ていた衣類を激しく破り捨てた盗賊のそれで汚れ果てた床に膝をつこうとする。


「やめろって。服が汚れる……戻ってからにしろよ」

「はい。申し訳ございません」


 そう謝罪すると、ティリスは車内から突然、湧き上がった悲鳴のような物音に驚いたのだろう。馬車を止め、勢いよく入り口を開けた御者に、ヴォルフから回収した財布から銀貨数枚を与えていた。


「このまま男爵家の前まで、運んでいただけるかしら。今渡したのはこの馬車の修繕費。向かって頂けるなら、あなたには別途、報酬をお支払いします」

「いっいや、しかし、だが……怪我人、大丈夫なのか? 医者に見せなくて……」


 と、中年の腹がでっぷりと太った男はそう言った。ティリスは自分の冒険者カードを取り出してにこやかに微笑む。「あとのことは、ギルドが請け負いますので」その一言で、男は不服そうだったけれど、渋々承諾した。ティリスが報酬の前払いと言い、銀貨を掴ませたのも、効果的だった。


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