第25話 浅黄のティリス

 それから俺たちは冒険に参加することのできるまでの説明を幾つかしてもらった。

 まずは半年間の間、研修所に通うこと、そこで基礎訓練を終えてから職場となる様々な依頼業務を請け負い、それを処理することで対価として収入を得ること。

 得た経験と知識、それと共に座学による法律講習を受講して受講証明を獲得することなどなど。やることは学院の進級テストと何も変わらないじゃないかと俺は心でぼやいた。


 あんなに勉強してきたのに、まだ同じことをやれと言われるなんて、うんざりだ。

 俺が受付嬢の説明が終わりげんなりとしていると、後ろに立つティリスがおかしいのか困ったように微笑んでいた。

 苦労性の姉が、手のかかる弟を見ているような、そんな微笑みだった。俺はそんなに覚えの悪い存在じゃないぞ、と斜め下から見上げると、彼女はそれすらも看破したように天使のような微笑みをくれた。


「主人想いの奴隷ね。ところで、彼女の冒険者登録はどうしますか?」

「は? ティリスはもう冒険者登録しているんじゃ」

「あ、坊ちゃんそれは……」


 と、受付嬢の質問に俺は首を傾げる。ティリスが弁明するように、そっと俺の耳元に囁いた。


「……前の御主人様との契約が終了した際に、一度、その……」

「冒険者登録を解除された?」

「登録には毎年の更新が必要と鳴りますので」


 そこまで言われて俺は理解する。奴隷にはその更新をする権利がないのだ。主人がいなければ奴隷は奴隷のまま。ついでに更新の手数料とかも奴隷には出せないだろう。だって、彼らには財産を持つことが許可されていないのだから。


「過去の登録を再開、とかは可能なの、お姉さん」

「リリアよ。レイドールのイニスさん。彼女の登録再開にはちょっと高めの手数料が必要だけれど、どうしますか。銀貨五枚くらい」

「……それくらいなら。ティリス」


 俺はリリアと名乗ってくれた受付嬢に会釈をすると、後ろの侍女にそれを払うように命じた。

 その銀貨五枚は冒険者初心者の俺にしてみれば大金だ。しかし、伯爵家の末子としての俺になら、大した金額ではない。


「申し訳ございません……」


 必要分の銀貨をカウンターに置くと、ティリスは深々と頭を下げた。……いいんだよ、俺の気まぐれなんだから。それよりも、侍女の位階は何なのかが気になるところだ。

 リリアさんの操作する魔石板の手元をじっと凝視する俺の視線が気になったのか、彼女は恥ずかしそうに猫耳を伏せた。


「気になる?」

「とっても」

「そうよね。元冒険者……ティリスさんは中堅と言ってもいいのじゃないかしら。いま十六歳、六歳から十年間近くも冒険者をしていたみたいだし」

「え……まじかよ。じゃあ、位階は?」


 それは彼女に聞いたら、と受付嬢は言った。俺は後方に視線を向ける。

 そこにティリスの顔があった。わざわざ身を屈めて、またこそっと俺に告げる。


「……浅黄の三級でございます」


 浅黄。下から三番目。階級でいうと、二十一ある級のうち、下から七番目となる。素晴らしい経歴だと、俺は思った。だとすると、かつて若い頃に冒険者をしていたオロン爺はいったい何の階級なのだろう? ふとそんなことを思いつくが手続きの方に気が取られてしまいすぐに忘れてしまった。


「こんな辺境じゃ、浅黄まで成り上がるのは相当、大変よー。頑張れる、イニス君は?」

「そんなのやってみなきゃ分かんないでしょ。取りあえず基礎研修を履修してから考えるよ」

「まあ、そうね。それが一番、やる気を失わないことが、生き続ける秘訣。忘れないで」


 リリスさんは諭すようにそう言った。

 生き続ける? 生き残る、の間違いではないかと訊き返す。すると彼女は「生き残るだけじゃ、だめなのよ。次の冒険に。任務に挑めるように努めることが、何よりも大事なの」とまた小難しいことを言う。


 理解したような、そうでないような気分で「そうですか、頑張ります」と返事をする。


「うん、頑張ってね! ここで君に依頼を案内できる日を楽しみにしているから!」

 リリスさんは両手で拳を作ると、小さくガッツポーズをして応援してくれた。ティリスには俺もの持つ腕章と違い、正式なギルドメンバーであることを示す、制服一式が支給される。その腕には浅黄色のワッペンがはっきりと縫い付けられていた。

「いいな、それ」


 帰り道、ギルドビルの前にある定期馬車の停留所でそれを待っている間、俺はティリスの持つ紙袋がしきりに気になって仕方がなかった。

 いつかは俺も手に入れることになるだろう、冒険者の制服がそこには入っているからだ。


「戻られましたら、着てみますか? お似合いかと思います」


 過去に失ったものを再び手にすることができて嬉しいのだろう。ティリスの瞳はそれまでないくらい輝いて見えた。灰色の瞳が深い喜びに彩られている。

 それを見て、こいつに浅黄の冒険者という称号を再発行してもらってよかったと、俺まで嬉しくなった。


「いいのか。でも、俺……ほら、スキルがさ」

「制服には何の魔法もかかっておりませんよ」


 え、そうなの? その服に簡易的な防御結界が施されているって説明がなかったか?


「防御結界は肉体そのものに作用するので、制服には何の魔法も施されておりません。ただ……」


 と、侍女は腕にある腕章を指差して言った。


「これは魔力を集積する魔法植物の繊維から紡いだ糸でできています。でも、それはスキルとは無関係です。その、何といいますか」


 ティリスは俺にも分かるように噛み砕いて説明してくれた。

 人が無意識に息をするように、この魔法植物もまたそうやって生きているのだ、と。

 そう言われてみれば、俺のスキル『消去者』が発動したとしても、人が死ぬわけでない。ただその身に神から与えられた技巧が消え去るだけだ。

 そう考えると、なるほどな、と肯いた。


「けど、十年かけて浅黄……か。俺には何年かかることやら」

「あ、それは違いますイニス様。浅黄の三級までは無学でも上がれるのです。世間には読み書きができない人もたくさんいますので」


 そういうことか。なら俺は座学も受けるし、昇格するまでの時間は人それぞれ――。


「はい、そういうことになりますね。イニス様はまず、初期講習を履修しなければ、ですが」


 ああ、そうだった。半年間の研修をまずはクリアしなければ、上には行けないのだ。

 俺ははあ、と溜息まじりに肩を落とす。

 その様を見て「頑張ってください、御主人様」と応援したイニスの顔が、途端に険しくなると、数名の見知らぬ男たちが俺たちを囲み、いやらしげな下卑た笑みを浮かべて話しかけてきた。

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