第20話 タップする魔石板

 入り口はそんなに広くなかったというのに、そこにひしめく多くの人種、種族を目の当たりにして俺は思わず、「すっげ」と興奮を隠しきれなかった。

 先になかにはいったはずのあの竜人や獣人たち、人にエルフ、肌の色も髪や瞳の色すらも異なる種族たちが、当たり前のようにそこには存在していて、これまでほぼ人間だけの世界にどっぷりと浸かって生きてきた俺にとって、まさしく異邦。

 異世界と呼んでもいいような光景が広がっていたからだ。


「どこも中は変わりませんね」


 と、ティリスはのんびりとしたように言った。

 そこには懐かしい何かに触れたような安心感と穏やかになるものが含まれていた。俺はこれまで一月に渡ってともに過ごしてきた侍女の、まったく見知らぬ側面をまじまじを目の当たりにして、ちょっと戸惑っていた。


 ティリスはそんな俺に気づいたのか、緩んだ表情を整えると、「んっ」と喉をならしていた。


「失礼いたしました」

「懐かしい?」


 何気なく問うと、侍女は「はい」と素直に頷いた。

 まあ、それはそうだろう。数年間を過ごし冒険者だったというのだから。過去を思い出してもおかしくはない。


「少し前まで、こうして生きて参りましたので」

「冒険者としてってこと? それってどんな日々だったの」


 思わず、そんな質問が口から飛び出す。

 ティリスは質問に困ったような顔をして「お屋敷に戻りられましたら、申し上げます」と一言だけ言った。


 なんだかこの場所ではそれ以上、踏み込んでは行けない気がして、俺は視線を上に見やる。

 吹き抜けの最上階には立派な旗が掲げられていて、それはあの門番のおっさんが腕にしていた腕章とも酷似していた。


 ようやく総合ギルドにやってきたんだ、という実感が俺のなかに湧き上がる。

 ここで成り上がれば、また家に戻れるかもしれない。

 この特級魔道具と呼ばれたこいつの――腕輪の世話にならなくても生きていける方法が学べるはずだ。


 その時は‥‥‥。

 未来を考えて、神殿のなかでの一幕が脳裏によみがえる。

 エルメス。


 あの時、母上に忘れなさいと言われた彼女のことを、俺はここに来るまでずっと忘却の彼方へと押しやっていた。

 だが、あいつはあそこで。王都で過ごして行けるんだから、俺よりはましなはずだ。


 覚醒した『消去者』という、忌み嫌われたこのスキルを背負って生きるより、まともな人生を歩んでいるに違いないのだから。


「案内してよ」

「あ、はい。では」


 と、ティリスに頼むと、彼女は快く応じてくれた。

 俺の背中に手を当て後ろから姉が弟にするようにゆっくりと付いて歩いてくれる。俺にとってここにはいない兄たちの誰かが側にいてくれるような安心感をティリスはもたらしてくれる。


「正面がカウンターです。受付のギルド嬢たちが、それぞれ専門の窓口を開設していて、内容に応じて手続きをしてくれます。右手側が広告板――ここではより先鋭化、されているようですね。魔都の影響かしら」

「魔都?」

「北の魔王が治める、魔都グレイスケーフのことです、イニス様。あそこは人間の世界よりもより発達した魔導文明を誇っておりますので‥‥‥。王都よりも距離的に近いこちらのほうが、新しい物を導入しやすいのかと」

「へえ‥‥‥魔族って、辺境で魔力だけを頼りに生きている野蛮な連中かと思っていた」


 俺はちょいちょいっと手綱を引き、ティリスの耳元でそう囁いてみた。


「ダメですよ、魔族もいるのですから。ギルドには」


 侍女は自分も笑いながら、そう俺をたしなめる。

 広告板と彼女が呼んだ場所には、普通なら大きな板が設置されているのだという。

 ギルドに舞い込んだ様々な依頼を担当部署の管理官が確認し、問題がなければ任務として張り出されるのだとか。


 それは色の階級ごとに分けられていて、確かに、そこにある大きな板の残骸も、幾つかの色が縦に塗られている。

 しかし、ギルドに登録している冒険者の多くはその板ではなく、小さい物は小人族から大きい物は巨人族に至るまで、それぞれの大きさに間仕切りで区切られた光を放つ、黒い板の前に座るようになっていた。


 現に俺の目の前で、さっきの入り口で俺たちを奇異の目で見ていた獣人の女が、その光る黒い板を指先で、ポンポンっと押しているのが見える。


「なにあれ?」

「あの魔石板に情報が光で形作られた文字となって浮かび上がる仕組みです。押すだけで画面が切り替わりますよ」


 冒険者登録が終わったら行きましょうね、と俺の興味をそこからはがすと、ティリスは左手にあるのが食堂兼酒場だ、と教えてくれた。

 二階、三階にはそれぞれ色々な課が入っているのだという。


「はいはい、いらっしゃいませ。えーと、冒険者登録、と奴隷登録、ですね。必要書類はお持ちですか、拝見いたしますねー」


 と、派手な金色の猫耳と長い金色の細長い尾をひらひらとさせた、受付嬢の一人が着席した俺の渡した封筒を確認して、あの魔石板とやらに何やら書き込んでいく。


 ここで初めて、その画面を押すことをタップする、というのだと俺は学んだ。


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