第15話 白いうなじ
俺はオロン爺が馬車の見張りをしながら、荷物を屋敷内に運び入れるという重労働を、ほぼ一人でこなしていたことに驚きを隠せなかった。
「もう‥‥‥? 十数個は荷物があったはず。どうやったの、オロン爺」
「いえいえ、あんなもの。わしひとりで十分ですがな。イニス様はこれからギルドですか。うんうん、見違えましたな」
「いや、そうでもない、よ。凄いね」
「わしも若い頃は冒険者しておりましたから。旦那様に雇っていただくまでは、辺境で魔王軍と戦っておりました」
「へえ、そう。なんだ‥‥‥」
魔王軍。
そう言えば、この近くには魔王の住む都があるとかないとか、来る道すがら、傭兵たちが噂をしていたことを思い出す。
年齢は六十代、中身と外見はどう見ても四十代のオロン爺は、ふさふさの銀髪を撫でつけた頭と額を水で濡らしたタオルで拭っていた。
「オロン爺も風呂に入ればいいのに」
「わしはまだ、いろいろとしなくてはならないことが山ほど御座います。こいつらに水も飼い葉も与えてやらないと、文句を言われますし、な」
そう言い、オロン爺が撫でたのは彼と同じくらい体格の良い、四頭の馬たちだ。この一月の間、俺と家臣たちと、荷物を運んでくれた大事な家族と言ってもいい。
そいつらを休ませることが大事なのは、俺にも理解できたからそうだね、と頷いた。
そこには先ほどみせた一人で数人がかりの作業をさっさと済ませてしまう、彼の力強さに憧れた何かがあったのかもしれない。
俺は素直にオロン爺の強さをひけらかさない謙虚さを潔いと感じていた。だからかもしれない。
俺のひねくれた性格も、生まれる前から実家に仕えてくれたオロン爺には敵わず、どうしてか、爺の前でだけは俺は素直になれるのだった。
「……強く、なれる。かな、俺も、爺みたいに‥‥‥兄様たちみたいに」
お? とオロン爺は驚いた顔をして見せた。
「兄君たちが気になりますか」
「そりゃあ、さ。なるだろ、俺よりも強い‥‥‥聖騎士だっているんだし」
図星を指された俺は視線をあらぬ方向に向けてしまう。
たまたま見上げたそこにはたまたまさっきまで湯を使っていた浴室の窓があり――髪を絞って水を切っているティリスの後ろ姿が見えていた。
「あれは単なるスキルですからな。どう活かすかはそれを持つ者次第、かとわしは思いますがの。イニス様のそれも――イニス様?」
「……っ。う、うん……」
あ、あの馬鹿。
窓のカーテンくらい引けって‥‥‥向こうからじゃない、こっちから丸見えだぞ、馬鹿。おい、聞こえて――いや、俺の心の声なんて聞こえるわけもない。
やめろ、そんな――そんな、美しい背筋を、首筋を、腕の隙間から見え隠れする胸元を晒すんじゃない。
俺が空中の一点だけを見据えて唖然としていると、オロン爺は訝しみ、そちらの方向へとちらりと目を泳がせた。それから、ふうん。なんて一声出すとそこには興味なさげにしながら、俺の方へと向き直る。
「……イニス様。あれはそういう意味でも与えられていると思っても宜しいかと」
「どっ、どういう意味だよ! そんな、物みたいに言うのやめろよ、ティリスのことを」
「イニス様。あれは物。奴隷でございますよ。過去には貴族であっても、いまはイニス様の、引いては伯爵家の所有物です」
「だって‥‥‥」
ティリスは自我のある人だぞ、と俺は叫ぼうとした。その一点から目を逸らせず、オロン爺の言葉に反応するのが一瞬だけ遅れる。
「そう扱ってやらねば、あれが可哀想ではありませんか。存在する意味を失います。我々には我々の、奴隷には奴隷の、存在する意味、生きる意義というものがございますよ」
「あ‥‥‥っ」
視界のなかで、彼女の白い背中が、栗色のカーテンに覆われた。窓枠から姿を消したのを見届けて、俺は与えられた一つの解答を頭の中で吟味する。
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