第5話 母の悲しみ
あの水晶と同じ色に揺らぐ母の後ろ姿を見上げた俺は、後ろ髪を引かれる思いで背後を振り返る。
証明書はきちんと印刷され、丁寧な設えの円筒形の入れ物に入れて、手渡された。
別の神官が二人、母と何やら話していて、俺は聞き耳を立てる。
母はどこか嬉しくなさそうな顔をしていた。
「こちら証明書になります」
「ありがとうございます、こちらは既定のお布施です。どうかお納めください」
「これはこれは。いつもお世話になっております、侯爵様にもよろしくお伝えください」
「ほら、イニス。行きますよ。帰りましょう、お父様にご報告しなくては‥‥‥ね」
「はい、母様」
母が受け取る。蜜蠟で封がされたそれはここでは開けることを拒んでいるらしい。
過去に素晴らしいギフトだと古代文字を読んで理解した連中が、偉そうに証明書を掲げて「俺たちは選ばれた民だ!」とかなんとか叫んだらしい。
それ以降、神殿では付き添い人にギフトの詳細を述べるものの、相談は各家庭でやってくれ、と案内することになったようだ。
差別を助長するとかなんとか、難しいことを言われたが、その時は理解できないでいた。
今なら分かるけれど。
母は敬虔な大神ダーシェ信徒だったから、先例に漏れず、ここで封を開けることも聞いた内容を口外することも無かった。
ただ、神官と後ろに立つ青い法衣のいかにも偉いさんという感じの老人‥‥‥あとから神官長だと俺は知ることになる。
「夫人、気を落とすことのないように」
「神官長様、ありがとうございます。ですが‥‥‥」
「後から陛下よりの使者が向かうかもしれん」
「えっ、それは、そんな。はい、畏まりました」
とか、彼らが会話していたの耳にする。
陛下とはもちろん、国王陛下であり、その使者が来るとすれば、俺はとんでもないギフトを引き当てたことになる。
だが、気を落とすことのないように、とはどういう意味だろうと子供心に思案していたら、後ろが騒がしい。
奥の方から目を泣き腫らしたエルメスが出て来るのが見えた。
「どうして! お母様、わたしがどうして、そんな‥‥‥。どうして!」
「やめなさい、はしたない。こんな場所で涙を流してそれでも侯爵家の娘ですか、情けない!」
「――っ! お母様‥‥‥」
侯爵夫人も、家来の騎士たちも、同様に涙を流していた。
とは言っても心の中であって、表にはそんな素振りも見せなかったけれど。
あれは俺の勘違いだったのかもしれない。いや、どうでもいいか。
「母様、一体何があったのですか」
「お前は知る必要が無いのよ。それよりも自分の心配をしなさい、イニス。他人に構っている暇はないわよ」
「え‥‥‥はい」
普段は温和な母の声が硬質なものに変化する。
試験のテストを自分が受けるような張り詰めた雰囲気を、母は醸し出していた。
今度は親が試験官になり、俺の人生が左右される決断を下されるのかと思うと、心がきゅっとすぼまった。
「戻り次第、お父様とこれについて話します。お前ももう十二歳。貴族の息子として、弁えて行動するようにね」
「……はい、母様」
優しさがうっすらと抜いていくその空気感が、俺にはどうにも受け入れがたかった。
馬車に乗り、邸宅を目指す。
「イニス」
「はい」
「あの子のことは‥‥‥忘れなさい」
「……」
あの子。
エルメスのことを指しているのだと理解するまでに俺は数分を要した。
屋敷に戻るまでの道程で、俺はずっと考えていた。
自分の未来。
与えられたギフト。
覚醒した俺だけのスキル。
エルメスを忘れろという母の言葉。
この年齢の子供にとって、親の言うことは絶対だ。
守らなければならないという強い義務感を強いられてしまい、冷静な思考だって追いつきやしない。
だから、俺は考えることを止めた。
エルメスのことを。考えるのを止めたんだ。
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