第2話 何もしなくていい?
一ヶ月後、好機が訪れた。
凛太郎たちが二年生になってクラス替えをしてからの、初めての授業参観である。
新たなクラスのママ友グループが構築される時でもあり、ママ友の間でのヒエラルキーが決定する時でもある。気は抜けない。
仕事は休みを入れている。念入りに化粧をして、ちょっとフォーマルな洒落た服を着て、歩いて学校に向かう。
奇しくも、見学できる教科は、凛太郎の得意な数学。我が子の活躍をこの目で見られるかもしれないと思うと胸が躍った。
運良く、凛太郎は黒板の前で連立方程式を解く係に任命された。見事正解してハナマルをもらう。私は心の中で飛び上がって喜んだ。息子のことが誇らしかった。
その後も、頑張る凛太郎の後ろ姿をじーっと見ていたら、あっという間に授業が終わってしまった。
この後には、クラスごとの親の懇親会が開かれる予定である。
私たちは連絡先を交換し合ってトークルームを作ってもらいながら、ぞろぞろと学校を出て近くのレストランに向かう。
席に着いたら、一人ずつ自己紹介が行われた。すぐに私の番が回ってくる。
「瀬川凛太郎の母です。息子はさっきの授業で問七を解いてました」
えへへとちょっと照れ笑いをしてみせる。
「どうぞよろしくお願いします」
パチパチパチ、とまばらな拍手。
続いて立ち上がった隣の女性は、背が高く、すらりとしていた。
「深井柚希の母です。よろしくお願いします」
短く言って頭を下げた。
私はびっくりした。
まさか例の深井さんの隣に座ってしまうとは。
だがこれはチャンスだ。島木さんと水沢さんに見られることなく、深井さんと話ができるチャンス。
続く挨拶で、私は他のママ友の挨拶を注意深く観察して、それぞれの顔を覚えた。そして全員の挨拶が終わって雑談タイムが始まった時、待ちかねたように声をかけた。
「あのー、すみません。柚希くんのお母さんですよね?」
「え? そうですけど」
「あ、あの、柚希くん、成績いいですよね。確かこの間のテストは総合順位6位! 尊敬しますー」
「はあ……よく覚えてますね、そんなこと」
「覚えてますよ。一体どのような教育をされているのか、ずっと気になってたんです」
「別に……」
深井さんが若干めんどくさそうな顔つきになったのを、私は見逃さなかった。確かに感じが悪い気がする。
「私は何もしていませんよ」
「そんな、ご謙遜を」
「謙遜じゃないです」
「いえ、あの」
「事実です」
「あの……」
そっけない返事に、私は焦り始めていた。このままでは成績を上げる秘密を教えてもらえない。
「どうか教えてくださいませんか……? 私、息子の成績のことで悩んでましてー」
「はあ……」
「どうしたら6位なんて凄い順位を取れるんですか? 本当に気になりますー」
「何もしてないですって」
深井さんは無表情で言った。
「勉強しろだの、塾に行けだの、中学受験しろだの、私からは一言も言ったことがないです。全部本人がやりたいからやらせてるだけで……本当、私からは何もしてないですよ」
断言されて、私は鼻白んだ。
「はい……?」
「瀬川さん、悩んでるっておっしゃいましたけど、それは……」
言いかけて、深井さんの瞳に影がさした。
「……それは?」
「……いえ、何でもないです」
「えっ、何ですか。気になります」
ふう、と深井さんは溜息をついた。
「お子さんは悩んでるんですかね……と思っただけです」
「……え?」
「順位も成績も子どものものです。子どもが悩んでいるなら手を差し伸べますが、悩んでいないようなら何もしなくていいんじゃないですか」
「……」
「……すみません。口出しするような真似を」
深井さんは無言でパスタを食べ始めた。
私はしばらくぽかんとしていた。
……はあ? 何もしなくていい?
そんなの、……無責任じゃない?
私はもんもんと悩みながら帰途についていた。
子どもはまだまだ幼い。成績の重要性を本当の意味で理解なんてしていない。だからこそ親が導いてやらなくてはいけないのではないの?
放っておいて成績が悪化して、それが子どもの将来に影響したら、親の責任じゃないの!
子どもの将来を一番に考えるのは親の大事な責務。それをおろそかにするなんて……深井さんのところは、柚希くんがたまたまやる気のある子だから、何とかなっているんだ。だけどこのままだと、今に痛い目を見るに決まってる。
……まあ、知ったことではないけれど。深井さんはママ友ではないし。
次のママ友ランチ会で、私はすぐにこのことを言いふらした。
「深井さんったら、何もしなくていいって言うんですよ。やっぱりあの人、ちょっと感じが悪いですねー」
「何も……しなくていい……?」
島木さんは唖然としていた。
「そんな……信じられなーい!」
水沢さんは首を振った。
「でしょー?」
私もそう言って、ハンバーグを口に運んだ。
「やっぱり親の教育もその子の能力に含まれると思うんですよ。柚希くんだって親がもっと面倒を見てやればもっと上だって取れたかもしれないのに……可哀想ー」
「そうねえ」
「そうよねえ」
二人が大いに賛同してくれたので、私は嬉しかった。やはりママ友同士のやりとりは大切だと再認識する。こうして意識のすり合わせもできるわけだし、結束感も高まって気分がいい。
でも、このママ友の間でうまくやるには、やっぱり凛太郎の順位を上げることが必須だ。次また200位未満なんて取られたら、恥ずかしくてやっていけなくなる。
「塾にも慣れてきたんだし、次のテストではランキングに入れるようにしなさいね」
凛太郎の部屋に洗濯物を運んできたついでに、私は凛太郎に告げた。凛太郎は塾の宿題をやって……いなかった。覗き込んでみたが、英単語の空欄が全く埋まっていない。
「もう! 何をやってるの! そうやってサボってたら、順位を落とすよ?」
「別にいい」
凛太郎が言ったので、私はすっと血の気が下がる思いがした。
「何よ、それ」
かすれた声で言う。
「ママはあなたのためを思って」
「違うだろ」
凛太郎が投げやりに言った。
私はカチンときた。
「……違うって何。違うわけないじゃない」
「いーや違うね。俺、聞いたもん。子どもの順位が親の間で話題になってるって」
「それは……当然でしょう。親はみんな子どもの成績が気になるものなの」
「ママ友の間で自慢できるから?」
「ちっ……違います」
……違わなくもないけど、と私は思った。でもそれを口に出すことは許されない。
「全く、何を言うの。ママは真剣にあなたの将来を心配しているのに」
「200位以内に入れなくても、こんくらいの成績なら高校でも上のクラスに余裕で入れるだろ。何でランキングばっか気にすんだよ」
「……それは、あなたに全力を出してもらいたくて……」
「あー、もういい」
凛太郎は立ち上がって、乱暴に私の手から洗濯物をひったくった。
「これ仕舞うの俺やるから。ちょっと出てってくんない」
「何、その言い方は」
「いいからいいから」
ぐいぐいと部屋の外に押し出されてしまった。バタンと扉が閉じられた。
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