あなたを満たす哀しみが


 ――が、そうする代わりに。

 ルゥルはバッシュが頼んだ通り、破魔の波動を放った。


 閃光がウルティガから生じ、家の中を青白く染めた。


 その光の中では、魔法の武具でさえ、一時的に効果を失う。

 魔封じが効力を失った一瞬を逃さず、バッシュは鎖を断ち切った。


 そのまま立ち位置を変え、ルゥルをかばうように、マウサの正面に立つ。

 急いで下穿きをはこうとして、つんのめっているのが、ちょっと締まらない。


「……何を考えているの、バッシュ」


 まるで『息子が犯罪者になってしまった……!』と動揺する母親の顔で、マウサは呆然とバッシュを見た。


「魔族にウルティガを渡すなんて……それがどんなものか、わかってるでしょう!?」

「……彼女の言う通りです」


 ルゥルも同じ意見らしい。マウサに同調し、バッシュをとがめるように言う。


「わたくしに『その気』があったら、どうなさるおつもりです?」

「どうするもこうするも。その場合、とっくに死体になってるでしょうが?」

「……意見具申いたしますと、今後はもう少し慎重に行動すべきです。バッシュ様はたった今、わたくしの恨みを買いました」


 ルゥルは名残惜しそうにしたが、それでも、ウルティガを返してくれた。

 魔法を扱う者にとっては垂涎の至宝だ。たったひと晩――否、ほんの一刻でも、借り受けて読み耽りたい、と魔法使いなら誰しも願う。


「どうして……奪うの……?」


 怒りを含んだマウサの声が、薄暗い家の中に響いた。


「私のバッシュなのよ? 私が拾って……愛情をかけて……なのに、どこのエウクの骨とも知れない女が……魔族が横から奪っていく!」


 どんっと足を踏み鳴らす。弾みで涙の粒が散り、マウサの足元を濡らした。


「私の父も! 母も! 弟も! みんな焼かれたのよ! やつらに!」

「――――」

「仲間はみんな殺された! 手足をもがれて――はらわたを引き出されて――焼けた鉄をのまされて――頭を砕かれて! みんな……あんなに優しかったのに!」


 バッシュの脳裏にも、その死に様は焼きついている。

 追憶の儀で見たからだ。マウサの過去を通して、彼らの最期は……。


「バッシュと過ごすはずだった……7と3年の歳月まで、やつらは奪った!」


 もう限界だ――もう我慢ならない。

 そんな心情をにじませて、マウサは冥府の魔杖ラスピリウを突きつけた。


「どきなさいバッシュ! その女を殺すわ! 魔族なんて、根絶やしにしてやる!!」


 教団の教義だとか、人界への帰属意識から発した叫びではない。

 マウサ自身の憎悪であり、復讐の意志から生まれた敵意だ。


 この憎悪を否定することは、バッシュにはできない。そんな資格も、権利も、自分にはない。痛めつけられたのはマウサで、奪われたのもマウサだ。彼女の喪失を贖えない者が、どうして『憎むな。赦せ』などと言えるのか。


 それでも――バッシュはルゥルの前をどかなかった。


 マウサは哀しそうに、切なそうに、顔を歪めた。


「どうして、わかってくれないの……!?」


 食卓を殴る。卓上の花瓶が激しく揺れ、アイが身をすくませた。


「わかってよ! 貴方の本当のお母さんだって、奴らが殺したのよ!」

「……その犯人なら、お師匠たちが倒してくれたじゃないですか」

「そんなの足しにもならない! 全然、ちっとも、吊り合わない! 私たちがあのとき殺した魔族は、たったの一匹よ!? 村ひとつが消えたのに!」

「だとしても。あれはルゥルさんがやったことじゃない」


 マウサの眼に、痛みが走る。


 ――正論が凶器になることを、バッシュは知っている。そんなものを振りかざしたくはなかったが、ほかにどうしようもなくて、バッシュは言った。


「でも今、お師匠がルゥルさんを殺したら――お師匠は彼女の肉親や、仲間に憎まれる。ちゃんとした『仇』として」

「……!」

「彼らがお師匠の論法を取れば――俺も、アイも、この街の住民も、みんな殺されて然るべきで……人間は根絶やしにしていい、ってことになる」


 攻撃される危険を顧みず、バッシュはマウサに近付いた。

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