怒りがわいたのは


    6


『いさおーをーたてんー』


 厠で用を足しながら、バッシュはその甲高い歌声を聞いていた。


「わーれらーつーるぎーのー」

『くーちるーとーもー!』


 音程はちょっと怪しいが、ちゃんと歌に聞こえる。


 グング鳥は想像よりずっと賢く、好奇心が強かった。バッシュが厠にくると、何の得もないというのに、条件反射で歌い出すくらいには馴れてくれた。


「よーしよし。おまえ利口だな~可愛いやつめ」

『つーるぎー!』


 そんなふうに小鳥とたわむれてから厠を出ると、マウサが不審そうにしていた。


「最近その子、懐かしい感じの歌を歌うんだけど」

「あ、俺が教えました。子どもの頃、よく歌ってたやつで」


 勘の鋭いマウサのこと、そろそろ疑念を持たれたはずだ。


 しかし、バッシュは何食わぬ顔を貫く。監禁生活の数少ない潤い――実際そうだ――ではあるので、マウサもうるさくは言わなかった。


 後ろ手に枷をはめられ、部屋に戻ったところで、むっと漂う湯気に気付いた。


「蒸気……? お湯ですか?」

「お風呂よ。最近じめじめするし、そろそろ入りたいでしょう?」


 季節は雨夏。アフランサがもっとも湿潤な時候だ。


 この気候と、山岳部に温泉が沸く関係で、アフランサには入浴の習慣がある。とは言え、湯の確保が手間なので、庶民は公衆浴場に行くのが普通だ。


 しかし今、居間には湯船が置かれ、白い湯気が立っている。

 魔力の残滓が漂っているところを見ると、魔法で湯を沸かしたらしい。


 大気中の水分を凝結させるのは、初歩的な魔法だ。雨夏の湿気は飽和水蒸気量に達するほどなので、濡れ雑巾をしぼったように水が生じる。


 それを、お得意の火属性魔法で沸かした。

 なるほど、大魔導師にかかれば造作もない。


 蒸気が顔に当たるだけで、バッシュの心が安らぐ。

 ひとっ風呂浴びてすっきりしたい、という気持ちは大いにあった。しかし……。


「さあ、バッシュ。こっちで脱ぎ脱ぎしましょうね♡」


 そうくると思った。バッシュは頭痛をこらえつつ、


「厠と同じですよ! 片手を自由にしてくれれば、一人で入れます!」

「だめよ。だって私、どうしても手ずから貴方を洗って」

「あげたいんですよね、知ってました!」

「母が子を入浴させるのが、そんなにおかしいこと?」

「またその論法……!」


 だんだん腹が立ってくる。7日にわたり自由を奪われ、仲間や世界を案じ続けたために、さすがの勇者も忍耐の限界に達しつつあった。


 アイもエルトも、必死になってバッシュを探しているだろう。湿り雨の中、街を駆け回っているはずだ。二人の心情を思えば、言いたいこともわいてくる。


「いい加減にしてくれよ……!」

「――バッシュ?」

「俺はもう子どもじゃない! 何年経ったと思ってるんだ!」


 バッシュの怒気に触れて、マウサは怯えたように身を引いた。

 そのくらいでは止まれず、バッシュは積年の想いをぶちまける。


「この家が思ったほど傷んでなかった? そりゃそうでしょうよ! ごろつきのたまり場になって王室に取り上げられたのを、どうにか取り戻して……元通りに手直ししたんだ! 貴女がいつ帰ってきてもいいように!」

「――――!」

「お師匠がいなくなったのは俺が7つのときです! お師匠はさよならも言わないで――ある日突然、帰ってこなくなって……俺は急にひとりぼっちになって!」

「それは……だって!」

「食べるものもなくて、どうしていいかわからなくて……だからよその生ごみを漁って――いや、そんなことはどうでもいいんです! 俺はただ……」


 あの頃、痛切に感じていた感情。

 それがどういうものだったのか、バッシュは今、理解した。


「貴女に、居て欲しかったんだ……!」


 ただ、それだけ。

 それだけが、望みのすべてだった。


「……別に、恨んでるわけじゃない。捨てられたとも思ってません。貴女が危険な仕事をする人だってのは、何となくわかっていたし……。でも、いつか帰ってきてくれるんじゃないかって、期待しながら生きるのは……つらかった」


 声が上ずる。たぶん、自分は泣いている。

 マウサも眼を赤くして、バッシュの手を握ろうとした。


「バッシュ……ごめんなさ――」

「だってのに、貴女は何をやってるんです!」

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