思い知ったのは
「これは、魔戒……!? な……ぜ……!?」
『契約を経ずとも、魔戒にかけることは可能なのだよ。高貴な血統――バウロウド帝家の長たる私にはな』
勝利を確信した様子で、悪魔が腕をのばしてくる。短剣ほどもありそうな鉤爪で、直接マウサを八つ裂きにするつもりか。
だが、マウサに触れることはできない。赤銅色の腕が血をまいて飛んだ。
――眼光がそのまま具現化したような、魔力の刃が断ち切った。
丸太のごとき腕が雪に沈み、黒ずんだ灰となって消滅する。
赤褐色の血をだくだくとあふれさせながら、悪魔はけたけた笑った。
『詠唱もなく、放つか……。やはり、大したものよ。肉体の自由を奪われてなお、私に手傷を負わせるとはな』
「……もうあきらめて、魔界に帰ったら?」
『手はあるさ。おまえが斬り飛ばしてくれたおかげだ』
負傷した腕を振り、自らの血をマウサに浴びせる。
酸やら毒では、ない。触れた部位から見る見ると、硬く冷たくなっていく。
――どうやら、金属のようだ。石人ガラマッドの肌のように、マウサの体が無機物に覆われていく。
「これは……呪い……!?」
『そうよ。殺せぬならば、封じてしまえばよい。人間どもがよくやる手だな?』
自らの生き血を触媒とし、マウサを呪いで封印するつもりか。
マウサの肩が、腰が、顔が、硬くなる。
手足は動かせず、唱えるべき呪文も思いつかない。
自らの運命を悟り、マウサの表情が戦慄に凍った。
そんな彼女を見て、悪魔は喜悦に顔を歪める。
『おお、おお、可哀相に。愛する者でも置いてきたのか?』
「……っ!」
『そいつはすぐに死ぬのだろうが――あの世での再会など期待するなよ。人間の言う天国とやらに、おまえは行けない。死ぬこともなく、ここで永遠の時を過ごすのだ。誰にも見つけてもらえずに、その鉄の檻の中でな!』
ははは、と楽しげに笑って、悪魔は翼を広げた。
月夜に羽ばたき、悠然と飛び去る。
遠ざかる仇の背中を、マウサはただ見送ることしかできない。
感覚のない頬を、涙が伝う。それは即座に冷え、金属の肌で凍りつく。
悔しくて――苦しくて――申し訳なくて、マウサは泣いた。
仲間の仇を討てなかったことよりも。自分の人生がここで終わることよりも。
何よりもまず、バッシュのことが心残りだ。
バッシュはまだ7歳だ。一人では何もできない。
なのに、何もしてやれない。もう側にもいられない!
「許して……バッシュ……!」
こんなはずじゃなかった。夕食前には戻るはずだった。
世紀の大発見があっても、あるいは空振りに終わっても。
貴方が待つあの家で、ただいまを言うはずだった。
薄れゆく意識の中、マウサは初めて神に願った。いるかどうかもわからない、人を超えた力を持つ何かに、心からすがった。
どうか、バッシュを……護っ――
◇
育ての母の過去を思い出し、バッシュは深く息をついた。
魔族を憎むマウサにとって、バッシュの婚約は『裏切り』だろう。
和睦で戦争を終わらせるなど、『赦されるべきじゃない』。
レェンとの婚約を事前に相談できなかったのも、それが理由だ。マウサを納得させる自信がなくて――時間的余裕がないと思って――先送りにした。
その『つけ』の支払いを、バッシュは迫られている。
こうして、どうすることもできないままに時は過ぎ。
バッシュの囚人生活は、早くも7日目を迎えようとしていた。
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