避けて通れないのは


 どの皿も、そしてメルマウも、世辞抜きで美味だった。


 塩と香草クィグを利かせ、とろみをつけた野菜汁。

 鳥と茸を卵でとじたもの。南方原産の香辛料が、いい具合に食欲をそそる。

 ふっくら焼き上げ、甘辛く味付けしたオスタの三枚肉。

 庶民の常備菜とされる品々――青菜の一夜漬け、根菜の油煮、煮潰したポルタ豆を肉の切れ端と混ぜたもの、等々も少量ずつ。


 どれも、歯ごたえを殺さない程度に、しっかり加熱されている。火の加減がよければ、旨みは逃げない。生煮えか黒焦げか、というあの光景はどこにもない。かつてのマウサとは正反対の思想に基く、完成された技術だった。


 正直、手を封じられているのがもどかしい。

 次を、次を、と欲しがるバッシュに、マウサは親鳥のように給餌する。


 腹が満たされてくると、多少は頭が冴えてくる。バッシュははっとして、


「まさか――幻覚の魔法とか、味覚をいじる魔薬とか……!?」

「さすがに失礼よ!」


 にこにこと垂れ流し状態だったマウサの笑顔が、一瞬で険しくなった。


「私を何だと思ってるの。そういうのはね、思ったより難しかったのよ」

「しっかり調べてんじゃないですか!」

「まあ、大魔導師が本気を出せば、料理なんて楽勝だったってことね」

「……もっと早く出してくださいよ、その本気」

「あ、あの頃は、若さゆえの自惚れがあったのよ……」


 マウサの頬に赤みが差す。料理を正しく学んだ今、かつての自分を思い出すと、さすがに恥ずかしいらしい。


「も、もういいでしょう。昔のことは言いっこなし」

「昔て。お師匠にとっては、せいぜい1年くらいじゃないですか?」


 反論できず、マウサはすねたように「意地悪!」と言った。


 可愛い、と言っていいのか。そんな表情で、そんなことを言う人だとは思っていなかったので、バッシュは思わず笑ってしまった。


 マウサはむっとして、腹いせのように、バッシュの口に汁の具を突っ込む。


「あ……これ」


 ――バッシュにとっては『おふくろの味』と言えるかもしれない。

 家畜の乳を煮詰め、発酵させ、糖蜜で練り、丸めた団子。

 そのままで菓子にもなるし、塩気の強い料理の具にもなる。


 マウサが出してくれた食べ物の中で、もっとも安心して食べることができたもの。

 あの焼け跡で、マウサが最初にくれたもの――


「……何で、こんなことをしてるんですか」


 母の真意をはかりかね、思わず疑問が口をつく。


「どうして、俺を捕まえて……何の目的で」

「何も心配しなくていいの」


 マウサの声は優しかった。


 母が子を慈しむ、そのままの声と眼差し。

 手つきだけは妙に艶かしく、バッシュのふとももをさすっているが。


「全部、私がしてあげる。食事も、歯磨きも、着替えも、お風呂も、全部全部全部全部。貴方の面倒は全部、私が見てあげるから」

「ぜ、全部……?」

「全部よ。だから何も心配しなくていいの。世界の平和も、私が代わりに守ってあげる。貴方はこの家で、ずっと、ずぅ~っと、幸せに暮らせばいいの」


 陶酔したようなマウサの表情に、バッシュは慄然とした。


 本能が警鐘を鳴らす。これはバッシュが知っている、知的で冷静な彼女ではない。


「や、そうは言っても……ですね」

「何か問題があるの?」


 マウサの長い爪が、ぎりっと大腿に食い込んだ。


 マウサは優しい笑顔のまま、瞳に剣呑な光を宿し、バッシュを質した。


「言ってご覧なさい?」

「えっと……その……用! 用を、足したいなと!」

「用? 何の用?」


 仕方なく、バッシュは言った。


「厠っす」

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