世話を焼いてくれるのは


「お腹すいてるでしょう? すぐに食事の支度をするわね」

「えっ――まさか、お師匠が料理を……するんですか?」

「まさかって何よ」


 ムス、とマウサはむくれた。アイやエルトの前では絶対にしない表情だ。


「馬鹿にしているのね。この大魔導師レガ・リスタを。私は薬学にかけても天才なのよ?」

「薬学て……」

「料理なんか、碧鉱石の精錬よりずっと簡単よ」

「強酸も水銀も要らないんですよ、料理には!」


 実際に自分がやるようになって、マウサが決して料理上手ではなかったことを知ったバッシュである。


 味覚うんぬんではなく、やり方が独創的に過ぎるのだ。

 調理というものは煮たり焼いたり揚げたり蒸したりで事足りるものであり、謎の薬品や爆発を駆使して未知の化学実験をする必要はない。


 食卓の椅子くくりつけられたまま、気をもんで待つバッシュ。


 旅のあいだはバッシュとアイが料理当番だったため、マウサの現在の腕前は未知数だ。この状況で腹をくだしたくはないので、生焼けは勘弁して欲しいのだが……。


 とんとんとん、と包丁の小気味よい音が聞こえてきて、バッシュは驚く。

 まな板なんてものは、当時は存在しなかった。あの頃のマウサは風の魔法で具材を切り、そのまま魔法で宙を飛ばして、魔薬調合用の釜に放り込んでいた。


 あの方式はやめたのだろうか? 首を伸ばしてのぞいて見ると、マウサは真剣な顔で、当たり前の手順と手段を用いて、食事の支度をしていた。


 記憶の中の彼女とは違う。段違いに手際がいいし、おかしな魔法も使っていない。


 それでも――それはやはり、懐かしい光景で。

 7と3年前、ここに置き去りにされたバッシュが、心から望んだ光景だった。


 つん、と鼻の奥が痛くなり、バッシュはあわてて天井を向いた。

 息子というものは大抵、母親には涙を見せたくないものなのだ。


 そうしているうちに時は過ぎ――

 バッシュの眼前に、色とりどりの皿が並んだ。

 かつてない美しさ。複数の皿が並ぶこと自体、あの頃は稀だった。


「お師匠……メルマウなんて焼けたんですか……」


 こんがり焼き色がついた、ふわふわの物体を見る。

 エクラ麦を挽き、粉にしたものを乳で練る。その生地を酒母で発酵させて、かまどで焼く。どこの家庭でも食される、主食の代表がメルマウだ。


 バッシュの意識が戻る前に、タネを仕込んでいたらしい。たった今焼いたメルマウは、実に香ばしい匂いを漂わせ、ほかほかと熱を放っている。


 ――これは絶対、美味いやつだ。


 マウサはバッシュの斜め前に、膝を擦りつけるようにして座った。

 旅のあいだは一度もしなかったような、甘ったるい笑顔を浮かべて、


「はい、あーん」

「あの……自分の手で食べたいんですけど」

「だめよ。あーん」


 仕方ない。バッシュは7と5年ぶりくらいに、マウサのさじで食事をとった。


「うま……っ!」

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