落ちた影が


    6


「恩知らずな生き物ですね、人間というのは」


 広場に出たところで、ルゥルが悪態をついた。


「聖戦を終わらせる最後の勇者、聖地を解放した救世主――などと戦時中はさんざん持ち上げておきながら、曲がりなりにも和平が実現した途端、あれですか」

「場合が場合だよ。それに、どっちかって言うと、恩知らずは俺かもね……」


 旅のあいだ、教団は常に勇者の味方だった。

 金銭的にも、精神面でも、ときには命さえ投げ出して、尽くしてくれた。


 その敬意と献身を、バッシュは裏切った。彼らの信仰に唾を吐くかたちで。

 まして、エルトをあんなに苦しめて――


 どっと疲れが押し寄せて、バッシュはその場にしゃがみ込んだ。

 勇者の異変に気付き、ルゥルが不審そうに寄ってくる。


「バッシュ様……便意の解消なら、せめて物陰で」

「催しても道端ではしませんよ!?」


 怒鳴った瞬間、めまいがきた。大地に手をつき、バッシュは情けない声を出す。


「考えてみたら俺……丸一日、食いっぱぐれてる……」

「アイメリウ姫の襲撃は、朝食前でしたものね。わたくしも是非、この街のお高い名物などをご馳走していただきたいところですが」


 切れ長の眼で、鋭く上を見やる。

 いつの間にか、大聖堂を覆い隠すような、巨大な人影が浮かび上がっていた。


 昨日対峙したときに比べると、半分ほどの大きさだ。それでも十分に巨大であり、霊威も迫力も変わっていない。


 バッシュは思わず苦笑した。


「狙ったように出てくるじゃんか……」


 あまりに間が良すぎる。とても偶然とは思えない。


「仮に標的が俺なら――俺が王都を離れれば済む話だけど」

「標的が別の何かだった場合、鬼畜の勇者は我が身可愛さに逃げ出した――と噂が立つことになります。名声も地に堕ちるでしょう」

「俺の評判なんて今さらだよ。でも、それで犠牲者が出るのは駄目だ」


 変化に乏しいルゥルの顔に、驚いたような色が浮かんだ。


「戦うおつもりなのですか? 昨日ぺしゃんこにされたのに? もしや、白ミル虫程度の学習能力しかないのですか?」

「うるさいよ!? 勇者をそんな目に遭わせるような奴、俺がやるしかないでしょうが!」


 しかし、ルゥルは納得しなかった。

 ぐいっとバッシュの腕をつかみ、まっすぐ瞳をのぞき込んでくる。


「あの厚顔無恥の無礼者ども――失礼、腐れ脳みそどものために戦うと?」

「言い換えた意味がわからない! でも、質問の答えは『そうだよ』だ」

「何故です? 神官どもは言いました。貴方はもはや勇者ではない、と」

「……ルゥルさんも知ってるだろうけどさ」


 むしろ可笑しい気分になって、バッシュは軽口のように言った。


「勇者バッシュは、教団の言うことを全然聞かない」


 ルゥルの手を振りほどき、巨人に向かって走り出す。


 と、武装したアイに出くわした。昨日の今日で、騎士たちは警戒態勢にあったらしい。


「あっ、バッシュ!」

「アイ! いいところに!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る