最後の希望が
バッシュは訝しげにエルトを見た。エルトは小さく縮こまりながら、
「今ここで託しても、おそらく……聖剣は真価を発揮できず、アダマリスには敗北します。わたしたちには、聖剣を育てる時が必要なんです」
「時――時間?」
「はい。ですから今は、この囲みを脱し、ともに逃げ延びましょう」
「……俺たちだけで?」
バッシュが眉をひそめる。その気持ちはよくわかった。
人々に勇者と呼ばれる若者だ。交戦中の聖騎士団を見捨てることも、フェムロン市民を置き去りにすることも、よしとはすまい。
しかし、エルトとしても、こう言うほかないのだ。
「教団は聖剣をお護りするために在ります……皆、殉教の覚悟はできています」
「だけど!」
「聖地は陥落したのです。貴方は……間に合いませんでした」
「――そうか。わかった」
バッシュが背を向け、御所の外へと歩き出す。
その背中は、エルトを見限ったようにも見えた。
彼が単身で魔軍の包囲を突破し、聖域に飛び込んで来たのは、聖剣さえあれば状況を逆転できる……と踏んでの賭けだ。
それを無下にされては、当然、腹も立つだろう。
足を止めず、バッシュは淡々と指示を出す。
「君は逃げてくれ。南の包囲が薄いから、そこから谷に入るんだ。山道にはラグランサの騎士団が出張ってきてる。彼らと合流すれば、逃げられる」
「でしたら、バッシュ様も!」
「俺は残る。勇者の使命を果たなきゃ」
「ず……ずびばぜん……っ」
「えっ!? ごめん言い方が悪かった!? 俺は怒ってないよ!?」
泣き出したエルトをあやすように、バッシュは優しく言い直す。
「聖剣を護るのが君の役目なんだよね? なら、君はその役目を果たして」
「ですけどっ……バッシュ様はどうなさるんですか?」
「魔将アダマリスを討つ」
実に、簡単に言う。大言壮語としか思えず、巫女たちもあきれ顔になった。
世界最強との呼び声高き、聖騎士団が足かけ3年。最後まで防戦一方のまま、粘ることしかできなかった――魔将アダマリスを討つ?
「無茶です! 相手は魔帝三軍のひとつですよっ? 普通の剣では傷も負わせられません!」
「知ってる。でも大丈夫、俺には頼れる仲間がいるし――」
どーん、と大きな音がして、大地が揺れた。
霊峰で山崩れでも起きたのかと、皆が浮き足立つ。
バッシュが御所を飛び出し、アダンの壁を駆け上がる。
エルトは目を疑った。勇者は垂直の壁を、地上を走るように駆けるのか。
あわててエルトも後を追う。聖女も〈大いなる探索〉に備え、最低限の鍛錬は積んでいる。長大な石段を軽やかに跳んで、たちまちバッシュに追いついた。
城壁から見下ろすと、戦場には大輪の花が咲いていた。
敵ごと地上を焼き尽くす、劫火の花。それが大魔導師マウサの攻撃魔法、灼熱波濤と知ったのは、戦いが終わってからのことだ。
炎は魔獣を舐め尽くすように、敵陣を焦土に変えていく。
恐るべき力だ。魔界の大貴族と同等か、それ以上の域にある。
火炎がひらいた空隙に、一人の戦士が突っ込んでいく。
驚いたことに、それは女性――エルトとさして変わらない年頃の少女だった。
細い身体で、4ワールもありそうな、巨大な斧槍を振り回す。彼女が武器を振るごとに、魔獣の群れが打ち上がり、竜巻のように逆巻いた。それがラグランサ王国の宝〈神槍エムロ〉だと知ったのも、やはり戦いが終わってからだ。
そうして乱れた戦場に、満を持して、勇者が飛び込んだ。
市中に入り込んだ魔獣を蹴散らしつつ、バッシュは城外へと突き進む。そのまま包囲の中を突っ切って、アダマリスの本陣へと迫った。
先の宣言通り、アダマリスを討つつもりらしい。
「聖女様! 脱出の用意、整いましてございます!」
ようやく城壁に上がってきた巫女が、急かすように告げる。
エルトは勇者一行の戦いぶりを眺めながら、独り言のようにつぶやいた。
「……脱出は、しません」
「は? いや、しかし――」
いつの間にか、エルトは微笑んでいた。
今なら、わかる。バッシュはちゃんと『間に合った』。
彼らの力が強いとか、技が優れているとか、そういうことではない。
エルトや教団の皆が、完全に希望を失い、戦意を折られてしまう前に、彼は来てくれた。そして、その身で示してくれたのだ。
人間はまだ、敗けてない。
「聖門を開けよ! エウクリガ・エリノア・エンデリス、打って出ます!」
あの人となら、空だって飛べる気がする。
どこまでも清々しい気分で、エルトもまた、城壁を蹴って跳んだのだ。
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