完全な否定が
「すみません。幾つか、言っておきたいことがあります」
先ほど同様、にこやかな愛想笑いを浮かべて、バッシュは神官たちを見回した。
「エルトも聞いて。皆さんはさっき、魔族が侵入したせいで聖堂が穢された、というようなことをおっしゃいましたが」
軽薄な笑みを引っ込め、真顔で断言する。
「それは侮辱です」
神官たちが気色ばむ。バッシュは反論を許さず、言葉を続ける。
つい昨日、ルゥルに言われたことを思い返しながら、
「貴方たちが敵意もなく入った場所で、それを言われたらどう思うか、『我が事に置き換えて』考えてみて欲しい」
「魔族は敵だろうが!」
たまりかねたような叫び。バッシュはあくまで冷静に、その言葉を否定する。
「協定を結んだ以上、魔族は敵じゃありません。今はまだ――味方とは言えないかもしれませんが、そう遠くない未来に、そうなれたらいいと、俺は思っています」
聖堂がざわめく。エルトはすっかり青ざめ、今にも倒れそうだ。
申し訳なく思ったが、釘は刺しておかなければならない。
「もうひとつ。このルゥルさんに何かあったら――この停戦を俺たち人間の側から破棄してしまったら――それは騙し討ちだ」
言葉が厳しい自覚はあった。それでも、しっかり主張する。
「そのとき、恥知らずの裏切り者になるのは、俺たち人間です」
「お黙りなさい!」
温厚な人格者だと思っていた大神官が、大音声で一喝した。
すぐに声を抑え、教えを説いて聞かせるように、鷹揚に言う。
「貴方は道に迷っておられる。貴方とて日曜ごとに聖堂に通い、聖典に親しんだはず。主はいわれました――魔族は必ず、討ち滅ぼされねばならない」
「その通りだ、勇者殿! 貴殿は信仰を失っている!」
「思い出すがいい! かつて幾万の命が失われたか――何代の祖先が彼奴らに蹂躙されてきたか!」
「そなたは戦災孤児であろう! 親を殺したのが誰か、言ってみよ!」
畳みかけるような神官たちの声に、バッシュは返事をしなかった。
天井の高い大聖堂に、耳に痛いほどの静寂が満ちる。
その沈黙に耐えかねたかのように、エルトが哀しげにつぶやいた。
「バッシュ様はもう……人間のお味方では、ないのですか……?」
今にもこぼれ落ちそうな涙が、碧の眼に溜まっている。
エルトの小さな胸をどれだけの悲しみが満たしているか、バッシュにもわかった。
――彼女の身の上を考えれば、わかってくれとはとても言えない。
エルトは教団の外の世界を知らない。否、市井の俗人であっても、人間が魔族を受け入れるなんてことは、針であけた穴をくぐるくらい難しいことだ。
人魔の戦争は長すぎた。7世紀をかけて編まれた憎しみの連鎖が、こんな思いつきのような講和で解きほぐせるわけがない。
それでも――
「俺は味方だよ、エルト」
伝わって欲しいと思って、バッシュは優しく微笑みかけた。
「俺はずっと、いつまでだって、『人』の味方だ」
それだけを告げ、ルゥルを連れて、大聖堂を出た。
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