怒りの矛先が


     3


「命が惜しくば退きなさい! ここは主の庭です!」


 エルトの戦意に呼応して、聖霊が青白く燃え上がった。

 浄化の炎が左右に広がり、有翼の天使のような見た目になる。


 エルト一人ではない。彼女の背後、廊下に神官たちの姿も見えた。

 手には剣やら金鎚やら。魔族が相手なら、武器の使用にも禁忌はない。


 教団は衆生の救済だけでなく、魔族の殲滅を教義に掲げる集団である。そのための戦力が聖騎士団で、門外不出の戦闘技法や聖武具を有しているのだ。


 ――やはり、こうなったか。

 予測していたことでもあるので、バッシュは動じず、なだめにかかった。


「待って、エルト。この人は敵じゃない」

「人っ? 人とおっしゃったのですか、バッシュ様!?」


 エルトの方は大いに動じた。ついでに神官たちも。


「勇者様には正体が見えていないぞ!?」

「聖堂を穢したばかりか、勇者殿をたぶらかすとは……赦せぬ!」

「待った待った! そうではなくて――」

「穢す? これは異なことを」


 バッシュの言をさえぎって、ルゥルがせせら笑った。

 何の悪ふざけか、『これぞ魔族!』といった風情の、冷めた嘲笑を頬に刻む。


「教団のどこに清浄があると言うのです? 神などという虚妄で民衆を扇動し、たぶらかしたのはそちらでしょうに。それで魔族を穢れとは、傲慢にもほどがある」

「黙らせろ!」


 神官が押し入ってくる。彼らの前に割り込んで、バッシュは自分を盾にした。


「やめやめ! やめ!」


 その行動に、エルトはひどく動揺したようだ。呆然とバッシュを見て、


「バッシュ様は……魔族の肩を持たれるのですか……っ?」

「肩を持つとかじゃなくて! 一か月前、停戦協定を結んだでしょうが!」


 現状、人魔のあいだのあらゆる戦闘行為がご法度である。

 約7週間前、双方の合意のもとに締結された取り決めだ。


「ルゥルさんも。わかってるはずだろ」

「無礼なことを申しました。どうか、ご寛恕を」


 へその前で両手を重ね、ぺこりとお辞儀をする。侍女が貴人相手に見せる礼だ。


 作法通りの謝罪を受けて、神官たちも敵意のやり場を失った。

 ルゥルが敵意を引っ込めたので、エルトも拍子抜けしたらしい。聖杖を両手で握ったまま、困惑の眼差しを向けてくる。


 このまま押し切ってしまおうと考え、バッシュは皆に愛想笑いを向けた。


「紹介します。彼女は魔界の大使さんで」

「イスタリス・ルゥレイムでございます」


 ルゥルが優雅に一礼した。この魔族はいちいち、立ち居振る舞いが美しい。


「今さらだけどルゥルさん、こちらの神聖なお嬢さんが」

「もちろん存じ上げております。エウクリガ・エリノア・エンデリス――『エの音がみっつ』でエ・ル・ト様。当代のエリノア、〈聖なる乙女〉でいらっしゃる」


 一息に言われ、エルトは気圧されたようだ。が、そんな自分を認めたくないようで、


「そ――そうです、けど?」


 むむっと眉根を寄せて、強がって見せた。


 まるで小動物の威嚇だ。こんな時だが、バッシュの目には微笑ましく映る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る