優しい時間が


     1


 朦朧とした意識の中、バッシュはうっすら目を開く。


 暗い――暖かい。視界の端で、ちらちら炎が揺れている。

 あれは暖炉か? ここはどこだ?


 記憶をたぐろうとするが、曖昧だ。鈍痛が頭を埋め尽くし、思考が全然まとまらない。


 ……どうやら、かなりの深手を負った。〈大いなる探索〉でも、幾度となく味わった感覚だ。


「ご心配なく、バッシュ様」


 天上の楽の音のような、麗しい声が鼓膜をくすぐる。


「傷はもう塞がりました。明日には元通りです」

「巨人……は?」

「消えました。街も無事です。ですから安心して、お休みください」


 そっと手を握られる。

 その心地よさに導かれ、バッシュの意識は再び遠くなった。

 泥に沈み込むように、深い眠りに落ちていく――


 次に目覚めたとき、バッシュは心底、爽快な気分だった。


 疲れも、痛みも、残っていない。〈大いなる探索〉の最中はもちろん、旅を終えてからも、こうまですっきり起きられたことはない。


 骨や腱の具合を確かめるのも忘れて、いきなり腹筋で身を起こす。それで何の問題も感じないくらい、全身が回復していた。手足に包帯を巻かれていなければ、怪我をした事実さえ忘れてしまいそうだ。


「……そうか。また君が助けてくれたんだね」


 清潔な寝台の上に、こてんと倒れた小さな頭。

 銀に近い金の髪が、斜めに差し込む朝陽を浴びて、神々しく輝く。


 ともに旅をした、聖女エルトの寝姿だ。


 居眠りしていても、小さな両手は握られたまま。掌底を合わせ、右のこぶしを左手で包む、教団式の合掌を崩していない。


 夜を徹して、バッシュの治療に当たってくれたようだ。

 バッシュはそれほどの重傷を負ったのだ。昨晩味わった敵の脅威を思い出し、バッシュはぞくりと震えた。


「……バッシュ様?」


 薄紅色の唇から、吐息まじりの声が漏れる。

 エルトはあわてて首を起こし、恥ずかしそうに口元をぬぐった。


「おはよう、エルト。また助けてもらったね」

「す、すみません! わたし、いつの間にか寝ちゃって……うぅっ」


 いきなり泣き出す。今度はバッシュがあわてる番だった。


「ごめん泣かないで!? また俺が何かやっちゃった感じ!?」

「ずびばぜん……! バッシュ様が戦われていたのに、わたしは愚図愚図と出遅れて……! 現場は大聖堂のすぐ目の前でしたのに……!」

「何言ってるの。君は俺を助けてくれたんじゃないか、ほら!」


 昨晩の痛みが嘘のような、快調そのものの体を叩く。


「おかげでぴんぴんしてる。それでもって――」


 バッシュは身をかがめ、エルトの高さに目線を合わせた。


「やっと、会えたね?」

「――――」

「こうやって話すのは何週間ぶりかな。会えて嬉しいよ、エルト」

「バッシュ様……!」


 感激したらしい。碧鉱石のように美しい、エルトの眼がうるうる潤む。


「そのお言葉だけで……エルトはもう救われました……!」

「大げさ!」

「だって、わたし……バッシュ様はもう、わたしには用がないんだとばかり……」

「なっ――誰がそんなことを言ったんだ!?」


 驚きのあまり、声が高くなった。

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