背中を押して

 

 アイは悲しげに小首を傾げた。心当たりがまるでない、という顔だ。

 バッシュはちょっと可笑しくなって、笑いながら言った。


「俺、今でも夢を見てるみたいなんだ。ちょっと前まで、騎士の従者にでもなれたら幸せだなって、そう思ってた。でも君が、俺に言ってくれたよね?」

「わたしが? 何て?」

「勉強すれば、騎士にもなれるよ――って」


 それは間違いなく、バッシュにとっての福音だった。


「今では難しいつづりも書ける。割り算もできる。剣も振れる。来年はエウクにだって乗れるようになるよ。できることは増えていく。全部、アイのおかげだ」

「そ……そうなのかな? でも、それが今のわたしとどう関係するの?」

「絶対無理だって思ったことも、やってみたら案外できるもんだ――ってこと」


 一瞬、アイの眼に力が戻った。


 だが、足りない。お日様色の瞳が、また曇る。


「だけど……お父様は……やっぱり、怖いよ!」

「勇気を出して。それに、君はすっごい負けず嫌いじゃないか」

「それ今、関係あるっ?」

「こんなところで泣いてあきらめるのと、王様にひと言、自分の気持ちを伝えるのと――君にとって、どっちが簡単?」


 あんなにも負けず嫌いのアイだ。たったひと言が言えなくて、戦う前から負けを認めるなんてことが、できるのか?


 じっと、アイは考え込んだ。

 たぶん、この別れ道の先にある、二つの未来をてんびんにかけている。


 やがて顔を上げたアイは、すっかり泣きやんでいた。

 子どもとは思えない凛々しさ。既に王女の風格さえ漂わせ、微笑を浮かべる。


「うん……わかった。わたしもう一度、お父様と話してみる」


 言うが早いか、もう王城の方へ歩き出している。

 遠ざかる小さな背中を、バッシュは憧れを抱いて見送った。


 本当に、心から――彼女には何だってできると思った。


    ◇


 翌日、アイは朝一番でバッシュの寝床を襲撃した。


「バ~ッシュ♡」

「おフッ!」


 仔オスタの悲鳴みたいな声をあげて、バッシュは目を覚ました。


「聞いて! やったの! いいって!」


 よっぽど伝えたかったのだろう。バッシュに飛び乗った体勢のまま、アイは嬉しそうに報告した。


「お父様に認めてもらえた! わたし、騎士になれる!」


 震えながら自己主張したアイに対し、王は寛大な沙汰を下したようだ。

 もとより王は放任主義――子の不利となる風説を嫌っただけで、当人が覚悟の上であるならば、止めるつもりもないのだろう。


「それでね、わかったの! わたし、お父様に嫌われてるわけじゃなかった!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る