力になりたくて


    6


「もう……ほっといて!」


 と、子どもの声が廃墟の塔にこだまする。


 ――懐かしい記憶だ。

 バッシュが騎士寮に住み着いて、3年ほどが過ぎていた。痩せぎすだった自分の腕も、ずいぶんたくましくなった。


 アイの方は髪がのび、邪魔くさそうに丸めていることが多くなった。が、今はその髪をまとめもせず、風で乱れたままにして、立ち尽くしている。


 頑として振り向かないが、アイは泣いていた。


「何でもないから! あっちに行って!」


 これまで何度かケンカもしたが、こんな頭ごなしの拒絶は初めてだ。アイは王女だが、決して偉ぶらず、威丈高な態度を取らない子どもだった。


 子ども心に――あるいはそれゆえに――バッシュはひどくうろたえた。


「そ、そんな言い方、しなくてもいいだろ!」

「うるさい! 帰ればか!」

「ばか!? ばかは――」


 そっちだろ、と怒鳴りかけて、バッシュは思いとどまった。


 今にして思えば、感情に感情でぶつかるべきではない、ということを最初に学んだのがここだ。売り言葉に買い言葉、なんていう愚行の代わりに、バッシュはつとめて普段通りに、落ち着いた声で訊いた。


「何があったの? 今日、お城に行ったんだよね?」


 ややあって、アイはぽつりと、独り言のようにつぶやいた。


「お父様が……もう騎士寮には行くなって」


 ――のちに聞いた話では、こうだ。


 末の王女が剣術修行に明け暮れているらしい、子どもながらになかなかの剣才らしい、いやいや既に卓越した剣腕で――と、町人たちが面白おかしく広めた噂が、今さら王の耳に入った。


 今は幼くとも、アイはいずれ美しい王女に成長するだろう(実際そうなった)。

 ならば、むくつけき独身男たちの園に王女が出入りし、彼らと親しく交わっている――なんていう風聞は看過できない。噂には尾ひれがつくものだ。


 アイの将来を案じた親心……だったのだが、このときのアイは、この世の終わりのような心持ちだったようだ。


「どうして……だめなの?」


 ぎゅっと両手でこぶしを握り、アイは叫んだ。


「わたしには何もないんだよっ? もし――もしここを取り上げられたら! だってこれはようやく見つけた、わたしがやりたい……やってみたいことなのに!」


 ぽろぽろと涙をこぼし、きつく目を閉じる。


「わたしまた……なくなっちゃう……何にもない……からっぽに……!」

「そのこと、王様には言った?」


 虚を突かれた様子で、アイはぼんやりバッシュを見た。


「アイは何て返事したの? もう騎士寮には行くなって言われたとき」

「それは――だって、何も言えるわけ……ないでしょう?」

「ええっ? だ、だけど、言わなきゃ伝わらないよ!」


 清潔な布でアイの涙を拭ってやりながら、バッシュは思うままを言った。


「アイが騎士寮にこだわるのは、剣士じゃなくて、騎士になりたいからだよね?」

「……うん」

「なら、簡単じゃないか。『わたしは騎士になりたいです』――ひと言だよ」

「か、簡単じゃないよっ。全然、簡単じゃない!」

「大丈夫、簡単だよ。君が教えてくれたんだ」

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