つかみどころがなくて


 中には紙片が一枚だけ。封筒よりさらに繊細な紙で、薄さは指が切れそうなほど。繊維は肉眼では見えず、あり得ないほど色が白い。


 毛羽立ちのない手触りに驚きながら、バッシュは急いで文面を読んだ。


『我が目、我が耳、我が口として、この者を遣わす。側に置け』


 ――それだけだ。あとは宛て名と署名、この女性の名前と日付だけ。


 実に、そっけない。恋人に送る文ではないだろう。バッシュはいささか落胆したが、敵かも知れない相手の手前、もちろん顔には出さなかった。


「そんなに気を落とされず。一種の外交文書ですので」

「……どうして俺の心理が筒抜けなのさ?」

「せめて『会える日を楽しみに』のひと言くらい添えて欲しかった……」

「やめて!? 勝手に心をのぞかないで!?」

「ちなみにですが」


 つついとバッシュに顔を寄せ、女性は声を潜めて言った。


「たったそれだけの文をしたためるのに、陛下は3日もかけたのですよ」


 ああでもないこうでもないと、文面をこねくるレェンの姿が浮かぶ。

 思わず口元がゆるみそうになり、バッシュはあわてて顔を隠した。


 しかしもちろん、隠せているわけがなかった。


 魔族の女性は虫を見るような眼を向け、わざとらしく後ずさりした。


「だらしなくにやけて……気持ち悪い……」

「ほっとけよ! えっと――イスタリスさん?」


 女性はうっすら微笑を浮かべ、意外にも友好的な声音で言った。


「わたくしが魔将六騎のひとつイスタリス将家の血族であり、陛下より直々に遣わされた事実上の全権大使である――などという事実はお気にされず、気安くルゥルとお呼びくださいませ。バシュラム様」


 非常に押しつけが強い。しかし、バッシュも〈大いなる探索〉を終えた勇者である。今さら魔族に物怖じなどせず、軽く受け流した。


「じゃあ俺もバッシュでいいよ。よろしく、ルゥル」

「いきなり呼び捨てとは……度し難い男……」

「そう呼べって言ったよね!?」

「社交辞令も理解できない……!? なるほど、これが人間の知能程度――」

「面倒くせえな!? 外交問題を起こしに来たの!?」


 女性はしれっとして、バッシュの文句を受け流す。


「などという、初対面の緊張をやわらげるための冗句はさておきまして」

「既に第一印象最悪なんだけど……。魔界じゃ挨拶感覚なの? 地獄なの?」

「それは、当たらずとも――と言ったところです」


 意味深長な笑みを浮かべる。


 そう――魔界にも貴族がいて、宮廷があって、権力闘争がある。バッシュが倒した魔族にも、味方同士の確執があったり、抗争があったりした。


 腹芸や挑発は飛び交うだろう。それが彼女ほど滅茶苦茶かどうかはともかく。


「ともかく、君の立場はわかったよ。悪く言えば、俺や人界の『監視役』で」

「良く言えば『連絡係』と言ったところです。陛下から詔勅があれば、ただちにお伝えすると約束いたしましょう」


 本人の自己紹介通りなら、外交官としてここに居座る、ということか。


 アフランサ王ではなくバッシュの側に置いたのは、レェンが人間を警戒しているからでもあるし、人界側への配慮とも言える。


 王宮を魔界の貴族が我がもの顔で闊歩する――なんてことになれば、武官や兵士たちが何をしでかすかわからない。


「まずは寝床の確保だよね。大使様を泊められるような部屋っていうと……」

「今さらですが、バッシュ様。先ほどの、あの方――アフランサ・スオド・アイメリウ姫を追いかけなくてよろしいのですか?」


 ずっと気になっていた、というような調子で、ルゥルが言った。

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