けれど、鋭くて


 一瞬、バッシュは言葉に詰まった。

 が、すぐに楽観的な思考が浮かんだ。


「アイは大丈夫。ちょっとおかしかったけど、最後は正気だったし。結局は何事もなかったし。少し時間が経てば、いつもの彼女に戻ってくれるよ」

「失礼ですが――バッシュ様の脳には、白ミル虫がわいていらっしゃる?」

「本当に失礼だね! 屍肉兵扱いしないでよ! ちゃんと生きてるよ!」

「僭越ながら意見具申いたしますと」


 ルゥルの黄金色の双眸が、槍の穂先のような鋭さで、バッシュを貫いた。


「追いかけるべきです。ただちに。今すぐ」


 思いのほか強い主張に、バッシュは言葉を失った。

 ルゥルは相変わらず淡々と、しかしどこか責めるような調子で言う。


「貴方は我が君レーネイフ様を生涯の伴侶に、とお考えなのでしょう?」

「――そうだよ。それが何か?」

「『そんな結婚はぶち壊してやる』」

「!?」

「と考える輩が大勢います。魔界にも、人界にも」


 バッシュの口一杯に苦いものが広がった。

 覚悟はしていた。世界でもっとも祝福されない結婚だというのは。


 婚約したとは言っても、それはまだ口約束の段階だ。相手は魔界の王なのだから、正式な婚儀が執り行われない限り、夫婦にはなれない。

 そして現在は、婚礼の日取りさえ決められない状況である。


 今のうちに勇者を殺せば、すべては白紙に戻る。そして再び、大陸の支配権を巡り、人魔が争う聖戦が――


「そうか……君がここに来たのは」

「勘のよさは及第点ですね。お察しの通り、そういう輩を警戒してのことです。万に一つも、彼らを利するようなことがあってはなりません。ですから」

「君は……アイを侮辱してるの?」


 自分が発したとは思えないほど、バッシュの声は冷えていた。


「アイが俺の敵になるかも知れないって、そう言ったんだよね?」

「違います。そういう輩に利用されるかもしれない、と」

「同じことじゃないか。アイは強くて――前向きで――本当に優しいやつなんだ。どんな気迷いを起こしたって、仲間の不幸を望んだりしない」


 と言い切ってから、そんなことを言う資格が自分にあるのかと不安になった。

 アイがあんな大胆な行動に出るなどとは、夢にも思ってなかったくせに。


「……そりゃ、さっきの行動には驚いたよ。しばらくはお互い恥ずかしいだろうけど――俺は忘れるし、二度と触れない。それでいいじゃないか?」


 はぁ、とため息をつき、ルゥルはかぶりを振った。


「勇者バッシュは自己犠牲の塊のような人間だと、事前に聞いておりましたが」

「そんな評価は的外れだ。俺はただ――」

「ええ、的外れです。貴方は自分を踏みつけることに慣れ過ぎて、かえって他人の気持ちがわからなくなっている」


 バッシュはきょとんとした。どういうことだ?


「我が事に置き換えて考えてご覧なさい。貴方が劣情に衝き動かされ、嫌がる陛下にのしかかったとして――理性を取り戻したとき、どう思うのです?」


 自身の間違いを悟り、バッシュは愕然とした。本来は人並み以上に頭が働く若者である。ルゥルのいわんとすることが、即座に理解できた。


 もし、バッシュがアイの立場だったら――


 未遂だったとか、レェンが忘れてくれるとか、そういう問題ではない。

 そんな行動に踏み切った、自分自身が許せない。


 思い詰めるに決まっている!


「教えてくれて、ありがとう!」


 バッシュの礼を聞き、ルゥルはわずかに驚いたような顔をした。

 宿敵である勇者から、そんな素直な言葉が飛び出すとは思わなかったようだ。


「遠くから来てくれたのに、ごめん! 適当にくつろいでて!」


 それだけを言い残し、寝起きの格好のまま、バッシュは部屋を飛び出した。

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