決断を迫る


    7


「そう……か」


 その情景をまざまざと思い出し、バッシュはつぶやいた。


「約束、したんだ……俺……!」


 いや、果たしてあれは約束と言えるのか。


 子どもの戯れ。ごっこ遊び。ただのままごとだ。

 そもそも、淑女の愛という言葉の意味さえ、子どものバッシュは知らなかった。


 言い訳は山ほどあった。自己弁護したい気持ちもある。

 だが、そうする代わりに、バッシュはひざまずいた。


「ごめん! 俺、確かに約束した!」


 謝る。その場に膝をつき、差し出すように頭を下げて。

 本心からの誠意を見せたいとき、アフランサ人はそうするのだ。相手に無防備な首をさらし、どうとでもしてくれという意味がある。


「淑女の――君の愛を授かって、君の騎士になるって、約束した!」


 子どもの頃の約束なんて、大人になれば無効だよと、大半の大人が言うだろう。


 だが、アイにとってそれは、今も『生きている』誓いだった。

 だからこそ、彼女は傷ついている。ならば、この約束は有効だと――そう思えるだけの器量が、このバッシュという若者にはあった。


 アイは無言だ。おそるおそる目線を上げて見ると、アイは驚いた様子で、ぼんやりバッシュを見下ろしていた。


「思い出して……くれたの?」

「……うん。忘れてて、ごめん」

「そっか……思い出してくれたんだ……えへへ」


 照れくさそうに笑って、目をそらし、もじもじと髪をいじる。

 目尻は涙で赤くなり、痛々しい。それがかえって、いじらしく、可憐に見えた。


 だからこそ、バッシュの胸は締めつけられる。

 このアイに、自分の意志を伝えなければならないことが。


「アイ……ごめん。それでも、俺は……」

「……いいの。わかってる」


 ふう、と吹っ切れたような息をつき、アイはバッシュに背を向けた。


「魔王さんと結婚、するんだよね?」

「……ごめん」

「いいってば。でも、その代わり……指きり、して」


 絶対に幸せになるって、約束して――

 なんていう、優しい言葉が続くものだと、バッシュは勝手に誤解した。


 しかし、現実は違った。くるっと振り向いたアイは、


「指、切ってよ」


 古井戸のように真っ暗な眼で、そうバッシュに迫ったのだ。


「……えっ?」

「いや、『えっ?』じゃなくて」


 本来は可愛らしいアイの声が、抑揚を失い、冷たく響く。


 地獄に続く深淵のような、どこまでも深い闇をたたえた瞳で、アイはバッシュを見つめていた。そこにはもはや、何の感情もこもっていないように見えた。


「指でしょ、ここは。わたしとの約束を破るつもりなら、指くらい切るでしょ?」


 細い小指をぴんと立て、ぴょこぴょこ振って見せる。

 予想外の展開に、バッシュの背からどっと汗が噴き出した。


「……えっと」


 アイが言っている『指きり』は、子どもが約束をかわすときの手遊びではない。

 その語源の方――言葉通りの『切断』だ。


 この大陸では、刑罰や復讐、拷問の際にたびたび指骨の切断が行われてきた。


 先に言った通り、この地ではダイムが『キリのいい』数である。

 7の倍――これは片手の指骨の数と一致している。親指の付け根から順にと指していくのが、大陸における『指折り数える』行動だ。


 切断すれば、指骨で数えられる数が減る。さすれば、神の恩寵もまた減るであろう――という迷信に基く、野蛮な因習である。


「ほら、バッシュ。早く指切って」

「――わかった」


 言うが早いか、ばん、と床に左手をつく。


 ふところに手を差し入れ、首から下げた短剣を引っ張り出す。寝るときさえも手放さない、バッシュにとっての護り刀だ。


 鞘をくわえて片手で引き抜き、くるりと手の中で回転させる。そうして刃を逆手に構え、切っ先を小指の先端に落とす――

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